画廊史

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山田画廊



山田画廊 1965~

 

古美術商店が立ち並ぶ東山区新門前の一角にある山田画廊の経営者山田は岡山県出身、第二次大戦後進駐軍で働いていた経験がある語学堪能な人物である。戦後しばらくすると京都の治安は安定。アメリカからは軍関係者以外に安い労働力を期待して、特に日写等の印刷技術を求め会社関係や富豪が入ってきはじめ、1960年頃の新門前一帯は日本の古美術を買いあさるアメリカからの観光客の姿が当たり前に見られるにぎやかな通りとなっていた。1ドル360円の時代。当時の新門前周辺が撮影されている写真には、軒を連ねた古美術商の店先のほとんどに横文字が並んでいる風景を見ることができる。立ち寄った観光客達は店に入り、骨董、掛け軸、茶道具と店にあるあらゆるものを買っていく。有名どころではIOC委員長ブランデージや出版社エイブラムズなど。

当時の山田画廊は版画を扱い、画廊主の山田自身も木版を彫っていた。何となく自分がつくったものを店に置いていたら飛ぶように売れていくので、生産が追いつかず、他の人の作品も置くようになったらしい。1階をショップにして、2階をギャラリーにしていた。京都を地盤に活躍する陶芸の前衛集団「走泥社」の八木一夫や、日本画の前衛「パンリアル」の作家たちも当時は皆そこで展覧会をしていた。ジェームズ・リー・バイヤースが1960年に展覧会を開催した記録も残っている。当時の山田画廊はそうした前衛美術作家と海外のコレクターとの出会いの場であった。他にめぼしい美術画廊はない上、山田が英語堪能ということもあり、京都在住の芸術家、美術に興味を持つ外国人、買い物に来た海外からの客ら国際色豊かな人材が画廊に足を運んでいた。

 

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