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画廊史

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ギャラリーピカ、アートコア

スペース・ピカ

○ 1969年3月15日—4月3日 「プレイアート展」「作家の自主運営による 画廊が新京極に登場」作家が企画し、自主的に運営するという新しい画廊が新京極のど真ん中にこのほど誕生した。中京区新京極ピカデリー劇場内「スペース・ピカ」がそれで、設立したのは赤石逸三、今井祝雄、今中クミ子、井上藤太郎、熊野恵康、松本正司、森本紀久子、中島みほ、西真、上杉典子のメンバーによるプレー・ショック・グループ。メンバーは彫刻家、画家、建築家、デザイナーなど各方面で活躍する若手ばかり。テクノロジーとファイン・アートの谷間にあって変ぼうをくりかえす現代美術のなかで、もっとも今日的で、明日への可能性をはらんだ作品を積極的に発表していこうというのがねらいだが、芸術がインターメディアとしての注目を集めている現在、その集りと発表の場に関係者の期待が寄せられている。オープニング展は15日から「プレイ・アート展」と題し、堀内正和ら36人のミニチュア作品を並べる。(京都新聞 1969年3月14日)
「ぎぼし」京都の中心繁華街、新京極にある松竹系映画館「ピカデリー劇場」で「ギャラリー・スペース・ピカ」という前衛美術専門の画廊が15日オープンする。前衛美術家たちが画商にまかせず自主経営で大衆浸透作戦をはかろうと、華道京都未生流家元後継者で彫刻家の松本正司氏が企画、劇場も幅三メートル、奥行き七メートルの空間の利用法を考えていた矢先だけに“映画館内の画廊”話はトントン拍子に運んだ。画廊には開場を前に、堀内正和京都市美大教授はじめ京阪神や名古屋方面から絵画、彫塑、工芸の作家36名から、既成の美学概念を破った500円−1万円の小品が持ち込まれ、買い物客や映画鑑賞者たちの話題をさらっており、前景気は上々。しかし、これまで商売にうとかった作家たちは「作品をつくるようにうまく経営ができるだろうか」と“冒険”に心配顔。=写真は出来上がった映画館内の画廊(読売新聞 1969年3月15日)
「文化ウィークリー」ギャラリー・スペース・ピカ開設 京阪神の若い画家、彫刻家、デザイナー、写真家などが自主運営、企画するギャラリーとして発足。中京区新京極、ピカデリー劇場内でオープニング企画展は4月3日まで、「プレイアートミニチュア」を開く。堀内正和、赤石逸三、松本正司、石原薫ほかの京阪神の中堅30人が出品。
「気軽で自由に 鑑賞、話合い、即売 若い作家が自主画廊開く」若い芸術家たちが、自主的に企画運営する画廊が15日から、京都の新京極通にお目見え。画廊といえば、よほどの美術ファンでないとはいりにくい閉鎖的な印象を持たれているようだが、この画廊は、気軽で自由なふにきがモットー。またアートショップの性格も持たせ、一般の市民に手ごろで現代のイメージあふれる作品を即売する計画。京阪神の34作家が参加する大がかりなオープニング企画展で幕あけした。場所は、京都市中京区新京極、ピカデリー劇場4Fホールで、名前は「ギャラリー・スペース・ピカ」。繁華街にある映画館のホールの一角を仕切って画廊に改装したもので、映画館とは関係なく自由に出入りできる。広さは間口3メートル、奥行き8メートル。濃紺のビロードカーテンをつるし、床は赤いじゅうたん。壁面は純白のモダンなふんいき。「現代にふさわしい画廊がほしい。作家が自主的に運営できる発表会場を持ちたい」という今井祝雄氏(大阪・具体美術所属)。松本正司氏(京都、無所属)ら10人の美術、建築設計、デザインなどさまざまな分野の若者たちがグループで企画、劇場のホールを借りる契約をした。「会場を思うままに使え、長期間展示できる場所をもつというのは、私たち作家にはたまらない魅力ですよ」と松本氏は言う。これまでの画廊だと、ふつう会期は一週間、客の顔ぶれも固定する傾向があって、作家側には不満が多かった。画廊の使用料も若い作家にはかなりの負担になる。ピカデリー劇場の松本貞市支配人がたいへんな美術ファンで、この作家らとも顔なじみだったことで、画廊開設の話はとんとん拍子にすすんだ。松本支配人は「さいわいホールは映画館にはいらなくても出入りできる構造になっているので、使ってもらうことにした。おそらく映画館の内部に画廊をつくったのは、日本中さがしてもうちだけでしょう」と言う。スポンサーなしの作家グループ経営の画廊というのも、たぶん全国ではじめてのことだろう。作家たちを一番喜ばせているのは、広範囲な客層を持つ映画館の“玄関口”に作品を並べられること。「とにかく私たちは、一人でも多くの人にいてもらいたい。画廊がスタートしてからも、客の動きを見て、いつも開放的にするよう工夫していきたい。また作家の“たまり場”にもしたい。情報交換は現在の作家には大切だ」と、若い作家たちは、限りない夢を描いている。オープニング展は『プレイアート・ミニチュア展』。グループで話し合って決めた企画展で「小さく楽しく、おとぎの世界といったイメージの作品を」と、若い実験的な仕事をしている作家に出品を頼んだ。石原薫(京都・新制作)西井正樹(京都・パンリアル)栄利秋(奈良・無所属)庄司達(名古屋・無所属)山本圭吾(福井・北陸美術)吉田稔郎(大阪・具体美術)氏ら現代美術の人気者が超党派で出品している。(毎日新聞 1969年3月18日)
「招待席 プレイアートミニチュア展」新京極のどまん中、ピカデリー劇場の4Fに、最近ちっちゃな現代美術の画廊ができた。4月3日までここで関西のおもだった前衛美術家34人が、かわいい小品を並べて画廊の開設を祝っている。現代美術といえば、どうも理屈っぽくて、近寄りがたい、と考えられがちだが、そういう向きにはぜひ一度のぞいてみるといい。壁面、床といわず天井からいろいろな作品が顔を見せるが、その作品の何とかわいいこと。目をごまかしたり、手の感覚をあざむいたりおかしさにプッと吹きだしたくなる。それと現代美術がどうつながるのか−という方には「今日の美術は、全くどん欲なまでに新しい体験を追い求めている」というほかない。市村実が「地球儀」を出品している。よく見ると、はりつけられた地図は、北海道がフロリダにくっつき、世界中がメチャクチャ。庄司達がウレタンでつくった「どびん」は、緑の淡雪がかぶったようだ。手にとれば軽々とあがる。柏原えつとむの絵は、画面の遠近感で視覚がまごつく。視点を動かすと、ガラスの箱の中の赤い模様が変幻する今中クミ子の作品もそう。黒い円筒の“一つ目小僧”のような橋本典子のは、うっかり上に目を向けると、くらくらと光りの矢が五官にうちこんでくる。虚像を空間的にとらえている西真の版画や、適当にサイケ調の色感を いた森本紀久子の“サイケまんだら”、やじろべえのように鏡面を回転する松本正司のものなど、にぎやかな顔ぶれだ。男性の人気を集めている堀内正和の作品は、白い台にとりつけたおわん状の突起を押すとベルがなる仕組だが、絵画としても面白いし、ベルを押す行為の中に、官能を楽します喜びがある。作品は2−3000円から4万円までの値段つき(不売品もある)というのも、現代美術の詩情に恵まれぬ関西作家には一つのこころみともいえる。(毎日新聞 1969年3月21日)
「プレイアート ミニチュア展」ピカデリー劇場4Fホールのギャラリー・スペース・ピカ。おとなのための小さいファンタジックな作品展で、堀内正和、赤石逸三、橋本典子、市村実、石原薫、木村嘉子、松本正司、森本紀久子、元永定正、西井正樹、西真、栄利秋、吉田稔郎ら30数人が出品。(毎日新聞 1969年3月28日)
「素顔 美術家グループで画廊を開いた松本正司」スペース・ピカという画廊が、京都・新京極にお目見えした。若い美術家グループが、スポンサーなしの“自前”で開設したもので、全国にも例がない方式。松本さんは、そのリーダー格。鏡やスチールなどを素材に、電気や光を取り入れた作品を発表している立体作家だが、無類の世話好き。「会場を思うままに使え、長時間展示できる場所を持つのは、私たち作家の夢でした。作家業と画廊経営の二本立て興業が大へんなことは覚悟のうえです。私たちのアイデアと情熱でユニークな画廊にします」と意気さかん。画廊はピカデリー劇場のホールの一角を仕切って、濃紺のビロードカーテンをつるし純白の壁面にした。美術、建築設計、デザインなどさまざまな分野の若者10人の共同出資だが、とかくうるさがたの多い芸術家仲間をまとめ、劇場との賃借交渉から改装などの雑用すべてを松本さんが取り仕切った。いけ花の京都未生流家元、松本雙鶴さんの御曹司。いずれは家元を継ぐ身だが、前衛芸術家として現代日本美術展入選、現代美術の動向展招待、毎日選抜美術展招待と現代美術売れっ子の一人。ことし一月には、仲間たちと京都と大阪で男女の裸体をスクリーンにした前衛映画を発表した。それでも週のうち3日は、いけ花の“お師匠さん”に変身する多忙な身。こんどの画廊でも催物の企画、貸画廊、美術品販売もやろうと欲張った夢を描くタフガイである。京都美大図案科卒。38歳。両親、妻と長男の五人暮らし。(横山)(毎日新聞 1969年4月4日)
「現代美術とその買手 “ギャラリー・ピカ”のめざすもの」京都の新京極、三条と四条のちょうどまん中あたりにピカデリー劇場がある。一、二、三階が、“スーパーサカエ”で四階が映画館なのだが、この劇場のロビーに、ギャラリー・スペース・ピカが三月十五日にオープンした。オープニング企画として東京、名古屋、京都、奈良、福井、大阪、神戸の作家による「プレイアート・ミニチュア展」が開かれオープニングパーティは三百人もの人々を集め大盛況だったのだが、それは別として、このギャラリーは現代美術と社会との結びつきの点で新しい問題を提起している。まず芸が感のロビーに画廊があるということは、少なくとも月に一万五千人の“現代美術などとは縁のない庶民”がその前を通りのぞき込み入ることができるということだ。映画の始まる前に、休憩時間に、終わってから立ち寄ることができる。もちろんこのロビーは中に切符売場があるので、外からも自由に入れるのだが、次の特徴は、松本正司氏を中心に、赤石逸三、今井祝雄、今中クミ子、井上藤太郎、熊野恵康、森本紀久子、中島みほ、西長、上杉典子等の作家の自主管理である事で,オープン企画のプレイアート展が「五百円から一万円で買えます」とうたったように、鑑賞者に現代美術を安く手にしてもらって、それを手始めに、拡がりと深さを持った現代美術を理解させようとしている。又殆んどの画廊が展示作品が売れた場合、四割から五割の手数料をとるのだがここでは三割とした。“三割の手数料で採算がとれるはずだ、四割後割の手数料で値段を上げる、現代美術は売れなくなる、多くの手数料がいる・・・・・・という悪循環を繰り返している”というのだ。現代美術と買手(鑑賞者でもなく大衆でもなくあえて買手ということばを使いたい)との関係において、作家自身は売る努力をしないで、(金が欲しくてたまらないのに)そしてたまに売れると、「おれが小便引っかけて作ったやつを買いよった」と買手を軽蔑し、結局買手は買っても買わなくても、軽蔑されるのではなかったか。そしてその軽蔑は「奴等はどうせ分からないんだ」ということばによってていねいに、どこからも難のつけようのないように防護されるのではなかったか。アメリカでは画廊が多くの金持のコレクターを持ち、また仕事のできる作家には何百とある美術館や大学の美術館が多くの購入予算によって援助するというのはよく聞く話である。しかしそれはあくまでもアメリカの話である。いつまでも日本の作家がそれを指をくわえ、よだれを流して見ていることはあるまい。新しい日本の形態を探り一つの形にしなければならないはずだ。その一つの新しい試みとして、スペース・ピカへの期待は大きい。スペース・ピカは続いて篠原有為男個展、ピカデリー劇場上でのハプニングとともに、上映映画の三分間の休憩時間に前衛映画の上映を企画し、すでに劇場の許可を得ているという。「トニー・カーチス」を見に来た人たちにいやおうなしに前衛映画を見せる、というのだ。ここまでに構想が実現するにあたってはピカデリー劇場支配人の松本貞市氏の私心をはなれた応援が大きな支えである。日本中の松竹系の劇場で休憩時間には前衛映画が上映されるということになれば、愉快なことではないか。すでに東京でも宮井陸郎を中心に同じ形態の画廊の企画がすすんでいる。ここまで構想を大きくしなくても、ポーンと一般の人に分からない作品を出すのではなくて、「私はこんなつもりで、こんな発想で、こんな苦労をしてこの作品をつくりました。こんなふうにしてあなたの生活をとり入れて下さい」などという説明のついた展覧会が一つぐらいあってもいいのではないか。スペース・ピカのパイオニアの役割に期待したい。(0)(「オール関西」1969年4月号)

○ 1969年4月5日—4月13日「篠原有司男、スペース・ハント作戦」期間中、ルミナ彩色ヌード、同劇場の映画休憩中の三分間にカラー「これが現代美術だ」を上映、また5,6両日午後2時から3時まで、同劇場屋上で20秒のドラマ発表。(毎日新聞 1969年4月4日)

○ 1969年4月5日—4月25日「現代美術常設展」「青鉛筆」美術館をとびだせ−と京都市の彫刻家松本正司氏ら京阪神の中堅作家36人が、同市中京区の映画館ロビーを借りて、ギャラリーにした(写真)。このところ関西の画家、彫刻家の間では美術館、画廊に反発する動きが活発。ほかに、京大人文研の吉田光邦助教授、画家石原薫氏らが同区三条小橋に19日、実験劇場をオープン。また、左京区北白川の“美術村”でも、京都市立美大出身の画家たちが5月開設めざして大野外美術館づくり・・・といった具合。いずれも、名作や古典を陳列するだけの美術館や、壁面だけを利用する画廊への反発からで、一致したテーマは「現代芸術のつきあたっているカベを破る」。どうやら、ことしは美術界にも“反体制ムード”がきわ立ってきそうだ。(京都)(朝日新聞 1969年4月9日)
「招待席 現代美術展」作家経営の画廊というので話題になったギャラリー・スペース・ピカは設立一ヶ月を迎え、画廊企画の「現代美術展」を開いているが「現代美術はとっつきにくい」と、新しい美術を敬遠する人にもうけそうな企画である。会場を見わたすと、よくいわれる“現代美術の多様さ”を発揮して、幾何学模様の抽象画、鏡を使った立体、さらには天井からヒョウタンのような作品など、それぞれ自己主張をしている。しかしどれをとってもブルーやピンクなどあざやかな色彩がいっぱいでけっこう目を楽しませてくれる。出品作家は伊藤五六、柏原えつとむ、神谷厚子、川端紘一、藤野登、元永定正、松本正司ら京阪神の作家十数人。大作はなく、各作家は持ち前のセンスを生かして、気楽に仕事をしたようだ。たとえば伊藤五六が、白いサラシに、大きな女性の顔を重ねて描いたしゃれた壁かけを出品しているが、開幕日の朝、大急ぎで制作したというインスタント作品。ふざけた話のようでもあるが、そんな作家の気楽さが、見るほうにも肩のこらない展覧会にしたともいえる。27日まで。(毎日新聞 1969年4月18日)
「展覧会メモ」作家の自主運営による新形式の画廊。今回はレギュラーの赤石逸三、今井祝雄、今中クミ子、井上藤太郎、熊野恵康、松本正司、森本紀久子、中島みほ、西真、上杉典子のほか、木村嘉子、柏原えつとむ、元永定正らが、彫刻、タブロー、立体造形などを並べる.(京都新聞 1969年4月18日)

○ 1969年4月28日—5月11日「ポスター・ポスター・ポスター展」「ポスター展」美術、観光、映画などのポスターを集めた。5月5日から11日までは第二週として「ポスターによる新しい表現」をテーマに画家、彫刻家、デザイナーの新作ポスターを展示。(毎日新聞 1969年4月25日)
「文化メモ」ポスター・POSTER・ぽすたあ第一次展—4日。前衛作家の自主画廊の第四回の企画展で、現代前衛芸術があらゆる芸術分野に触手をのばしているなかで、商業美術界のうち、宣伝ばい体として主要な役割を果たしているポスターにひとつの挑戦をする。第一次展は「ポスターのはんらん」をテーマに、読売新聞社の昨年、ことしにかけての京都で開いた「モジリアニ名作展」「レンブラントとオランダ絵画巨匠展」「日本国宝展」のポスターや京都国立近代美術館の展覧会ポスター、市文化観光局の観光ポスター、映画ポスターなど大小とりまぜて百種近いものを画廊の天井、壁などにはりつける。ポスターのもつ宣伝効果、機能の優秀をさぐるのがねらい。(読売新聞 1969年4月26日)
「ポスターの実験」第一週は「ポスターの氾濫」をテーマに観光、映画、美術などのポスターを展示、第二週は「ポスターの実験」としてポスターによる新しい表現を試みる。松本正司、石原薫、河口龍夫ら。(朝日新聞 1969年4月27日)
「展覧会メモ」前半が“ポスターの氾濫”後半が“ポスターの実験”と銘うって、ポスターと現代美術を考える。(京都新聞 1969年4月25日)
「展覧会メモ」4日までの第一週は「ポスターの氾濫」と銘うって近代美術館や映画の既成のポスター約百枚を、画廊空間いっぱいに構成し、広告メディアとしてのポスターの効果を考えようという試み。一枚のポスターの効果とは、また違った視点でとらえられて興味深い。第二週(5日−11日)は「ポスターの実験」—。彫刻家や画家、デザイナーが、全く自由な発想による実験的なポスターを制作、現代美術の機能性と、ポスターの新しい方向を提示しようというもの。(京都新聞 1969年5月2日)
「ポスターを買う」ポスターが若い女性たちの間で、ちょっとした人気を呼んでいる。ブームといえばいまさらめくが、それでも展覧会などではカタログ以上に売れている。町の画廊では、おかげでポスターだけを並べた展覧会も開かれているほど。「新しい形でのブロマイド・ブームだ」いや「女性の記念品好みのあらわれにすぎない」など、といわれるもののこの“ポスター・ブーム”なる現象を、若い女性たちが、少なくともその一部をささえているのは事実なのだ。そこで、そのブームの一端をお知らせしよう。キミ自身が、キミの彼女と「女性について」「文化について」討議する材料にもなるはずだ。ポスターと一口にいっても、いま人気を呼んでいるポスターは従来のものと少し性格を異にしているようだ。つまり、それが、いままでのように商品やある宣伝のためのイメージで、デザインも無難なものでないということ。たとえば、それぞれがかつて持っていた効用性や宣伝といった機能、制約を離れ、作者が絵を描くように自己の表現を強く押し出しているポスターという技法を駆使して作った“絵画”とさえ呼んでいいものが多いといえる。すぐそこのイメージ−いま新京極の画廊「スペース・ピカ」で開かれている“ポスター・ポスター・ポスター展”でも、この傾向は例外ではない。展覧会は関西の現代美術作家の作品を中心に並べたもので、展示は約50点。なかには横尾忠則が東京の天井桟敷館公演のために作ったポスターもある。東京国際版画ビエンナーレの展覧会もある。ブラックライトの照明で、けい光塗料の部分が光っているポスターもある。けれど、どれを見てもこれまでの商品イメージを中心にしたポスターとははっきりちがっている。映画俳優であれ、漫画であれ、サイケであれ、特別な効用性というより、われわれを取りまく都市環境と無関係でない日常的なイメージを持ったものばかり。そして、こうした、いわゆるポスターでもない、かといって芸術的なものでないモチーフを大胆に取り上げられたポスターが若い人たち、それも女子高校生や女子大生に多く買われていくという。「一枚が千円以下ということもあるのでしょうが、すでに会期一週間で百枚を超えるほどこちらも驚いているんですよ。会場には映画や展覧会の宣伝用のポスターも並べています。でも、同じ映画や展覧会ポスターでも、いかにもあっけない宣伝臭の強いのは敬遠されているようですね」とは、ポスター展を企画した松本正司さん(造形作家)の話。気軽に飾れる楽しさ—ところで、ポスターがこのように人気を呼んでいる魅力は一体、なんなのだろう。ある女子大生はこういう。「お部屋に飾るにしても、絵は高いでしょ。ポスターなら外国の有名作家のものでも三、四千円。これならおこづかいで十分ですわ。それに、いくらいい絵といってもお部屋にいつも飾っておくってのはね・・・.ポスターなら何枚も持って、週に一回ずつ張りかえて楽しめるのも便利ですし・・・」横尾忠則、宇野亜喜良ファンで、ポスターを集めている洋裁学校の学生は「山や鳥、風景といった絵を飾って、心がなごむかもしれない。でも、わたしたちの生きているのはもっとクールな人工的環境なんです。ポスターにもそんな現代性があるんです」と。いいかえれば、彼女たちにとってポスターは、油絵のなかに重々しい権威にくらべ、いつでも、どこでも気楽に飾って楽しめるところに親しみと身近さを感じているようだ。そこにはポスターが卑俗なものであるとか、安物であるとかいうのではなく、そのなかにあふれているイメージを買う気持ちがうかがわれる。描かれていようと、印刷されていようと問題は別。関心はイメージであり、イメージを買っては、捨てていくのである。ちょうど、プリントのドレスや下着を一度着ては捨てていくように−。とすれば、ポスターが買われてゆく現象も現代の一つの文化と決して無縁ではないのである。文芸雑誌「華」の同人で、小説家の折目博子さんもポスター・ファンの一人。オスカー・ワイルドの「サロメ」のさし絵で知られるピアズレーやロートレックのポスターを集め、応接間に飾って楽しんでいる。「ポスターが印刷物であるとしてもオリジナルにはちがいない。ちょうど版画と同じですよ。いまのポスターは、家の応接間が少し暗いもんですから、小さなものではしまらない。ポスターがちょうどいいんです。お値段も安いですし・・・。絵というのは、数さえあればいいというものじゃない。イヤなものをいくら掛けてもつまらない。気になったポスターを集め、飾りかえては楽しんでいるんですヨ」。イメージを買って、ちょっとした豪華さを楽しもう、と折目さんはいうのである。(写真 ポスター・ポスター・ポスター展から)(京都新聞 1969年5月13日)

○ 1969年5月26日—6月7日「企画展「イメージ売ります」」「企画展 イメージ売ります」スペース・ピカでは26日から6月7日まで企画展「イメージ売ります」を開く。画家、彫刻家、建築家など数人が、作品を発表するとともに、会期中「あなたの居住空間に、新しいイメージを!」と“イメージ・コンサルタント役”を引き受け、希望者の相談に応じるシステム。なお出品者は井上藤太郎、伊藤五六、松本正司、西真、矢野正治ほか。(京都新聞 1969年5月22日)

○ 1969年6月9日—6月15日「724秒・イメージの結合」展「二つの画廊を結ぶ珍しい企画展 京の前衛作家たちが計画」京都市内の二つの画廊を結んで開く、珍しい企画展が、いま京の前衛作家たちの手で計画されている。題して「七二四秒イメージの結合」展—。この企画展。12人の作家たちが、二つの画廊に、それぞれ「実体と虚像」「本ものとニセ物」「右半分と左半分」「動と静」「におい箱」などの作品を同時に展示、「鑑賞者は二つの会場を歩いて、イメージの結合をはかってください」というもの。中には「A画廊でジョッキーを買えば、B画廊でビールが飲めます」という商魂たくましいアイデアも飛び出しているとか。期間は9日から15日まで。会場は縄手四条上ル、画廊紅と、新京極ピカデリー劇場4F、スペース・ギャラリー・ピカ。ちなみに、この二つの画廊を、ブラリブラリ歩けば、大人の足で七百二十四秒(十二分四秒)−。このアイデア、現代美術の新しい試みを示すとともに、お客を画廊へ引き寄せる新手として流行しそうな雲行き。(京都新聞 1969年6月6日)
「二つの会場を結ぶ 七二四秒・イメージの結合 展」従来の完結した“芸術作品”の観念を捨て「芸術と現実とは、その間のかき根をのぞかれて相互に流通しあい、作品と“もの”とは連続した空間において分かちがたく重なりあっている。従って芸術は、現実と異質の次元にある世界ではなく、現実そのものの特殊な状況である」(乾理明氏)—との観点から、関西の若手前衛作家たちが試みた、新しい実験展である。具体的には、市内の二つの画廊に、同時に関連性のある作品が並んでいる。歩いて平均“七二四秒”(12分4秒)かかる二つの画廊を、歩けば、それぞれの作品の既成概念は分裂し、新たなイメージが結合される−という試み。A画廊にドクロの作品があるかと思えば、B画廊に全く同じ形のキャンバスに鏡がはりつけてある。自分の顔を鏡の中に発見した鑑賞者は、A画廊にあったドクロのイメージと二重写しになる“自分”にどっきりする・・・あるいはA画廊の球体の影が三角すいなのに、B画廊の三角すいの影が球体・・・という不思議さ。十二人の作家が思い思いのアイデアを駆使して、新しい試みにいどんでいるが、アッと驚かすような着想は必ずしも多くない。この種の試み—もっと演出効果を考えてもいい。会場は画廊紅(縄手四条上ル)とスペース・ピカ(新京極ピカデリー劇場四階)(F)(京都新聞 1969年6月13日)
「七二四秒・イメージの結合」“時間”を美術作品にとりいれるという現代美術の新しい実験展が、京都で開かれている。歩いて七百二十四秒(十二分間)かかる二つの画廊に、12人の作家がそれぞれ一点ずつ作品を出品、画廊から画廊へ移動することによって、見るもののイメージを自由に開放しよう、という試みである。これは、現代の「作品」が過去に芸術作品といわれたものとちがい、現実そのものの特殊な状況にすぎない、という考え方に立っている。美術作品は額ぶちにはいった絵や、台座におさまった彫刻という、それ自身、日常の現実からかけ離れた存在でなく、空間、環境、時間、行為などのいろんな現実の要素を加味した状況だ、というわけである。実験展に参加した12人は京阪神の若い前衛作家たちに、名古屋、東京からも加わって頭脳をしぼった。第一の画廊で映像の虚像をうつした松本正司は第二の画廊で見る人の顔をうつしだすステンレス板の鏡板をすえつけ、さきの虚像のイメージを結合さす。西真は鏡面からガイ骨の絵に、宮川憲明は骨組だけの立方体からちゃんと出来上がった作品へ—と、時間的経過をストレートに組み込んだ作品を並べている。庄司達は白と赤の布地というきわめて日常的な素材を前後におきかえただけでイメージに結びつけ、柏原えつとむはブルーに着色したリンゴから、遠近法的に並べたガラス板へと「もの」の異質を見せながら、一連数字の配列によってイメージを統一する。河口龍夫は円錐から球へと作品を変えているが、その台上にうつした影が逆になっている。これによって作品のフォルムと別の意味の分裂を目ざしているわけだ。むずかしい理屈が並んだ展覧会のようだが、こうした実験で現代美術は「作品とは」「芸術とは」という問いかけに対し一つの解答を見せているようである。=亀田正雄記者 会場風景=スペース・ピカで(毎日新聞 1969年6月13日)
「時間と空間のイメージ スペース・アーチスト 松本正司」宇宙船アポロ8号〜10号から送られてきた月旅行のナマ中継は、地上から見上げていた「月」のイメージを変えるとともに、わたしたちに全く新しい体験をもたらせました。アポロからの宇宙中継でテレビにうつし出された月のイメージは、今、わたしたちは宇宙飛行士と同じ月を目にし、同じ経験をしているのだという同時性とその臨場感によって、一瞬のうちに茶の間から月へ時間と空間をとびこえ、宇宙船にのりこんで月旅行に参加し、体験しているように感じさせました。テレビの画像は、決して実物の再現ではなく、また実物そのものでもなく、実物のイメージただそれだけですが、それは現実との同時性と触覚的にわたしたちの五感をつつみこむ強い力によって、イメージ自体がわたしたちの現実となります。だから、テレビをみているわたしたちにとって、画面にうつった月の情景、すなわちテレビのイメージそのものが現実であり、実際に宇宙旅行士がみている月は影にすぎないということになります。このようなテレビメディアによる「現代のイメージ」はわたしたちに今までにない視野を開いてくれたといえましょう。先日、何の関連もなく存在する二つの画廊を結んで「七二四秒イメージの結合」と題する展覧会が開かれました。京都の繁華街を歩いて七二四秒(約12分)かかる二つの画廊に、一点ずつ作品を並べ,画廊から画廊へ移動することによって、鑑賞者のイメージを自由に解放しようという試みで、「現代芸術は、それが一つのミクロコスモスを構築していた従来の芸術作品、すなわち額縁で仕切られたカンバスとか台座にそなえられた大理石といった現実と異質の次元にあるのではなく、いまや芸術は、空間、時間、環境、行為などの非限定的で不確実な要素を積極的に導入することによって、現実そのものの特殊な状況を具現しつつある。」といった観点にたって、京阪神の彫刻家、画家、建築家等12名が出品してました。そのなかに、映像と音による作品があって、二つの画廊間のきわめて日常的な街の風景を記録写真的にスナップしたカラースライドを次々と映写し、それに歩きながらの七二四秒の録音をスピーカーでバックに流している作品がありました。これは、映像メディアによるイメージそのものの実現の一方法であり、そのイメージはテレビ的な現実との同一性をもってわたしたちの視覚、聴覚、触覚等にうったえます。このような作品にあっては、うつされた一つ一つの画面に意味があるのではなく、映像と音の全体によって日常的な現実を存在として提出した「イメージの現実」なのであり、うつされた実際の風景や人間の存在は単なる材料として影にすぎなくなってしまいます。このように、日常的な現実に接して、感覚的で解覚的な時間と空間をイメージに統一するという現代美術も、私たちに今までにない新しい体験をあたえてくれます。七月、アポロ11号によって月面に人類初の第一歩が印るされようとしています。これはわたしたちが時間と空間のイメージをさらに解放する第一歩でもありましょう。(掲載紙面掲載年月日不明)
「724秒イメージの結合」京都市内の二つの画廊を会場とし、そのあいだの距離による時間(歩いて約12分)も作品のファクターとして計算に入れ、両方の作品のイメージを連関せしめようとする興味ある企画展が開かれた。松本正司、西真などが中心になってプランをねり、ほかに河口竜夫、柏原えつとむ、庄司達、宮川憲明など10名の作家が参加している。作品自体の統一ある完結性を解体し、空間と時間の流動的な現実の場のひとつのシチュエイションを創造することは、現代美術の大きな特長であるが、そういう断片的な美術の性格を際立たせるとともに、いくつかの作品の結合がまたあたらしい別個のイメージをもたらすことを立証するのは、たしかに実験として面白い。けれども今回の展覧会は実像と虚像といった、たんなるイメージの裏がえしやコントラストの提示に終り、それ以上の変容の過程を視覚化するには至っていないものが多かった。せまい会場に多数の作品を展示して、全体に混乱した印象しかあたえなかったことによるが、根本的には、出品作家のすべてに、共通の明確な制作の理念が欠如していたことが大きな原因であろう。両会場をつなぐ時間の意識も、河口竜夫の地図による作品以外ほとんど具体化されていなかった。その点、最初に企画されていたテレビの使用で実現出来なかったのは残念であった。(I)(「視るNo.26」京都国立美術館ニュース 1969年7月号くろにくるより)

○ 1969年11月?日—11月29日「柿田寿義個展」「展覧会メモ」会場を暗室と明るい部屋に分け、暗室には蛍光塗料を塗った細いビニール・ヒモが張りめぐらされ、紫外光線(ブラック・ライト)を受けて異様に光る。これと対照的に、明るい部屋(可視光源)では同じビニール・ヒモの蛍光塗料の効果が消えてヒモは物質化している。この“裏と表”の二つの仕掛けを通じて、新しいイメージを提示する。(京都新聞 1969年11月28日)

○ 1969年12月16日—12月25日「歳末芸術祭」「芸術バーゲン 画廊に列のできる人気」“歳末芸術祭”と名付け、京都市内の四画廊で16日午後から現代美術作家の余技作品の大売り出しが始まった。日ごろ静かなサロン・ムードがただよった各画廊とも開館を待つ列ができ、場内はデパートのバーゲン・セールなみの混雑ぶりで、どの画廊もわずか二時間で主要展示品が売り切れてしまった。ギャラリーココ(東山区三条通神宮道東入 柴谷清子さん経営)ギャラリー16(中京区寺町三条下る一筋目東入る 井上道子さん経営)ギャラリー・スペース・ピカ(同区新京極六角かど、ピカデリー劇場内、松本正司さんら共同経営)平安画廊(同区寺町通三条上る 竹内秋子さん経営)で、前衛派の平面造形やオブジェなどを展示、販売しているが“むずかしい”“わからない”と敬遠する人が多いので、作家たちに隠れたアイデアや余技を披露してもらい、格安で提供、画廊への親しみを高めてもらおうと企画した。タコ、お面、羽子板など正月用の遊具、オモチャをそろえたギャラリーココ。コップ、クッション貯金箱など実用品を並べたギャラリー16。一個10円の押しピンから一万円級の立体造形を並べたスペース・ピカ、絵画、彫塑、染色家たちの版画を集めた平安画廊と趣向もさまざまで中には各画廊を渡り歩いて買いあさる人もいた。25日まで。(京都新聞 1969年12月16日)

○ 1969年12月20日—1970年2月末日十週間 「松本正司“ミラー空間”展」京極東宝劇場ロビー「生活空間に働きかけ・・・」カガミによる環境空間を追求する作家、松本正司が、こんど芸術と社会の接点に働きかける創作活動の一つとして、京極東宝劇場のロビー壁面に、高さ三メートル、幅六メートルの場を使って「ミラー空間」を展開した。これは特定の環境空間でなく「芸術による生活空間の環境化を目的としたもの」だと作者はいっている。展開は二月末日までの会期中をつぎのような三次に分ける。第一次・20日—1月16日イメージの結合、第二次・1月17日—1月31日イメージの解放、第三次・2月1日—2月末日イメージの?(夕刊京都 1969年12月27日)

○ 1970年2月?日—3月1日「ミラー空間・カガミの国のアリス」ギャラリー・スペース・ピカ「展覧会メモ」広森雅子とアンタッチャブル。アルミハクで作った“ミラー・ボックス”を提示。不思議な空間をつくり出す。(京都新聞 1970年2月27日)

 

アート・コア

○建設中・ 「壁に手形ペタペタ 新京極建設中の美術ビル」京都の繁華街・新京極に近くお目見えする美術センター・ビルで、19日朝、若手美術家たちの“手形”をビル壁面にベタベタ刻む・・・という珍しいイベントが行われた。観念思考の強い昨今の現代美術界だが、このイベント「頭で考えるより、まず手で作ろう」という運動の象徴だとか。中京区新京極通寺町西入ルに建設中の鉄骨プレハブ三階建てビル「アート・コア(核)・ビル」は、一階が前衛画廊でおなじみの「ギャラリー16」と「喫茶ブティック」が入り、二階は細密画や織、陶器など、ミニ美術工房となる「アートコア・ホール」。三階が映写会や美術講演会、個展、イベントなど広範な美術運動に利用できる「アトリエ・アートコア」となっている。この日の“手形イベント”は、市内の前衛作家や芸大生十数人が集り、午前8時過ぎから表通りに面した2、3階のビル壁面に足場を組み、左官屋さんが塗ったばかりの柔らかな白色セメント(約25平米)の上へ、思い思いに手を押していった。画廊は9月中旬、その他は10月はじめにオープン予定のこのビル、ちょっとした新京極の名所?になりそうだが「人間と芸術のかかわりを、原初的な観点に立って見なおそうというのが、ボクらのねらい。そのシンボルとして、けさのイベントを開いた」とは主宰の松本正司の弁だった。(京都新聞 1973年8月20日)

○ オープン前「展評」今年に入って、大小さまざまな新画廊が各地に誕生した。その形態も現代美術の多様化を反映して、一時期までの画一的なものに限定されず、多彩になってきた。寺町三条下ル東入ルにこのほどオープンした「アートコア・ビル」は、一階表が楽しいオリジナル作品を並べたブティックと喫茶店、その置くが前衛画廊で知られるギャラリー16。2—3階は造形作家・松本正司を中心に関西の前衛作家たちが指導にあたる“現代美術の寺子屋”—。一階ギャラリーでは宇治市在住の野村耕が“目をテーマにした作品を展示(7日まで)している。目玉の部分は印刷物のコラージュ(はりつけ)、まわりが手描きという10点ほどの目が、うつろに鑑賞者を見つめる。かつて四つに組んだ前衛作品にエネルギーを燃やした作家にしては、少ししらけて斜めにかまえた個展ではある。二階のアートコア・ホールでは、8日から関西の前衛作家十数人による「映像と影像」展(17日まで)が計画されている。貸し会場、講演会、出版、京都プロジェクト計画、手づくり教室など、多角的な”現代美術センター“になりそうだ。(藤)(京都新聞 1973年10月5日)

○1973年10月8日—17日「オープニング展 映像と影像—フィルム・コミュニケーション」「影像に挑む作家たち アートコアでオープニング展」映像(フィルム)というメディアを使って、新しいイメージを展開しようという風潮が、若い美術作家の間で目立っている。従来の映画作家とも、写真作家とも異なる視点からフィルムにかかわり、ユニークな訴えかけをする作家も少なくない。もちろん、万博のマルチスクリーンに象徴される、機械力に依存した姿勢ではなく、逆にコンセプト・アート(観念芸術)の延長とも受けとれる。寺町三条下ルにお目見えしたアートコアでは、きたる17日までオープニング展「映像と影像—フィルム・コミュニケーション」を開いている。関西在住の美術作家14人が参加。8ミリフィルムやスライド、ビデオなどに楽しい試みをみせる。さまざまな日常的な光景のフィルムを断片的につなぎ合わせて、つかみどころのない現代をイメージ化した野村仁、美しい人工の虹をプリズムで作りだした植村義夫、観客に数種類のポジフィルムを自由に組み合わせて“風景のモンタージュ”を楽しめる・・・という楠秀男、線路を走り抜ける列車を2台のスライドによる時間差で追う沢居曜子、同一行為を三方からフィルムに収めて同一平面に投影する松本正司、さらには実物投影機を使って、セロテープの実物と影像をからませた村岡三郎、エンドレスのフィルムの効果で世界一周でもしそうな線路をうつす町野親生・・ともに“だまし精神”のあらわれか、女の顔をスライドで点滅させる石原薫の試みは動画の原理を提示したといえる。(藤)(京都新聞 1973年10月12日)
「反射鏡 フィルムコミュニケーションを主催する 松本正司さん(42)」−フィルムコミュニケーションのねらいは? 松本—世の中が、何でも細分化されて、共通の場というものが少ない。しかし、芸術を中心にすると、各方面の結びつきが比較的容易だと思う。その起爆剤に、情報性があり、マスでもミニでも伝達できる映像をやってみようというわけだ。 −共通の場を求めるなら、映像の出し放しではいけないだろう。 松本—だから、映像を見た人が、映像の中にはいったり、映像の出し手になるような“呼びかけ”の努力が必要だ。そんなことから、芸術が日常的になることを願っている。 −現在の映像芸術というわれるものは、わかりにくいといわれるが・・・。 松本—映像は必ずしも、物語を理解するといった理解のし方だけではないと思う。無心に見て、楽しいものが多い。(朝日新聞 1973年10月12日)
「人間と芸術社 げんだいの寺子屋がオープン 映像通し手で思考 展覧会や講演会を予定」観念や言葉が先行する現代社会にあって、美術、特に映像を通じて手で思考する現代の寺子屋「人間と芸術社」(松本正司主宰、京都市中京区寺町通三条下ル一筋目東入アートコアビル)がオープンした。人間と芸術にかかわる内容の種種の展覧会、展示会、講演会、講習会、映画会が開催される予定で、現在、オープニング展として「映像と影像」を開いている。人間と芸術社は二階が床面55平方メートル、壁面33平方メートル、移動壁面、音響設備が整っている。そして人間と芸術にかかわる自主企画の催しを繰り広げる。三階はアトリエを中心に、映像工房、細密画工房、手織り工房、版画工房など11工房が集まっている。そして、手で現代美術を確かめる人たちが集まり、そこに生まれる会話で未来を思考していこうという現代の寺子屋。特に、最近の美術界はセクトがあり、観念や言葉が先行するようになっている。それを打破し、人間的に広く、ひいては人類全体で思考していこうというのが人間と芸術社の主唱。中でも、映像は、テレビで代表されるように、常にわれわれが受け手となっている。しかし、その受け手から“送り手”になることによって、情報を選択、未来思考にもつながる。たとえば最近は8ミリ、16ミリカメラの普及で各家庭でも、スライドを作ったりする人が多くなっている。そこで、そのスライドをテレビの画面に映してみる。すると、そこに現代のイメージと、スライドがだぶり、一つの世界が広がり、コミュニケーションが生まれる。このように、機械は人間が使うためにあり、そこに映像の持ち味が生まれてくる。映像は見るだけではなく、作るところに意義がある−というのが松本さんの弁。松本さんは「映像方法によって、あらゆる人たちの間にコミュニケーションが生まれることを目ざしています。映像に関心のある人なら、だれでも受けいれていくというのが同社の特徴です。とにかく手でたしかめる人たちの集団がこの人間です。展示台、照明器具などもそろえています」と話している。同社の人間と芸術にかかわるすべての催しの中から様々なコミュニケーションが生まれ、未来が広がる—とユニークな人間と芸術社の活動に期待したい。(写真 映像から会話が−とオープンした人間と芸術社)(夕刊京都 1973年10月13日)

○1973年11月?日—12月2日「写真展」写真家・浜岡昇を中心とした十数人のメンバーが、同一ヌードを対象に30数点の写真作品を発表。(京都新聞 1973年11月30日)
「“自由”の中にあふれる個性 新しい美を追求 N写真展 思い思いの角度で 人間と芸術社」手で思考する現代の寺子屋として、さる10月6日にオープンした人間と芸術社(アート・コア)=中京区寺町通三条下ル一筋目東入=は、当初、同社二階で開催された映像展に十日間で約700人の若者たちを動員、以降、現代の寺子屋的存在として、ユニークな展示会、講演会を開催している。現在“N写真展”と銘打った展示会が開かれているが、実に自由奔放な、かといって不まじめではなく、アマチュア写真家たちの熱心な作品26点が展示されている。同展覧会は、たまたまヌード・クロッキーの外国のモデルさん(19)が同社に来ていて、写真の方のモデルになってもらとうということで急拠、ヌード撮影会を開き、その時集まった知らない同士が、“撮影会だけでは面白くないから、展示会を開いて話し合おう”ということで開催されたもの。“N”は「ヌード」と知らない者同士の「仲間」からつけられた。出品者はアマチュア写真家が大半だが、京の百景制作者の全フィルを撮った浜岡昇さん、そして奥さんの仲子さん、同社代表社の松本司頌さんも出品している。思い思いにシャッターをきり、それぞれに個性あふれる作品に仕上げている。四ツ切りあり、半切りあり、全紙ありと大きさもまちまち。また、出来上がった写真を切って多面体に張りつけたり(加藤醸師作品)色のついた陰画紙を使用したり(隈井九州男作品)、カラー作品(細井治作品)と、それはそれはバラエティーに富んでいる。技術的な上手、下手はともかく、急に撮影会を開き、せっかくだからちょっと作品を並べて話し合おう−というその自然の成り行きの中から、昨日まで知らない同士だったのが、ヌード写真のシャッターをきったことによって仲間となり、新しい手さぐりの思考が生まれるところに妙なるものがあるようだ。(夕刊京都 1973年12月1日)
「人間と芸術社 N写真展によせて プロ写真家の興味深い企画 作品と作者の対話 人間味があふれて」さる一日、本誌二面で「自由の中にあふれる個性」として、人間と芸術社の「N写真展」を紹介した。それに対し、有名な写真家と名のる京都市左京区下鴨の主林巴須夫氏から写真投稿があった。題して「作品とその作者」。氏のいわく「作品よりもそれを作った作者の方に興味を感じ、それぞれの画の前でスナップさせてもらった」そうだ。メリケン・ヌード嬢を前にシャッターを切った人間とその作品、よく見れば、人間味があふれている。写真の作品展に対し、写真で反応する面白さが、同氏の作品にはある。同氏いわく「アートコアホール(人間と芸術社)の展示をのぞきました。正直なところ、従来の写真展と大して変わりばえはしない。特に感動した作も無ければ衝撃のヌードもなかった。ちょっと面白いと思ったのは、松本、加藤両君の作だが、これとて特に珍しい実験でもない。なべておとなしい作品で、ヘンにドギツクなく、好感のもてる展示でありました。この日たまたま、出品した人たち(知らない仲間同士?)が打ち上げパーティーであったのか、一堂に集まっていた。ぼくは作品よりもそれを作った作者の方に興味を感じ、それぞれの画の前でスナップさせてもらった」。ということで、スナップ(キャビネ)9枚が本誌に投稿された。「つまり、この顔が背後の作品を写した犯人、いや本人なのである。一見一クセありげな顔も、無いこともないが、総じて善良な小市民というか、ダンナ様だね(紅一点の横川君はお嬢さま)。ここなる町の芸術家たちが、共通の被写体であるヌード嬢にいかに取組み、どんなマナザシで、いかなるカッコウでシャッターを切ったでありましょうか」同氏は付け加えている。同氏の送付されてきた作品は、ヌードをとった人間とその作品との対話が感じられ、作品がモノを語るような気さえする。個々の作品にいかにしてモノを言わせるかを暗示したような同氏の作品である。ちなみに別須単吉氏(写真1)は元NHKに勤務。自称プロ写真家。松本氏(写真2)はいけばな阿吽の会の一員で、アートコアの主宰者でもある。紅一点の横川幸代さん(写真3)は元図書館勤務、現在花嫁修業中? とか。近藤五一氏(写真4)は町の牛乳屋さん。それぞれアマチュア写真家だが、こうして作品と並ぶと、その人間味が加わって、作品にも味がそえられる。(夕刊京都 1973年12月22日)

○ 1973年12月6日—12月12日「アート・コア・フィルム・トリップ」アートコアでは、12日まで関西作家による映像展「アート・コア・フィルム・トリップ」を開いている。7日は植村義夫、松本正司、三木峰行、8・9両日は野村仁、松本文子、元永定正、11日12日両日は河口竜夫、柏原えつとむ、村岡三郎、米津茂英。毎日午後3時、6時の2回上映。有料(京都新聞 1973年12月7日)
「私にも写せます」と、映像作  の芸術家が、手づくりで制作した映像作品の「フィルム・トリップ」が6日から12日まで、中京区寺町三条下ルのアートコア・ホールで上映される。同ホールを経営する京極の映像作家松本正司さん(41)が企画し  ので、植村義夫、松本正司、三木峰行(6、7日)野村仁、松本文子、元永定正(8,9日)柏原えつとむ、河口龍夫、村岡三郎、米津茂英(11、12日)の順に公開される。(毎日午後3時と6時の2回)。フィルムは8ミリと16ミリの二種類。黒白あり、カラーあり。“映像作家”と呼ばれるのは松本正司さnくらいのものだが、みんな自由な発想で、それぞれの芸術指向を映像で表現している。植村さん(版画)の「ムービング・ピクチュア」は東西の“なつかしの名画”をバラバラにしてつないだもので、チャップリンから丹下左膳まで登場する。洋画家、元永さんは、35ミリの無地フィルムを買って来て一コマ一コマ、カラーで手描きのアニメーションを作り、それを16ミリに縮小した。一秒間二十四もの。観念アートの野村さんも、大阪への通勤の途中をカットでつなぎ、現代人の置かれている状況を描く。柏原、河口、米津さんら観念的指向の強い作家は、それぞれの手法で映像に取り組み、特に柏原さんの「サタワル」は、南洋の島で採集した土俗的な音を使った意欲作。前売券は200円、当日300円。京都書院、ギャラリー16、ギャラリー射手座などで扱っている。(毎日新聞 1973年12月5日)

○ 1973年12月15日 美術講演会「ヨーロッパ美術の現状」
講師:峯村敏明、河口竜夫、狗巻賢二 午後6時より 会費500円 定員制

○ 1973年12月16日 美術講演会「サンパウロ・ビエンナーレ展をめぐって」
講師:中原佑介、河口竜夫 午後3時より 会費500円 定員制

○1973年12月19日—12月28日「アート・コア・アートバザール」彫金、工芸、絵画、版画などのバザール。

○ 1974年1月15日—3月9日「現代美術’73-‘74」「現代美術’73—‘74」アートコア。美術ヲ中心とした人と人との心のふれあい、話しあいによる創造の場として企画され、会期を4分して各回10人程度の作家が出品。第一次:1月15日—1月26日 狗巻賢二、河口龍夫、野村仁、水上旬ら11人 第二次:1月29日—2月9日 芥川耿、石原薫、下谷千尋、松本正司ら12人 第三次:2月12日—2月23日 木村光佑、清水九兵衛、不動茂弥、吉原英雄ら10人 第四次:2月26日—3月9日 20代の作家7人(京都新聞 1974年1月11日「現代美術’73-‘74」)
「現代美術展」関西在住の作家が絵画、版画、彫刻、コンセプチュアルな作品を発表。メンバーは狗巻賢二、今井祝雄、植松奎二、河口龍夫、北辻良央、小清水漸、野村仁、福岡道雄、水上旬、山本圭吾、米津茂英。(京都新聞 1974年1月12日)
「観念の楽しみ競い合う」前衛的な現代美術にかかわる関西在住の作家約40人が四期に分かれて参加する「現代美術’73-‘74」展が京都市中京区寺町三条下ル東入ル、アートコア・ホールで開かれている。第一期(26日まで)では、11人の作家が、かなりコンセプチュアル(観念的)な“作品”を展示している。構成写真を使って人間の視覚を“試す”山本圭吾と河口竜夫、カタカナと英文で文章の“暗号解読”の美しさを秘める水上旬、黒い雄雌の犬の交尾状態を造形した福岡道雄、八種の糸とレコード針で観客が自由に音を造り出せる素朴な仕掛けを提示した野村仁などが楽しい。大上段にふりかぶった現代美術展というより、むしろ見た目には貧しい“小道具”を用いながら、観念の楽しみを競い合う正月らしい実験展といえそうだ。(F)(京都新聞 1974年1月19日)
「創造活動通じて未来を展望 現代美術’73—’74 多岐にわたり長期的公開で 対話する空間を 3月9日まで人間と芸術社 個性豊かな作品群」(夕刊京都 1974年1月19日)画像あり
「文化らうんじ」美術によるコミュニケーション、人と人とのふれあいをめざす展示。芥川耿、池水慶一、石原薫、国島征二、下谷千尋、庄司達、野島二郎、松本正司、宮川憲明、宮崎豊治、村岡三郎、森口宏一の作品。(朝日新聞 1974年1月25日)
「現代美術’73-‘74第二次展に出品している野島二郎さん」この展覧会は、美術を通じてコミュニケーションをはかるということですが、作品を作ることに関しては、そんなことは意識しませんでした。しかし、ただ、何となく並べるという既成の発表形式からは抜け出して、何かやらねば、ということは考えていました。鑑賞する人たちと対話するということも、この展覧会の一つの試みですが、私の場合、作品そのものをことばに直すと、不自然になる。私にとっては作るという作業が大切なので、発想などを話すより、技術、材料、制作の過程などを説明して「どうして作品が生まれたのか」「何のために作るのか」について話し合い、作家の心をわかってもらえるよう、話をしたいと思います。それにしても、こうした企画は一発ではだめなので、作家も努力して、細くても長く続くようにしたいものです。(朝日新聞 1974年2月1日)
「展評」今週第二回展(9日まで)を迎え、11人の前衛作家が、さまざまな試みを見せてくれる。松本正司は隠し仕掛けでビデオの時計と本モノの時計をからませて、影像の不思議を見せる。森口宏一は一本の足だけが上に付いた“三本足のテーブル”—。庄司達は黒い布地で宮崎豊治はマス形の容器で、宮川義明は石コウ立体と平面図で、それぞれ形体の不思議を考えさす。池水慶一は等身大のラクダ、石原薫は少女のヌードを、ともに写真で。野島二郎は真ちゅう板をグニャリと曲げた“だまし造形”、下谷は石片を方形に積み重ねてその上にメジャーを印刷。国島征二は地表のはぎとり行為か。ひとり芥川耿が、真空管内の羽根を光源でまわす・・・というかわいい仕掛けを示しているのが印象的。(藤)(京都新聞 1974年2月2日)
「文化短信」美術を通してコミュニケーションをはかる企画だが、今回は木村光祐、清水九兵衛、西真、野崎一良、林剛、不動茂弥、元永定正、吉原英雄と、よく名の知られた作家が出品。(毎日新聞 1974年2月6日)
「展評」第三弾は関西在住の造形作家十人が参加。23日まで開かれている。絵画の不動茂弥、並木光昭、元永定正、版画の吉原英雄、西真、木村光佑、関根勢之助、立体の清水九兵衛、野崎一良、写真の林剛。中でも林が十数枚の連続写真でコミックなカラクリを見せてくれる。門のところに犬がいる、ごくありふれた一枚の写真から、門表の「犬」の字をはぎとり、さらにはその文字を拡大レタリングして別の風景の中に入れ込み、最後には元のところに収める・・・という仕掛けだが、この連続組み写真を目で追っていると、写真と現実とのかかわりなどが、写真のナゾ解きの合間に、新鮮な形でよみがえってくる。写真という平凡な表現媒体を使って、観念的な思考の跡を明快にみせてくれる数少ない前衛派の一人だ。(藤)(京都新聞 1974年2月16日)
「ガイド 造形のおもしろさ 現代美術企画展開く」中京区寺町三条下ルの“アート・コアホール”で「現代美術73—74」と題する企画展の第三次展が開かれている。1973年から74年にかけての暗い危機感を、いろんな方法で表現しようと、同ホールの経営者で映像作家の松本正司さんが、関西の気鋭の作家42人に呼びかけて企画したもの。二次展までに、観念アート、版画、立体など、松本さんを含めて二十三作家が出品した。第三次展に出品しているのは、元具体美術の元永定正、パンリアルの並木光昭、不動茂弥、版画の吉原英雄、木村光佑、関根勢之助、西真、立体の清水久兵衛、野崎一良、グラフィックの林剛など、そうそうたる顔ぶれ。観念的な色彩の強かった二次展までに比べ、三次展は、造形そのものの面白さを見せてくれる。それに“仲間同志”の自主企画といった気やすいムードを反映して、いろんな傾向のものが自由な「造形による対話」を試みている感じ。第三次展は23日まで。26日からの第四次展は、芸大専攻科などの新人十人が予定されており、「何が飛び出すか」といった期待と楽しみを持たせる。(毎日新聞 1974年2月20日)
「展評」最後の第四次展(9日まで)を迎え、観念思考の強い若手十人がさまざまな試みをみせている。メンバーは、井田彪、片岡友和、楠秀雄、小林信雄、沢居曜子、鈴鹿芳康、田中俊昭、殿浦伸明、村田千秋、吉武賢。“観念的密室”の世界ともいえるこの種の表現行為は、すでに手を変え品を変えて試みられており、よほど研ぎすまされた思考と方法論を準備しないと、密室のひとりよがりに陥りがちだ。四次にわたる一連の“指向”の跡をふり返りながら、多極化し混迷し続ける現代美術の一面をダイジェスト風に見せられた思いが強い。(潤)(京都新聞 1974年3月2日)

○ 「短信」「現代の寺子屋」をキャッチフレーズにした美術教室「アトリエ・アート・コア」(京都市中京区寺町通三条下ル東入ル)が4月からオープンすることになり、会員を募集している。関西在住の現代作家たちが指導にあたり「手でたしかめ、心で見、明日を指向する、少人数制の寺子屋式美術教室がねらい。工房は水墨、細密画、運筆、シルクスクリーン、現代美術、写真、レタリング・・・などに分かれ、ほかに女性教室もある。電話申し込みは223−1760へ。(京都新聞 1974年3月23日)

○ 「4月開講 会員を募集 アトリエ・アート・コア」現代の寺子屋アート・コア・ホールでは「アトリエ・アート・コア」を四月から開講、その会員募集を行なっている。同アトリエは手で自らをたしかめ、心で見、あすを指向する少人数制の寺子屋式美術教室。各担当は次の通り。(敬称略)墨の造形工房・要樹平、細密画工房・石原薫、運筆画工房・並木光昭、シルクスクリーン工房・楠秀男、映像工房・松本正司 植村義夫他、現代美術工房・現代美術作家多数、写真教室・浜岡昇、レ多リング教室・郷倉裕子。またアート・コア女性教室は、英会話教室・外国人教師、紙人形教室・前田俊子、アートフラワー教室・山田雅子、いけばな教室は京都未生学院で。入会、申し込み、問い合わせはアート・コアまで、電話223−1760。(夕刊京都 1974年3月30日)

○ 1974年4月2日—6日「大映映画を見る会」雨月物語

○ 1974年4月7日—10日「大映映画を見る会」新平家物語

○ 1974年4月11日—13日「大映映画を見る会」近松物語
6,7,13日は午後2時、6時の二回上映、他は午後6時半から。前売り券(300円はアートコアと京都書院(河原町四条上ル)で発売。定員制。「映画人の情熱こめて 大映の闘いドキュメント展 800日余も闘争の労組」映画の灯を消さない―と、会社の倒産以後、5日で836日間も闘争を続けている、大映労組の闘いの記録を展示する「大映の闘いドキュメント展」が、13日まで、京都市中京区寺町通三条下ル、アートコアホールで開かれている。46年12月に大映は倒産したが、東京・京都両撮影所の人たちを中心とする、約280人の組合員たちは、映画製作再開をめざし、団結している。市民との連帯を深めようと、過去の名作の上映会も開いているが、この展覧会もそうした一環。展示されているのは、約150枚の写真と、倒産当時の新聞、溝口監督の「羅生門」がベニス映画祭でグランプリのトロフィーのレプリカなど。3月11日に京都地評などが、大映に融資していた富士銀行を“倒産させた張本人”として「働く者に職場と仕事を返せ」と抗議行動をした際のビデオも上映されている。グランプリ・トロフィーのレプリカは京都撮影所の中庭に置かれていたもの。かつてのはなやかさの面影をしのばせるが、これをおさめたケースにはられた「賃金を払え」「資産の持ち逃げを許すな」などのビラが、闘争の深刻さを物語っている。写真は永田前社長との団交、抗議集会などだが、映像を扱っている人たちだけに、ツボを的確に押えている。展示を通じて「映画人の映画に対する情熱がくみとれる」という声が多い。最近、撮影所が“組合員つき”で売却され、新たなオーナーの下で、映画製作を再開させようという動きがあるという。日本映画が、どん底から抜け出そうとして努力している折からの、ドキュメント展は、市民に映画への関心を呼ぶ一助になるだろうと見られている。(朝日新聞 1974年4月5日)

○1974年4月30日—5月12日「版画・複数性→享受」若手17人の版画。「展評」版画は今や単なる“複数性”の強味というだけでなく、“転写”の行為に秘められた独自なイメージ発掘という特異性によって、多くの作家が手がけている。今回の「版画 複数制→享受」展も若い世代の17人がシルクスクリーン、リトグラフなどさまざまな方法を手にして、纏めた時代の反映を思わす作品を並べている。地下鉄の風景写真と、その写真にシワをつけて新聞紙の上で再度写真にした福田幸三、金アミをプレスにかけた清けつな空刷りの沢居曜子、虚の空間をねらった山田信義など。かなりの観念思考型ではあるが、数枚の紙をまとめてシワにし、それを配列した小林伸雄の“転写”意識も興味をそそる。(藤)(京都新聞 1974年5月4日)

○ 1974年5月25日—28日「初国知所之天皇」 「映画」「初国知所之天皇」上映25−26日。原正孝が日本統一政権を樹立した天皇をテーマに制作、脚本、演出、撮影、主演、音楽、編集をやってのけたカラー作品で、上映時間7時間半の超大作。上映か意思は25日が午後11時。26日が午前11時。午後11時。1000円(前売り600円)(新聞不明 1974年5月17日)
上映時間8時間の超ロングラン実験映画「初国知所之天皇(はつくにしらすすめらみこと)」が25日から3日間、京都市中京区寺町三条下ル、アートコアホールで上映される。京都での上映は今春2月に続き2度目。この映画は、東京の新進映像作家・原正孝が3年の歳月を費やして完成した。高校時代にs処女作「悲しみに色どられたおかしさのバラード」で草月シネマテーク大賞を獲得して注目を集めた原が、これまでの映画の概念を打ち破ろうと、製作から脚本、出演、音楽、効果、編集に至るまですべて一人でやってのけた。なにからなにまで型破りな映画。フィルムも8ミリと16ミリを交互に使っている。テーマは、映像と作者自身のかかわり。昨年夏からことし4月まで東京・渋谷のミニ・シアターでロング・ラン上映した。ことし2月、京都市左京区の「北大路トーラス」でも公開、好評を集めている。上映は、25日午後11時から26日午前8時までと、同日午前11時から午後8時まで、同11時から27日午前8時までの3回。前売り券800円。当日券千円。前売り券は「アートコア」=電話075(334)1760=で。(京都新聞 1974年5月18日)
「制作から演出・主演・     たった一人で7役」上映時間実に7時間半におよぶ映画が自主上映される。「初国知所之天皇」(ハツクイシラススメラミコト)という作品で、制作、演出、脚本、主演、作詞、作曲、演奏、編集まで原正孝ただ一人でなしとげたそうだ。映画は、神話を型どった原正孝の心象風景を描いており「映画によって映画自身を問うつもりだったが、出来上がった段階では映画はしょせん映画でしかなかった」と、いかにもアングラ作家らしい     」(毎日新聞夕刊 1974年5月23日)

○「画廊散歩 アートコアホール」おいたち:その数80に及ぶといわれる京の画廊街にあって異色中の異色。現代美術の発表を中心に、演劇や映画上映、生け花展まで開かれるという多彩さだ。「画廊は絵画や彫刻を展観するスペース」といった従来の画一的な画廊を連想する向きには、多様化する現代美術を見た時の、あの驚きにも似た画廊の新形態である。主宰するのは造形作家の松本正司さん(42)で、昨年10月のオープン。 目的:「美術に限らず、いろんな人が集り“あすの芸術”を思考する場」と、ねらいは大きい。そのため「単に見せることにとどまらず、階上のスペースで版画やレタリング、細密画、写真、生け花教室を開講。講師陣には関西の前衛作家が当り、生徒には“手で思考させる”いわば寺子屋現代版。将来は映像の工房も設けるという。 環境:寺町三条下ル東入ル。アート・コアビル2Fにあり、一階はギャラリー16。現代美術ファンにはまことによい場所だ。  ひとこと:作家に画廊経営、京都未生学院長—三足のワラジをはく松本さんだが、経営の才もなかなか。一週間8万円で画廊を貸し、企画展も「現代美術を生活に取り入れるファンもふえて少しは売れます」もち論、“寺子屋”も受講料がいり、採算をとっている。3年前、現代作家10人と共同出資で発表のスペース“ピカ”を持った経験を生かしている。たとえ貸し画廊でも“あすを目指す”グループや個人に限定する松本さん。このスペース運営は、あくまで作家活動の一環であるようだ。午前11時—午後7時。月曜休み。(T)(京都新聞 1974年5月25日)

○ 1974年5月28日—6月8日「これがモナリザ展」若い前衛作家によるモナ・リザのバリエーション。
「モナリザ 今度は殺される!? 前衛作家の“皮肉作品”」トイレットペーパーや小旗、はては越中ふんどしにまで、モナリザの顔、顔、顔・・・。京都市中京区寺町通三条下ルのアートコアホールで開かれている「これが『モナリザ』展」に、さまざまにパロディ化されたジョロンダ夫人が並んで、見る人はびっくり。名古屋の前衛作家16人が、東京・上野の「モナリザ展」を皮肉ってつくった作品。なかでも、ジョコンダ夫人の人形(?)をかんおけにいれた作品が、ひときわ目を引いている。そばにかかげられた文面によると「モナリザは東京国立博物館で死去。仏国ルーブル美術館で病気療養中のところ、東京国立博物館へ強制移送したため」とある。「御会葬御礼」の封書も用意され、中には清めの塩袋が入れられているこり方。マルセル・デュシャンやダリをはじめ「モナリザ」もいろいろパロディ化されたり、変身させられているが、殺されたのはこれが最初ではないか、と評判。(写真は三色旗に包まれ、かんおけに入れられたモナリザ)(新聞不明 月日不明)
「ヤング」東京・上野の森「モナリザ展」の向こうをはって若い現代作家16人による「これが“モナリザ”展」が28日から寺町通三条下ル一筋目東入ルアート・コアで開かれる。名古屋在住の水上旬、国島征二、近藤文雄ら絵画、立体のモダンアートの作家たちが、フランスの宝といわれるモナリザの「偽善的なほほえみ」に挑戦、ヌードのモナリザなどダリ顔負けのパロディーとハプニングを展開する。さきに名古屋市内で開かれて若者たちに好評だったところから、京都に持ってきた。6月8日まで。無料。(新聞不明 月日不明)

○ 1974年6月11日—6月23日「志水正明展」
ニューリアリズム絵画を指向する若い作家で、京都芸大専攻科在学中。(新聞不明 1974年6月7日)「展評」「リアリズムの新しい波」と銘打った企画展。第一陣の志水正明は、オートバイやレーシングカー、ジェット戦闘機などメカニックな現代の機械を、写真そっくりに描く流行の“フォト・リアリズム”派の一人。感情をこめず、ただ写真をもとに拡大描写している作業だが、細部の器具に至るまで吹きつけによってそっくりに再現すると、画面の大きさも手伝ってか不思議な迫力が生じる。京都芸大専攻科在学中の若手。(京都新聞 1974年6月15日)
「情緒を拒否した絵画 志水正明・小林伸雄展」アート・コアホールでも、絵画—リアリズムの新しい波—と銘打って志水正明展が行われているが25日からは、小林伸雄展。1971年から74年までの作品11点を展示する。小林氏の作品も志水氏のと同様、エア・スプレーで巧妙に描かれたもので、まさに写真そのもの。車、新幹線を素材に取り上げ、三十枚一組とか五枚一組など全部で11作品。絵画から情緒を拒否し、カメラアイから見たそのままを、キャンバスに。ブレタもの、ピンボケ、露出不足、露出オーバーなど、メカニックでクールなのが特徴的。「美術手帖を見て影響されたのが、こんな絵を描いたきっかけ。これからは、何が描いてあるかわからない粒子そのもの像を意識しないものを描きたい。描いてあるもの自体は重要でないんです」と小林氏は、動機と豊富を語る。(夕刊京都 1974年6月22日)

○ 1974年6月25日—7月7日「小林伸雄展」
ニューリアリズム界がを手がけている新進。(新聞不明 1974年6月21日)「展評」若い世代の小林伸雄もニューリアリズム絵画を追求する一人。ただ、ニューヨーク派が描く対象物にのめり込んで、執念深く無心にエアブラシ(吹きつけ)や絵筆を動かし続けるのに比べ、日本作家の場合、どこかにデリケートな屈折があるようだ。この作家も、高速道路や新幹線、乗用車などを写し取っているが、カメラの焦点を変えたり、無関係な写真の切り抜き部分おw組み合わすなど、かなり観念思考が前提になっている。(藤)(京都新聞 1974年6月29日)

○ 1974年7月?日—7月20日「松本正司展」「展評」松本正司は、写真、スライド、ビデオで新型ぶりを発揮する。テレビの画面に、御所を歩く一人の女の動きがビデオ撮りされ、その上に同一女性の連続コマ写真がスライド投影される、という一種の合成映像。映像のもつ虚像性や時間性を逆手にとった試みではある。(潤)(京都新聞 1974年7月13日)

○7月?日—8月4日「版画—情報—」「京都芸大の若手3人が二画廊(堀川通四条上ル・ギャラリー観、寺町通三条下ル東入ルアートコア・ホール いずれも4日まで)を会場に、映像と版画のグループ展を開き、若者らしい思考を見せている。メンバーは三宅章介、福田幸三、藤本秀樹—。三宅は人間の視覚のあいまいさを見事についている。まるっきり同じに見える写真が、実はいくつかのカンやリンゴの組み合わせによる全く別個のものでありただの新聞紙?も近寄れば大きな網目で字が読めなくなってしまうシルクスクリーン・・・といった具合。藤本はエンドレスの8ミリ映画。その1コマ1コマは草ムラに立つ男だが、画面はタテに三等分されて組み替えられており、これが連続してスクリーンに映し出されるとますます不思議なアニメーションが生まれる。また、福田は街を車で流しながら撮影したビデオとブラウン管を1分間隔に時計の文字を映し、映像につきまとう虚の時間に具体性を持たせた。なお、ギャルリー観には小林伸雄が加わり、エアブラシによる作品を出している。(潤)(京都新聞1974年8月3日)

 

○ 1974年8月6日—8月11日「ビデオ・コミュニケーション」「ビデオ・コミュニケ—ション」松本正司、米津茂英ら8人が、ビデオで撮影した作品を数台のテレビで写す。(新聞不明 1974年8月2日)
「映像を追う作家たち」8人の映像作家が「ビデオ・コミュニケーション」なる企画展を開いている。彼らは、ビデオという現代のメカニズムを使いながら、メカニズム文化から遠ざかるような試みを続ける。たとえば岩越園子はテレビのメロドラマやニュース、歌謡ショーやコマーシャルなどのショットをビデオ撮りして放映し、もう1台のテレビにそれぞれの部分のセリフを文字になおして同時放映する、という一種の紙芝居化。松本正司はビデオ・カメラを手にぶらさげて街中を一周し、さかさ撮りした“無意識のフィルム”を放映している。山本圭吾は白布の中に身体を埋め、その動きを通して布地と自己との関係を確認しようとし、植村義夫は極端にクローズアップ撮影した肉体の各部分に異様な風景を想念させる。ほかに米津茂英、福田幸三、三宅章介、小林伸雄。一見、しらけたような行為の中に、現代作家たちが何を志向し、コンセプチュアル(観念的)な試みを何とか映像媒体に託そうと苦心している跡がみえる企画展ではある。(潤)(京都新聞 1974年8月10日)
「ガイド ビデオで再現し鑑賞者と対話を 映像作家がコミュニケーション展を開く」ビデオフィルムで、それぞれのイメージを再現、鑑賞者との対話を試みよう−と関西に住む八人の若手映像作家が11日まで、中京区新京極三条下ル、アート・コア・ホールで「ビデオ・コミュニケーション」展を開いている。京都の松本正司、植村義夫、福田幸三、米津茂英、大阪の小林伸雄、三宅章介、兵庫の岩越園子、福井の山本圭吾さんの8人で、それぞれ15分から20分の作品を5台のテレビを使って順番に上映している。松本さんはアート・コア・ホールを中心に上映時間いっぱいの二十分間、新京極や河原町通をカメラを担いで歩き回り、街角の出来事を写し出し、映像の合間に単純な言葉をそう入、画面と言葉の結合を試みている。また、植村さんは自分の体の部分をクローズアップレンズで大写しするなど、各作家がユニークな作品を出展している。(各作家がユニークな作品を出している「ビデオ・コミュニケーション」展 京のアートコアホールで)(新聞不明 1974年8月日付不明)

○ 1974年日付不明—9月8日「三人展」「展覧会ガイド」松戸市在住の中町薫は、ポスターや領収書、個展案内状、グラビア雑誌など雑多な印刷物の部分部分にナマリ片をはりつけている。横浜市在住のウチモト・シゲヒコはロープや木、石、手袋などを床に並べた状況設定、町田市在住の柴沢勝造は東京個展の作品写真を朱のマジックペンで市松模様に塗りつぶして模様化した仕事。(京都新聞 1974年9月7日)

○ 1974年9月10日—9月15日「高辻敏功展」「展覧会ガイド」日大芸術学部出身、京都在住の若手作家。包装用の紙やアルミ薄板を幾枚も重ね折り、その上を実際に車のタイヤが走り抜けた跡をみせる。「推定」と題した、かなり観念的な状況設定ではある。(京都新聞 1974年9月14日)

○ 1974年9月17日—9月22日「花岡篤夫展」「展評」日大芸術学部出身の若手・花岡篤夫は、光と影の織りなす状況づくりをみせている。画廊空間を木ワクに張った白布で二分し、光源を消したり強弱をつけたりして布地にシルエットをうつす。ゆれ動く自分のシルエットを筆で布地になぞっていったり、突然暗ヤミにしたり・・・。影を通して実体を連想させる楽しみがそこにある。ただ、6日間の会期中、初日は布と木ワクだけ、2日目がそれにヤミを加え、続いて人の影を・・・というプログラムは、あくまで個人的であって、一回きりしか訪れない観客を納得させるには弱い。(京都新聞 1974年9月21日)

○ 1974年9月24日—9月29日「アトリエ・アートコア展」「展覧会ガイド」今年4月に開講したシルクスクリーン、レタリング、写真、細密画の各教室の受講者25人が、半年間の勉強の成果を発表。(京都新聞 1974年9月28日)

○ 1974年10月?日—19日「アートコア開設一周年記念個展 松本正司展」「ささやか対談 MINI INTERVIEW 二足、三足のワラジ? 作家 松本正司さん」京都未生流家元の長男として1931年生まれる。モビール、鉄彫刻などを経て、現在、映像表現を手がける前衛作家。次期家元の”家元嗣”でもあり伝統と前衛の2つの世界で活躍。昨今の表現メディアの多様化は驚くばかりである。便宜上、画家、彫刻家、陶芸家・・・とそのメディアで作家を分類したところで、旧来の概念から予想した作品とはつながって来ない。それだけ、制作活動の手段が複雑化し、その制作態度が一つのチャンネルに集約化—専門化してきたということだろう。その半面、より多くのメディアを駆使して、より多くの発言をする作家を生んだ。これは単なる好奇心、“浮気”的な制作というより、より豊富で自由な表現を目指したもので”マルチプル作家”とでも言えようか。前衛作家に華道の次期家元、現代美術の寺子屋「アートコア」経営・・・と幾つかの“顔”を持つ松本さんの二足、三足のワラジをはく弁は・・・。「ピカソは油絵から版画、陶芸など、いろいろやっていますね。だれも不思議と思わない。つまり、思想、思考は何をやっても同じだから。美術はメディアの統一でなく、その人の生き方、思考の一貫性ですよ」まずは一般的にとらえ「私の場合は—」と具体的になってくる。「新しもの食いではありません。学校(美工—美専)の場合、運筆あり、油絵あり、製図あり、陶器ありだったが、わたしは立体にひかれた。それを土でやったり鉄であったりしたが、創りたいものは同じだった。それを端てきに出せるメディアがあればよい訳で、ぼくはメディアとして間口が広いと言えますね。」—その広い間口の効用は?「何より発言しやすい。今、ぼくは映像や立体に一応の技術を持っているが、発想自体も広くなった。もし、これがなかったら発想もポシャる時があるなあ」—あなたにとって、前衛美術と生け花のかね合いは?「一方は無機的で片や有機的な素材だが、共に立体なのだから・・・。彫刻も生け花も、ぼくの中では区別出来ないし同じ次元で考えています」—しかし、華道は、いたって伝統的な世界だし、前衛作家、フリーの作家としての矛盾は感じません?「それは機械の問題でしょ。内部(作家)としては同じとらえてます。自由で超流派の“阿吽の会”という前衛華道の会をつくっており、もう15年になりますか。花を生ける場合、ぼくは機構上の意識になりきれない。ダメなのかなあ」—現代美術の寺子屋をはじめたのは?「美術はすごく専門化、細分化されており、現代美術はその先端にある。見ただけでわからないし、コミュニケーションもない。手にふれて現代美術を知る—話し合いの場で、これも作家活動ですよ」(潤)(京都新聞 1974年10月12日)

○ 1974年10月22日—11月24日「第7回現代の造形《映像表現’74》FILM, CINEMA, VIDEO」
10月22日—10月27日 第一次(A)FILM=秋山節子「shadowgraph」、芥川耿、池田光恵「A Presentiment」、金沢孝「TVメディア」、国島征二「1:100」、高見沢文雄「Number of Sheep that got over the Fence」、田島簾仁「草案128実践101」、田中正、松本正司「0時」、宮川憲明、渡辺哲也「FIXED EYES」 10月29日—11月3日 第一次(B)FILM=岩越園子「あ……  ……ん」、植村義夫「ズーミング(スペース)」、金崎博、河口龍夫「see saw seen」、木村浩、楠秀男「THE LANDSCAPE」、福田幸三「refrain」、三宅章介「CAN-a.b.c.d.e」、村上姓子、森口宏一「かさなり」 11月5日—11月10日 第二次 (A)CINEMA=足立幸久「手中及びあり」(20分)、池村清治(20分)、植松奎二「分節態—articulation-行為」(15分)、岡田潔、北辻良央「作品」(正式タイトル「WALTS・RUMBA・CHA-CHA-CHA」)、斎藤智「無題」、庄司達「フレームについて」(9分)、重藤静美「情念そして執念」(10分)、杉岡雄二「インサイド」(6分)、高橋雅之「つづれ織り」(30分)、高嶺剛「SASHIN GUMA」、田中俊昭(15分)、辻本隆「三つの平行線」(15分)、真板雅文「人間・人間・人間」(10分)、松本正司「0時」(10分)、三木峯行「映画論」(20分)、村岡三郎「映像NO.12」、米津茂英(15分) 11月12日—11月17日第2次 (B)CINEMA=阿部雄二(若プロ)「青少年のための非行術入門」(15分)、石川裕、大崎保利「ウソツキ・メフィスト」(15分)、郭徳俊「what time」(3分)、小林はくどう、菅木志雄「1」Fieldlogy 2)Dependence 3)There!(are)」、高橋忠和「ミュールホール」(15分)、武田義秋「SPECTRA」(10分)、豊原正智「Landscape」(7分)、中井恒夫「ALEXIR錬金薬液」、早藤洋「RECEPTOR」(12分)、保泉誠一「君は今」(10分)、松本栄造「病楝」(15分)、水上旬「game-shadow-C」、水野哲雄「⟨ROOM⟩シリーズ」(10分)、宮崎豊治「風景画」(9分)、渡辺哲也「WALLSEA」(11分)、和田守弘「アプリカシオン」(15分) 11月19日—11月24日第3次VIDEO=今井祝雄「BRAUN TUBE」(20分)、片岡友和「TIME」(20分)、川村悦郎「Lesson 1」(30分)、小林はくどう、沢居曜子「無題」、宗京真由美「RHYTM」(5分)、中井恒夫「Plastic Video」、中町薫「提言」(20分)、中谷芙二子「FOG OVER KNAVELSKR」(20分)、西川幸枝「relation」(10分)、野村仁「phono simuration」、松本正司「0時」(20分)、山口勝弘「VIDEO EXERCISE No.2 対位法」(30分)、山本圭吾「1974No.13」、渡辺哲也「記録CLIMAX・・・No.2」
・ 京都新聞 1974年10月19日「映像表現’74 吉田謙三」
・ 京都新聞 1974年10月22日「新しい現代感覚追う 映像表現74がオープン」
・ 京都新聞 1974年10月26日「共通した手仕事の発想 新しい試み 映像表現’74」
・ 京都新聞 1974年11月2日「映像表現’74 第二陣」
・ 京都新聞 1974年11月9日「映像表現74 第三陣」
・ 京都新聞 1974年11月16日「映像表現’74 第四陣」
・ 京都新聞 1974年11月23日「映像表現’74 第五陣」
(映像表現の新聞記事詳細は映像ページへ)

○ 「短信」“現代美術の寺子屋”を目指すアート・コアでは、第一線で活躍する作家を講師陣に迎えて細密画、シルクスクリーン、レタリングの各科を開講してきたが、きたる16日から新たに絵画科、銅版画科を新設して拡充スタートする。また映像時代に合わせて写真、映像、ビデオの“理論と実際”を身につけさせる「映像学園」も、あす15日から開講。内容など詳細は同事務所(電話075-223-1760)へ。(京都新聞 1974年12月14日

○ 1974年11月30日、12月1日 いずれも午後1時と5時「映画・オキナワドリームショウ」
沖縄出身のタカミネツヨシが脚本、監督した沖縄風景ドキュメンタリー。有料(京都新聞 1974年11月30日)

○ 1974年12月?日—12月14日「カレンダー展」「日付は空刷りや記号 京都 手作りのカレンダー展」来年のカレンダーを物色する時期。ありきたりのカレンダーでは面白くないと、趣向をこらした手づくりカレンダーが、京都市中京区寺町通三条下ル、アートコアで展示されている。美術家らの作った八点で、遠くから見ると、白い紙に色鉛筆で○がついているだけだが、近くでみると、日付が空刷りされているものや、日付が記号になっているもの、月はじめの部分に、月の名称がタイプさrているだけの日めくりなど。31枚の札を針金にぶらさげ、各月の何日は何曜日かを見るカレンダーも。「ふだん、いやでも日付や曜日にしばられているから、既成概念にさからったカレンダーを作ってみた」という人もいた。即売もしており、ぼつぼつ売れているそうだが、それはやはり“実用”になる作品。こりすぎた作品は、作者の方で非売にして出品している。見に来た人たちの間では「自分だけにわかるカレンダーを作るのがおもしろい」という声も聞かれた。14日まで。(写真掲載)(朝日新聞 1974年12月6日)

○ 1974年12月?日—12月28日「ミニミニアート展」彫刻、版画など小品。

○ 1975年1月14日—1月26日「野島二郎個展」立体「展評 ユニークな造形とスケッチ」彫刻といっても、野島二郎の作品は、人物のポーズがうまくとらえられているとか、抽象フォルムの造形がユニークだ・・といった従来の造形観念だけでは見れない。作品の形は半球体であったり、円筒形だったり、立方体や三角錐であったり・・・。いずれも単純な形体なのだが、そのいずれもが一対となっており、半分が大理石や黒ミカゲ、あとの半分がアルミやブロンズ。このカラクリ—半分に割った石を鋳造して、“雌雄入れかえ”にしたわけだが、みがき上げた単純な形体も、微妙な割れ目を堺にした素材の異質さを伴うと、心理的に不思議なゆらぎ効果をもたらす。(京都新聞 1975年1月18日)

○ 1975年日付不明—3月10日「写真展」京都工繊大工業短期大学部写真工学科を今年卒業する20人。

○ 「短信」アートコア・ホールは「アートコア・ギャラリー」と改名した。(京都新聞 1975年3月15日)

○ 「新人養成願って アートコア賞設置」絵画、彫刻、版画、映像などの現代美術の展覧会が活発に行われている「アートコア・ギャラリー」(アートコア・ホール改名)は、京都で最初にビデオ、映画などの映像美術を紹介したところ。最近の京都における映像美術ブームの発祥の地ともいえるギャラリー。置き去りにされがちな現代美術対象の企画展、貸個展ではメリットは少ないが、そこは自らも現代美術の制作を手がけている経営者の松本正司氏の幅広い美術ファンに現代美術のすばらしさを知ってもらおうという考えから。アートコアホールからアートコア・ギャラリーへの改名について同氏は「だれでも親しんでもらえるため、“ホール”という名前にしたんですが、なにかしっくりこなくて・・・。48年10月のオープン以来美術ファンになじまれてきた名前ですが、美術展をしているふん囲気を出すため思いきって“ギャラリー”に改名しました」と語る。この変身を機に同ギャラリーでは、新人養成と現代美術の振興を目的とする「アートコア賞」(賞金30万円)を設けている。ことしの4月から来年5月まで同ギャラリーで開かれる絵画、彫刻、版画などの現代美術の個展を対象に与えられる賞で、スポンサーなしの同ギャラリー独自で行う。これをみても松本さんの現代美術に関して力の入れ方がわかるというもの。4月1日からはことし最初に企画展「アートアンドビデオ」が行われる。これは国際クラスの現代美術作家によるビデオと絵画を通じての現代美術展。(夕刊京都 1975年3月22日)

○ 1975年3月18日—3月30日「日下部濱江版画展⟨両洋文物交会詩篇⟩

○ 1975年3月18日—3月30日「版画/版画/版画 木村光佑(併版)黒崎彰(木版)舞原克典(銅版)」「版画展によせて 吉田光邦」静穏と持続は、遠い夢のようにさえ思われる現代である。そのなかですくなくとも1個の持続をなしとげている人びとの作品がここに展観される。版画はもともと情報手段のひとつであった。情報化社会がいわれる今日、多くの作家がそれに手を染めるのは故なしとはせぬ。これは感性の伝達系、認識の伝達系である。しかも持続と経験はそれぞれの論理と文法を生む。わたくしどもが生きることを運命づけられている独自の自然と風土、そして歴史。さらにはそれと相剋するとさえみえる人間。機械系の現実。その接点に立つ個性は、それをどんな文法をもって定着させてゆくか、それが失われた静穏のひとときへの誘いともなることを、わたしどもは期待しよう。(京都大学人文科学研究所助教授)
 「エキゾチックな版画」「西洋文物交会詩篇」と銘打った日下部濱江版画展には、エキゾチックな和洋折衷のにおいがある。西洋の製版画絵本や中国の詩碑拓本、日本の浮世絵、さらに自筆のシンボルマークなどが、一度写真製版されたシルク版画に組み合わされている。機械文明がようやく盛況を見せはじめようとする当時の文物が、シルク版画で同一画面にアトランダムに集められると、ふとさわやかな快感を覚える。なお講堂では「版画/版画/版画」と題して木村光佑、黒崎彰、舞原克典の新旧版画が並んでいる。(藤)(京都新聞 1975年3月21日)

○ 1975年4月1日—4月13日「ART AND VIDEO」
出品者=今井祝雄、植村義夫、河口龍夫、野村仁、松本正司、村岡三郎、山本圭吾、米津茂英「「ビデオ」と「アート」に関する15章 峯村敏明」1−ビデオのシステム全体は、メディアとして、絵画と同列ではない。 2−ビデオに絵画と同列なものを求めるなら、それはテープ(映像作品)である。 3−ビデオと映像作品の関係は、床の間と掛軸(絵画)のそれと同じである。ビデオも床の間も、容れものの容れものである。 4−床の間全体が芸術的事象でありうるのは、掛軸が芸術作品だからではない。 5−ビデオが芸術的事象たりうるのも、芸術作品としてのテープのせいではあるまい。 6−「掛軸—床の間」の関係(「中身−容れもの」のそれ)を1段階格上げすると、「床の間—X」の関係が生まれ、床の間自体が芸術的事象と化する。そのとき、Xとは何か。 7—Xとは、床の間つきの座敷における、総体的知覚体験の場としての空間構造である。当世風に、エンヴァイラメントと呼んでも、同じことである。 8−「6」と同様の操作を「映像作品—ビデオ」の関係に施すと、「ビデオ—Y」の関係が生じ、ビデオ・システム全体が芸術的事象と化する。そのとき、Yとは何か。 9−掛軸—床の間—座敷空間。 10—テープ—ビデオ—Y。 11—床の間の発明は、掛軸(絵画)と別種の芸術現象を「床の間−座敷空間」の間に構造化した。 12−ビデオの新たな利用は、テープ(映像作品)と別種の芸術現象の   Yの間に構造化する、かも知れない。 13—Yに求めることは、映像作品と別種の芸術現象の構造を求めるに等しい。 14—Yとは何か(空間構造ではなく)。 15—ビデオにおけるアートとは何か。
「アートアンドビデオ」ビデオもまた、現代作家にとっては興味をそそる表現媒体の一つなのだろう。近年、ビデオにかかわる作家たちがふえている。今回の企画には関西在住作家を中心に8人が「ビデオにおけるアートとは何か?」に挑んでいる。河口龍夫と村岡三郎の二人が「青と赤のイベント」という興味深い共同作品を発表した。四角な二つの箱を、二人が同時に赤と青で塗りつぶし、さらに赤の上に青、青の上に赤・・・と塗り続けるだけの行為だが、2台のテレビに映る色塗り行為の映像を見ていると、同時性のおもしろさがストレートに伝わってくる。松本正司「手には手を」は、さまざまな手の動きをビデオで流し、テレビの画面に貼った透明ビニール板上へマジックで輪郭なぞりを続ける・・・それをまた別のカメラで撮り再生する、という仕掛け。今井祝雄「ビデオ・スナップ」もテレビの番組をポラロイド・カメラで撮り、1枚ずつ画面に貼って画面を埋めつくす。二人とも一つの映像の中に別次元の映像を導入して、一種のゆらぎを与えようと試みる。植村義夫はビデオ撮りした風景をテレビに流し、その画面を次ぎつぎビデオ・コピーしていくと、はじめの風景とは似ても似つかぬ映像と音に変貌していく過程を見せる。このほか野村仁は自ら女装して迫真?の演技を見せ、米津茂英は家の中の小道具を少しずつ手で動かしていく行為。(山本圭吾は初日上映されず)。ビデオのシステムを駆使しているが、素朴な“手”と機械の関係を改めて見直そうという傾向が全体に流れているようだ。(F)(京都新聞 1975年4月5日)

○1975年4月5日「峯村敏明ゼミ」6時—8時

○ 1975年4月15日—4月27日「アンディ・ウォーホル版画展」生け花を主題に着色版画。
「チラシより」アメリカの鬼才、アンディ・ウォーホルの版画の特別展を企画しました。今回の展示作品は、日本に来たウォーホルが、日本のいけばなに主題を求めて制作した着色版画(いけばな)です。是非御来場下さいますようごあんない申しあげます。尚、ウォーホルの他にも、著名作家の作品を展示致しておりますので、合せてご観賞下さいますようお願い申し上げます。主催:アート・コア 協力:ミカゲインターナショナル
1955年、私は東京と京都へ行った。それ以来ずっと日本風になろうと努力している。というのも、日本人はシンプルな表現が実にうまいからだ。いま私は日本の花を描き、日本食をたべ、ケンゾーの服を着ている。そして日本製の写真やビデオやハイファイ、その他の電子機器も使っている。日本的なものは何でも好きだ。 アンディ・ウォーホル

○ 1975年?—5月11日「アトリエ・アートコア版画展」藤本茂、高村圭一、富永文雄

○ 1975年?—5月11日「映像学園写真展」メンバーは武田信彰、平居一郎、中村太一、津田伸吾、仲矢晋

○ 1975年5月13日—5月16日「三木峰行遺作展」1954年大阪生まれ。大阪芸大に73年入学し、映像作家として個展やグループ展を開いてきたが、さる4月に死去。(京都新聞 1975年5月10日)
「ハガキより」今度、松本正司氏 森口宏一氏の御好意と彼の友人のご協力により、故三木峰行君の個展⟨遺作展⟩を開くことになりました。彼は大阪芸大に在学中だったのですが、何故か急にこの世を去りました。その間、彼は主に映像、音の仕事を手がけていましたが、最近は映像表現として、人間のバイオロジーに興味を持っていたようで、いつだったか私のアトリエで夜おそくまでそのことを話していたことを偲えています。彼の芸術活動は、現代の社会構造の重きの中でのわずか数年の燃焼でしたが、もしおひまがございましたら、若い、そして余りにも短かかった一芸術家のたどりを皆様方に御覧いただければ幸いです。⟨村岡三郎⟩三木峰行略歴・1954年大阪に生まれる・1973年 大阪芸大映像科入学・ギャラリー シグナム⟨京都⟩個展・1974年 アート・コア・ギャラリー⟨京都⟩2人展・信濃橋画廊エプロン⟨大阪⟩個展・その他映像による共同イベント等で活躍・1975年4月死去

○ 1975年5月20日—5月25日「フォトグラフィ10×n」京都芸大生、OB9人が写真と人間との関係をしつこく追求する。メンバーは三宅章介、浜野節朗、佐藤敬二、池田知嘉子、伊吹靖司、森村泰昌、藤本秀樹、浜坂渉、志水正明。(京都新聞 1975年5月24日
「変わったとらえ方 フォトグラフィ10×n」絵画畑、造形畑の作家がレンズに挑んだユニークな写真展「フォトグラフィ10×n」に見る作品は被写体のとらえ方が一風変わっていておもしろい。風景のぼかし、合成写真、一つの物体の拡大図—。京都芸大映像教室の7人の“サムライ”がそれぞれ見たままの姿をストレートにぶつけている。プロの写真家とは違い、型破りの作品が出来上がり、新鮮味があふれている。写真と絵のかかわり合いの深さが大いに感じとれる。(T)(夕刊京都 1975年5月24日)

○ 1975年5月27日—6月1日「暁鳳書作展」京都市在住、鳳書道会所属・伊藤暁鳳が古希を記念。自詠和歌、近代時文ほか22点を発表。

○ 1975年6月3日—6月8日「柴田武個展」大阪在住の若手。都市の死角と題し、スナップ約30枚を並べる。写真は自らの記録という。(京都新聞 1975年6月7日)

○ 1975年6月10日—22日「時・時計・人間展」
出品作家=今井祝雄、狗巻賢二、植村義夫、金崎博、河口龍夫、木村光佑、国島征二、島州一、庄司達、関根勢之助、野島二郎、林剛、真板雅文、舞原克典、松本正司、宮川憲明、宮崎豊治、矢野正治
「時計生活への“反逆”」“時計と人間存在”の関係は実存哲学者たちだけでなく、古今東西の宗教が問題にしてきたところだが、週末状況にある現代、造形作家たちにも避けて通れない大きな課題なのだろう。平面に立体に、あるいは写真や映像表現に、ユニークな活躍をみせる18人の現代作家が集まって開いた「時・時計・人間」展。タイトルからして“時計”という具体的なモノが入ってくるところが、実に造形作家らしい。今井祝雄はテレビ映像の1コマをブラウン管の表面にシルク刷りして映像と時間を固定する。金網の中に文字盤のない時計をとじ込めた野島二郎や、分解した時計の部分品を金属製のボックスに“埋葬”してしまった国島征二、さらには電気時計を“解剖”して乱暴に“stop!”の文字を書き殴った狗巻賢二、ストップ・ウォッチの針の動きに「時は“今”の連続」というアピールをみせる松本正司など、いずれも時計生活への“反逆”を観念の世界で示した仕事といえよう
円型の大きな紙を中央から小さくちぎっては番号をつけて周囲に並べ、ある時間内のみずからの行為の跡をみせる庄司達、柱時計の写真を銅版画にし、1時間ごとの腐食の進み具合を12枚の版画でみせる舞原克典、窓からの風景をビデオに撮り、10秒ごとにフィルムを磁気で消した植村義夫など、楽しい遊び要素も加わる。立体造形派の宮崎豊治は、直接テーマとは関係なさそうだが、長さ、周囲、大きさを測る手の形をリアルに木彫でつくり、素朴な測定器役としての“手”に目を向けさせる。こうしたさまざまな表現手段で“人間存在と時間”のテーマにアプローチする現代作家たちの姿は興味深いが、いささか観念の遊戯に甘んじているような匂いが感じられる。その点、一カ所だけ交差する日本の直線を鉄のカスガイで結びつけ、優しげな詩を書き添えて人間邂逅のはかなさを独白する林剛の心境に水々しい感動を覚えた。(F)(写真は時・時間・人間展の会場)(京都新聞 1975年6月14日)

○ 1975年6月?日—6月29日「山本容子展」「展評」ナイーブといえは京都芸大在学中の山本容子の版画展もその一つ。いずれも銅版画やフロッタージュの併用作品で、バンドエイドやおろしがね、三角定規など最近な小道具を主題に少女らしい感性をふりまく。例えば「ニワトリのジョナサン」と題した一点。最初は何の変てつもないニワトリだったのだろうが、それを描いているうちに卵を産ませ、やがて丸焼きにしてしまうというそこに、この作家のイメージ展開の軌跡があり、版画づくりの面白さや熱中の跡がしのばれる。具体的なモノと形に寄せた少女っぽい夢の広がり—そこに魅力がある。(京都新聞 1975年6月28日)

○ 1975年7月1日—7月6日「田中正展」「展評」龍谷大学在学中の田中正の個展は数十枚のスナップ写真。いずれもネガ操作によって白黒の飛まつや切れ込みが風景上に焼き付けられ、新しい風景に仕上げている。ネガに対するサディスティック?な操作の裏側には、映像の持つ虚構性への執ような問題提起がある。現実そのものと映像メディアを通して認識された現実とのギャップ—情報化社会に生きる現代人の認識行為にも一つの警鐘だろう。(京都新聞 1975年7月5日)

○ 1975年7月8日—7月20日「私のポスター展」青山光佑、安東菜々、金崎博、木下佳通代、木村秀樹、楠秀男、小林伸雄、沢居曜子、田中孝、中路規夫、橋本文良、八田淳、福田幸三、三宅章介
「画廊を飛び出しました!町の中で展覧会二つ」・・・もうひとつの「私のポスター展」は“会場”の核となるアート・コア・ギャラリー経営者・松本正司さん(44)の呼びかけで、京都を中心に東京、名古屋、大阪、兵庫在住の新進の現代美術作家14人が参加して開かれる。タイトル通り、それぞれの作家が自己の存在を訴え、主張したい“何か”をシルクスクリーンやエッチングなどで表現し、それを刷って同ギャラリーに送る。その作品(一人同一作品を十枚)を松本さんがギャラリー内に一枚だけを展示し、残る九枚は京都市内の民家や公共の掲示板などにはる、という方法。これまでに送られてきた作品は、シルクスクリーンに町中を突っ走るオートバイを六コマでデザインした「在る」(神戸市在住の木下佳通代さん)や、和紙に黒く「うら」「おもて」と大書しただけの作品(東京都在住の青山光佑さん)、写真をシルクスクリーンで抽象化した「自意識」(京都市在住の橋本文良さん)など前衛的作品が四種(40枚)。早くも同ギャラリーに集まる若い人たちの間で「おもしろい」「一枚ほしい」など人気を呼んでいる。発案者の松本さんは「ポスターはそもそも屋内で額に入れて観賞するといったものではなく、戸外  一般の人々と心の通い合う“対話”    る。なお、作品は、同ギャラリーに送られてきたもの以外に、各作家が住んでいる地域でも同時に掲示されるので「京都を中心に東京から神戸にまで広がりを持つ“大ポスター展”になります」とのことだ。(新聞不明 月日不明)
「私のポスター展」東京、京都、神戸の作家十四人によるPR用でないポスターを展示。同時にポスターは元来、公衆の中にあるべきだ、という考えから、市内のあちこちにも張られる。出品作家は青山光佑、木下佳通代、木村秀樹、八田淳、三宅章介ら。(新聞不明 月日不明)

○ 1975年7月?日—7月?日「金沢孝展」
「色 サイコロまかせ 一風変わった塗り絵展 偶然ねらった企画 21歳の青年の発想 見るだけでなく参加」絵画の原点ともいうべきぬり絵は最近ではほとんど見かけなくなった。線で区切られた部分をいろんな色で塗りつぶして行くあの楽しい作業は、絵がきらいな人でも絵に親しみを覚える。その郷愁をそそるような個展がアート・コア・ギャラリーで開かれている。サイコロをころがし、その出た目によって塗る色が決まるという一風変わったぬり絵だが、偶然性をねらった楽しい企画。同展を行っているのは、金沢孝君というまだ21歳になったばかりの青年。これを始めた動機は「ぬり絵でも手を変え、品を変えれば立派な芸術品になる。発想は単純かもしれないが、絵を見せることだけでなく参加してもらうことを呼びかけました」とか。アメリカのマンガ雑誌の中から選んだポップアートの絵がぬり絵の対象。戦闘機が相手の飛行機を撃墜するといういわくありげな絵について「絵を選ぶについては別に意味はない。今回の展覧会にふさわしそうだったからです」と金沢君。ぬり絵全盛の戦中派にとっては、ぬり絵のなつかしさと、戦争の悲惨さが入りまじって複雑な気持ちになるのでは−。空中戦の絵を六つに区分、それに六つの色(赤、オレンジ、黄、緑、青、紫)を塗りわけるわけだが、その方法はすべてサイコロまかせ。例えば区分したAにサイコロの目が一を示せば赤といった具合。同展では九種類の“ぬり絵”が出ているが、どれも違った色分けになっている。最高六色を使ったものから最低は二色まで。一色だけというのはない。「単なるぬり絵ならだれにもできます。サイコロをころがして出る目、いわば偶然性をねらったもの。ということは私は色を塗っただけで、作品の仕上がりはすべて神まかせ、かっこよくいえば、“仕掛人”にすぎない」と話す。会場には、この原画を置いて観覧者に制作をすすめている。ぬり絵という郷愁をそそる絵画の原点に着目、作者と見る者が一体となったユニークな個展、それが新しいタイプなのかもしれない。(作品写真掲載)(夕刊京都 1975年7月19日)↑ギャラリー16の展覧会を間違えて書いている可能性あり。

○ 1975年7月?日—8月3日「見られるものたち展」「展評 素顔の展覧会」展覧会は作家の“よそ行きの顔”である。いくら厚化粧し作り笑いを浮かべても、下地は自分そのものであり、台所やベッドにある時の日常の顔の延長でしかない。京都在住の前衛作家二人による「見られるものたち展」は、作品そのものではなく資料、それも生活次元での資料(見たもの)を並べる試みだ。林剛は愛息の靴や壊したミシンの一部などいくつかのモノと共に、それに寄せる散文を展示。また、楠秀男はグラウンドや建物など数十枚の風景写真を並べている。作品が成立するまでのプロセスを考えるなら、制作に至る前の段階の発想(構想)ないしさらに一歩前にある作家の感覚の提示といえる。林の散文を読んでいると「しかし」「だから」といった言葉を大書したり、知人や他人の名前を布地に染めて、見るものに様々なイメージをわかせたかつての個展が去来、楠の風景写真は大きな鉄板に風景を刷り込んだ作品や風景の地平線や輪郭線を鉄板に切り込んだ作品が浮かんでいる。“作品の素顔”を見る楽しみでもいえよう。依頼により平野重光氏が「ちょっと気になるもの、こと」という一文を寄せている。(京都新聞 1975年8月2日)

○ 1975年8月5日—8月10日「榎倉康二個展 予兆」「現代美術ってなんなのさ」アート・コア・ギャラリーで開催中の榎倉康二個展「予兆」に見る現代美術とは−。会場の一部の壁面いっぱいにざらばん紙をはりめぐらしただけの作品が立派な現代美術の作品として展示されているのにはいささか面くらう。そのざらばん紙の半分にはサラダ油をぶっかけ、何を表現しようとしているのか。現代美術によくある“偶然の可能性”を求めての製作意図か。作者は「予兆というタイトルは、これを原点として次に起こることを期待するんです。まだまだ続くという意味もある」と話すが・・・。さしずめ“現代美術ってなんなのさ−”といったところか、十日まで。(夕刊京都 1975年8月9日)

○ 1975年8月?日—8月24日「EXHIBISM 3 四人展」「展評 写真を手段に」本来、写真は自然現象や人間の行為を記録するための手段として生まれたものだ。これ自体、発展過程の現象とみれば分からぬでもないが、今なお“写真技術の競い合い”だけに終始する姿は、あまりにも屈折がなさすぎる。“芸術写真”の面白なさを乗り越え、写真本来の“手段”としてよみがえらせようという動きが、美術家の間で問題なのは興味深い。関東作家を中心とした四人展も、すべて写真を手段に水々しい発言を試みる。真板雅文は、後ろ向きの裸体に電気コードや石、洗濯バサミなどをからみつけた男女7人の写真を並べ、見る者に“人間・物質”の異様な実在感を訴えかける。大阪日出男は東西南北の夜空にカメラを向けて星の運行を記録し、大自然の神秘を実感させる。杉本明人は記録・伝達方法として約40枚の写真をアトランダムに展示。砥上賢治は60キロほどの重さの自然石を鉄バネで宙づりし、微妙な動きを続ける石を“動かぬ写真”と“動く8ミリ”で追う。四者四様の試みだが、写真が表現の一手段としてよみがえっている点では共通している。芸術写真家は、こうした美術家の試みを他人事と見ないで、もっとショックを受けてもいいはずだが・・・。(T)(京都新聞 1975年8月23日)
「凝り過ぎやユーモア・・・」アート・コア・ホール「EXHIBISM 3」は、大坂日出男、杉本明人、砥上賢治、真板雅文四人展。写真とビデオによる現代美術の映像芸術。等身大の男女の裸の写真を並べた真板雅文は「人間・物質」(画像掲載)。オールヌードの六人男女の後ろ姿は何をねらったのか少々わかりにくい。凝りすぎとも思える。同じ写真でも杉本明人の「記録・伝達方法として」はいろんなスナップ写真を並べただけだが端的に“記録”を表現していてユーモアがある。もう一つの写真、大坂日出男の「EAST、WEST、SOUTH、NORTH360」も、ねらいがはっきりせず、ストレートに受け止めにくい。これらの中で最もユニークだったのが砥上賢治の「TENSION・無重力2」。バネじかけに石をつるし無重力状態を表現したもの。その石がバネで上下運動する様子をビデオと合わせて二重の効果をねらったのがおもしろい。(夕刊京都 1975年8月23日)

○ 1975年8月26日—31日「楠田信吾 EVENT展」「展評 砂時計の造形」金属製の逆円錐形が宙づりされ、1回2時間分の砂(約20キロ)が円錐形の先端の細い穴から床面へ落ちている。一種の砂時計だが、時を計るというのが目的ではなく、時間の流れとともに、この砂時計が無心につくり出す“砂の造形”がねらい。砂時計の砂は、床に落ちると必ず同一角度をもった円錐形を形づくる。砂時計の逆円錐形も、この法則に従って、砂の円錐形と同じ形体に仕立てられているところがミソ。形体のネガとポジの関係に、時間がからみ合って、楽しい観念の遊びをみせてくれる。元ケラ美術会員・楠田信吾の個展会場だ。一日に4、5個の“砂の円錐形”が画廊の床にも生じ、会期中には30個近い円錐形の砂で埋まってしまうわけだが、プロセス・アートの砂をみせてくれる試みだ。(T)(京都新聞 1975年8月30日)
「砂時計で砂山の造形が・・・」小さな砂山がギャラリー内に幾つも幾つも—。金属性の大きな砂時計仕掛けの機械からこぼれる正確無比な砂山(高さ30センチ)が並ぶ楠田信吾「EVENT」展。現代美術の中でも造形の部類に属すると思われる。大きな砂時計に入った砂は二時間半で床に落ち砂山を造る。そしてまた一つ違う場所に砂山が。三十四個の土のうが用意してあるため会場には三十四個の砂山が出来る。これは六日間の期間中(26日—31日)四個ずつ作る予定。すでに二十個の砂山が出来、足の踏み場もないほど。期間中々ものを見せられる個展がほとんどの中で、毎日変わっていく内容は新鮮な味がする。(夕刊京都 1975年8月30日)

○ 1975年9月2日—9月7日「郷倉裕子展」「展評」西宮在住の郷倉裕子は、女性らしいデリケートな感性のオフセット版画を見せる。大小さまざまな丸い模様をわずかにずらして二度刷りしたり、型紙自体をゆがめて写真に撮ったあと“ゆがみ版画”に仕立てる・・・など、印刷原理を清々しい視覚表現に展開した。(新聞不明 月日不明)

○ 1975年9月9日—9月15日「5人展」京都や関東在住の若手で、メンバーは久保田悦司、山崎正光、長谷川裕倫、秋山幸三、篠崎清司

○ 1975年9月16日—9月21日「京都芸大構想設計教室展」出海洋子、海原昭彦、小寺信夫、伊藤久美子、末永伸子、宇都宮史佳、木村浩、上崎光春、椎原保

○1975年9月23日—9月28日「富永多美子版画展」

○ 1975年9月?日—10月5日「精華短大マンガ科第一回卒業生展」近藤祐子、丸住和夫、乾展子、増田まり子、尾形優子、玉田京子、井上京子、富本ますみ、佐藤智子、大西博美、高田三千代

○ 1975年10月7日—10月12日「二人展」「展覧会ガイド」京都芸大出身・小西美行と同在学中の村上姓子。構想設計グループに所属。写真を使って空間の不思議を示す。(京都新聞 1975年10月11日)

○ 1975年10月14日—10月19日「アトリエ・アートコア版画展」同アトリエで同版画とシルク版画を学ぶ生徒11人の第一回発表。

○ 1975年10月21日—10月26日「アート・コア映像学園展」同アトリエで学ぶ生徒と講師陣の発表。

○ 1975年10月28日—11月2日「中沢真子展」「展評 水々しい若手の版画」京都芸大出身の若手版画家たちの活躍が目立つ。水々しい感性の作品を発表した。写真製版によるシルク版画という、若い世代に流行テクニックが徐々に沈んでいった(かのように思わす)軌跡がみえる。浅い溝から深い溝へと進み、最後にはリング跡が石コウ内に埋まってしまった(かのように思わす)・・・という試み。制作行程で実さいに樹脂製のリングを埋めて石コウ取りしているため、見えないリングを思わす構跡である。第二室の池田啓子は大阪芸大出身の若手画家。赤、青の三原色を無造作に一筆描きし、画面いっぱいをカラフルな“点描”で埋めている。これだけなら平凡な抽象絵画に終わるところだが、無造作な筆跡を、ていねいにフチどりした(ような)作為が加わるから面白くなる。フチどりの中に英語やフランス語で再度“色さし指示”しているのが、いかにも印刷時代といった感じ。(京都新聞 1975年11月1日)

○ 1975年11月4日—11月9日「四人展 溶ける魚 Andre BRETON 1924」“The Monographs of poem” by Akiyoshi Miyake, Tadatugu Uesugi, Nobuo Kobayashi & Masanori Okayama at Art Core Hall
上杉忠嗣、小林伸雄、三宅章介、岡山正規

○ 1975年11月11日—11月16日「オカモトタロウ個展」イラストと文字による試み(京都新聞 1975年11月15日)

○ 1975年11月18日—11月21日「精華デザイン専攻科展」

○ 1975年11月22日—11月30日「大林義満彫刻展」石彫の大林義満は石という堅い素材と格闘し、そのエネルギーの軌跡を生々しく見せる作家。とくに野外彫刻展などの作品はその感を一層深めるが、今回の個展は汗と手アカを極力消して行く姿勢がうかがえる。石に穴をあけるという制作のねらいは従来の延長線上にあるものの、紡錘形の作品にしてもシンメトリックな形体をとり、はやりの視覚的だましや“ひとひねりの味”に作家自身、抵抗を示しているようだ。穴を開け、削り、みがきあげたミカゲ石の端正な作品は、荒々しいドリル跡のある大作とはまた違った作家のエネルギーを凝縮して見せている。原始的な鬼の面やロッ骨を想起させる一点は、先の中南米旅行の収穫か。(京都新聞 1975年11月29日)

○ 1975年12月2日—12月7日「三人展」出海洋子、伊藤久美子、宇都宮史佳

○ 1975年12月9日—12月14日「染織によるいれもの展」「展覧会ガイド」京都芸大染織研究室の教師陣や専攻科生が、染めや織りを自由に生かして、さまざまな“容器”を発表。(京都新聞 1975年12月13日)

○ 1975年12月16日—12月21日「グループ パート1」浅見三郎、荒木信行、井上正純、菅波はるえ、田村一芳、寺山けい子

○ 1975年12月23日—12月28日「伏屋尚美写真展」同志社女子大出身

○ 1976年1月?日—2月1日「宮川憲明展」立体

○ 1976年2月3日—2月8日「風景’76」「展評」芸術に対する“盲従の神話”が地に落ちてからというもの、現代作家たちはごく日常的なモノに目を向けはじめた。企画展「風景776」の第一陣に参加した3人の作家たちも、従来のロマンチックな“風景画”なんぞには全く興味を示さず、日常ありふれた素材へ目を向けて、みずからの“風景論”を語る。まず庄司達は、天井から垂らした透明ビニール布に細い金属棒が整然と宙づりされた風景。ウェットな思い入れのない単純な仕掛けの中に、爽快な現代の風景を感じさせる。関根勢之助は一種のフロッタージュ(こすりつけ転写)技法を取り入れ、これもそう快な版画。ロープでくくられた実物のイスが一つ置かれているが、よく見ると版画の中にもこのイスの虚像輪郭が刷り込まれていて、不思議なかかわり合いをみせる。橋本文良は、写真のもつ真実味を逆手にとって、はり合わせによるフィクション化をみせる。三者それぞれ方法論を異にしながらも、風景というテーマに対するアプローチがいかにも現代的。(藤)(京都新聞 1976年2月7日)

○ 1976年2月10日—2月15日「美術品陳列会」メンバーは大阪芸大の石原則和、稲垣敏郎、中森謙次、林本佳津雄、堀内雅子、若林佐代子

○ 1976年2月17日—2月22日「鈴木茂美個展」「展覧会ガイド」京都在住の若手。壁シリーズと題し、人の顔を思わす“フォートリエ”風の厚塗りの絵画多数。(京都新聞 1976年2月21日)

○ 1976年?日—3月7日「中島久司・真鍋えつ子展」「展覧会ガイド」前衛漆芸グループ“フォルメ”に所属するおしどり作家。中村はポリエステル樹脂や金属板を併用、幾何学的な構成を試みた「奏でる」「やまびこ」など。一方真鍋は有機的な抽象構成の「声」「水の音」他。(京都新聞 1976年3月6日)
「偶然性の漆芸美」一つの旗印に集まったグループも、時間がたつにつれて個人が組織に埋没しかねない。結成7年目を迎えた漆芸研究グループ“フォルメ”が先月から展開中の“個展シリーズ”は、その危険現状を察知してのことであろう。集団の構成員を個の立場にひき戻し、孤軍奮闘の個展を義務づけたところは新鮮だ。ハーモニーの一部を担当するコーラスの温床?と比べると、このソロは過酷だが、自らの思考の展開や整理の場としては広々としており、その開催意義は大きい。今週は一番苦手の武石和春—。作品は立体感ある幾何学構成の「街の詩」とガラス板の割れ目の線を生かした一連の作品に分けられる。漆独自の発色や素材感を絵画としての漆芸世界に生かすねらいでは共通しているが、前者では根気ある手仕事の積み重ねに、後者では偶然性にゆだねた部分との折衷にそれを求めている。先輩作家のワクからぬけ出して、いかに自分の世界を展開するかは未知数なもの。若手らしい思考の振幅が始まっている。(潤)(京都新聞 1976年3月13日)

○ 1976年3月16日—21日「藤井収展」「展覧会ガイド」漆芸グループ“フォルメ”の個展シリーズの一つ。滋賀県在住の若手で「草原」「荒野」など、漆に砂をまぜた横長作品にはリズミカルな模様が展開する。(京都新聞 1976年3月20日)

○ 1976年3月23日—3月28日「岡田雄志展」「展覧会ガイド」フォルメ所属の若手漆芸家。虫と草むらを対置した「春を待つ」、アルミ板併用の幾何学構成「コンポジション」など平面作品。(京都新聞 1976年3月27日)

○ 1976年3月30日—4月4日「沢野通郎展」「展覧会ガイド」フォルメ所属の若手漆芸家。屏風仕立ての「山峯夜半」「山と空」の2点は、卵殻をモザイク状に散りばめて抽象構成し、生理的なイメージを前面に出している。ほかにアクリル板やスズ板併用の幾何学的構成。(京都新聞 1976年4月3日)

○ 1976年4月6日—4月11日「安本勝利作品展」「展覧会ガイド」漆芸グループ・フォルメの個展シリーズの一つ。カラフルでゆるやかな曲線構成の屏風など5点。(京都新聞 1976年4月10日)

○ 1976年4月13日—4月18日「出口醸爾作品展」「展覧会ガイド」漆芸集団「フォルメ」の個展シリーズの一つ。和歌山県在住。有機的な抽象構成の「未明の想」「樹魂」はじめ、素朴な情感ある「渚への回帰」「池畔」の小品。(京都新聞 1976年4月17日)

○ 1976年4月20日—4月25日「つのだひりと展」「展覧会ガイド」アートコア・シルクスクリーン工房出身の6人で結成。はがきやポスターを配布することによって町の“包囲作戦”を展開しており、その際のポスターで画廊の壁や床を埋めている。(京都新聞 1976年4月24日)

○ 1976年4月27日—5月2日「清水良雄作品展」「展覧会ガイド」漆芸グループ・フォルメの所属の若手。金属板と漆を併用。管状フォルムで「うごめく」「生命」と題したシリーズ。(京都新聞 1976年5月1日)

○ 1976年5月4日—5月9日「小林博作品展」漆芸グループ「フォルメ」の個展シリーズの一つ。鉛板のもつ材質感を生かした作品群。月面のあばたのように突き出た部分とフラットな部分をかみ合わせたり、活字を刻印するなど、鉛はだの微妙さをみせる。(京都新聞 1976年5月8日)

○ 1976年5月11日—5月16日「伊藤裕司—漆彩鳥展」「展評」漆芸の前衛集団「フォルメ」の個展シリーズが、現在開催中の伊藤裕司—漆彩鳥展をしんがりに閉幕する。12人のフルメンバーが今年2月から11回にわたって連続個展(うち1回は二人展)を開いたことは、集団と個人の関係を改めて考えさせた。集団を結成して7年。漆による新たな表現をめざして集まった会員は、いつの間にか集団の中に埋没しているのではないか—という懸念があった。このシリーズによってその懸念は現実の姿としてあらわになったようだ。即ち、屏風や額装による平面上での表現や、さらにはアクリル、金属板などの併用による絵づくり・・・といった、似通った“語り口”がそれである。「生活用具としての工芸から脱却し、純粋アートの舞台で勝負—」する意気込みが、かえってそのグラウンドを狭め、仲間の使い古した手口を容易に取り入れてしまったのではないか。だから、結果的には個性に欠けた。“吹きつけ”併用の今個展中の伊藤は「素材より自分が優先するから、必要とあれば漆も捨てる」構えであり「結局は自らの造形感覚を磨くよりほかはない」という。このシリーズを通じ、構成員は再び“個の仕事”の大切さを痛感したはず。来月開かれる恒例の集団展が楽しみだ。(潤)(京都新聞 1976年5月15日)

○ 1976年5月18日—5月23日「伊藤馨・版画展」「展覧会ガイド」三角形や四角形の色面と針金状の線のからみで、さまざまな虚の立体感や重量感を見せる。京都芸大在学中。(京都新聞 1976年5月22日)

○ 1976年?—6月6日「アートコア賞発表会」「展覧会ガイド」第一回受賞者に選ばれた宮川憲明、山本容子の立体と銅版画。いずれも受賞作が中心。(京都新聞 1976年6月5日)

○ 1976年6月8日—6月13日「六人展」「展覧会ガイド」絵画。メンバーは、あだち・みかこ、うかい・よしえ、おかの・のぶこ、ふくしま・たかこ、ふじい・はるみ、わだ・きしこ

○ 1976年6月15日—6月20日「中畑多美子展」「展評」大阪芸大の若手・中畑多美子は、生硬さを残しながらも若若しい版画をみせる。たとえば三枚組の作品—まずガラスにヒビが入った設計図(ペーパーブラン)があり、次に実際にヒビの入ったガラスの写真、最後に割れたガラスの写真を連結させる。設計図と実物写真の関係は、実際の作業設定では実物写真のほうが先行するのだろうが、これを逆転させたあたりの発想がいい。(F)(京都新聞 1976年6月19日)

○ 1976年6月22日—6月27日「銅版画4人展」「展覧会ガイド」アトリエ版に学ぶ若手。黒崎和美「アイス・クリーム」、西本晴美「男と女」、田淵和子「風の日」、真野和義「風景」ほか。(京都新聞 1976年6月26日)

○ 1976年6月22日—7月4日「小さな銅版たち」メンバーは岸中延年、高村圭一、黒崎和美、松下順一、小西みどり、山本容子、小松沙鬼

○ 1976年6月29日—7月4日「性についての展覧会」「展覧会ガイド」京都芸大四回生の新名誠文、吉田孝光の二人展。新名は銅版、鉛、ロウ、アクリル板などをからめたシュールな作品群。吉田は週刊誌の表紙やテレビの画面を白黒写真に拡大し、人工着色していく作品。(京都新聞 1976年7月3日)

○ 1976年7月?日—7月25日「小さなセリグラフィー展」「展覧会ガイド」8人のメンバーが持ち味を小品に生かした小気味良い版画。メンバーは安東菜々、木村光佑、小山愛人、島州一、富永多美子、中路規夫、船井裕、山中嘉一(京都新聞 1976年7月17日)

○ 1976年7月?日—7月18日「京都工繊大短期部写真工学科有志展」麻野卓三、夏見信雄、前田立男、池田天光、西田博一、水谷典子、岡本晃一、舟岡一智、宮崎茂の9人がルポやスナップ、風景写真などを発表。(京都新聞 1976年7月17日)

○ 1976年7月19日—7月25日「加賀輪真魚展」「展評 少年の幻想」実物とそれをそっくりに描いたジーンズ、美屑をはうアリの行列、ドアに映る人物、カーテンの奥にチラリと顔をのぞかせた人物・・・京都市在住・加賀輪真魚が、ダマシ絵風あるいはトリックを使った装置の平面や立体を並べている。いずれも偏執狂的なイメージによるものだが、感じやすい少年が持つ性への好奇心や幼年期への回想などが渾然一体となって底を流れているようだ。作品はほとんどがこの1、2年間にグループ展や公募展に出品したもの。一番奥の壁面に数十枚の古切手を張った平面がある。これを前に、便りをやりとりした見知らぬ人やその内容に夢はせるこの作家—まだ、18歳のナイーブな感覚の持ち主である。(京都新聞 1976年7月24日)

○ 1976年7月27日—8月1日「風景’76」「展評」画廊企画展「風景’76」シリーズの第二弾。メンバーは今井祝雄、岩越園子、上杉忠嗣の3人で、それぞれ映像によって今日の“風景”をとらえている。今井は赤信号のついた各所の横断歩道に目を向け、岩越は京都市内(四条高倉—祇園—東福寺)の市バス停付近の風景を、上杉は歩道橋のみえる風景を、それぞれ異なった意識で追う。白黒やカラーの写真で、あるいはスライドや8ミリによって、従来のロマンチックな“風景画”とは違った世界が提示されている。(京都新聞 1976年7月31日)

○ 1976年8月3日—8月8日「佐藤敏展」「展評 ユーモラスな陶彫」走泥社に所属する陶彫作家・佐藤敏の仕事には、デリケートな感覚と図太いユーモラスな着想とが混在しているようだ。今回の個展でも、この特色を生かしたユニークな陶彫オブジェがお目見えしている。そのほとんどが赤茶けた土肌一面に白釉をかけたもの。本体は四脚が車のタイヤ状になっているものもある。本体の上には、ハイヒールの形をした手が乗っていたり、足だけ残した人体が埋まっていたり、なかなかコミックな造形の跡だ。皮布の中に探り手を突っ込んだ「あ、ない」、前に倒れそうなイスの背を手で支えた「まった」、さらには手の指が本体に埋まった「ゆびのテクニック」などが楽しい。小品でも、カメかテントウ虫を思わす形体の水注、かわいいベンチ状の小皿など、規格化した日常生活にフト笑いを誘い入れるような“挑み”がそこにある。(藤)(1976年8月7日)

○ 1976年8月10日—8月15日「タロウ展」「展覧会ガイド」文字と幾何学的なイラストによる試み。京都市在住の若手。(京都新聞 1976年8月14日)

○ 1976年8月17日—8月22日「畑健二コラージュ展」「展覧会ガイド」雑誌の写真の組み合わせなど女を中心にした情念世界。モノクロの小品で無声映画の一コマを見るような軽やかさを持っている。ほかに手描きの細密画も。豊中市在住の若手。(京都新聞 1976年8月21日)

○ 1976年8月24日—8月29日「風景’76」「展評 現代の写真」画廊企画による「風景’76」シリーズ第三弾。出品者は沢居曜子、文承根、村田千秋の三人だが、「今日の“風景論”は、自然に対するロマンティックな接近ではなく、むしろその断絶の形而上的な認識ともいうべきもの」という美術評論家・乾由明の問題提起を受けて、現代作家がどういうアプローチを見せるか、興味深い内容だ。沢居は床面に黒い三枚のゴム布を寝かせただけ。とりつくシマのないような状況設定だが、モノそのものを、極力感情や手あか抜きで提示しようという意図は感じられる。文は市電の走る京都市内の同一風景写真を十数枚並べるが、筆のかすれやハケ跡、墨のシミ跡などの部分だけが鮮明に想像されてあとの部分が白くかすむ・・・という手の込んだリリシズム。村田は水と空気にはさまれて凝固したパラフィンの素材感を出したり、さらには鉛という同一素材を流動状とパイプ状で見せたりする。現代の“風景”はまさに多様化している。(F)(京都新聞 1976年8月28日)

○ 1976年8月31日—9月5日「風景’76」「展評 風景へのアプローチ」画廊企画による「風景’76」シリーズの第四回展。出品メンバーは宮崎豊治、小清水漸、楠秀男の三人だが、観念思考の強いタイプの若手作家の中では珍しく、楽しめる要素をかなりもった作品展となった。宮崎は、カメラという“限定された目”でとらえた風景写真(たとえば外国の観光絵葉書や映画のスチール写真)をもとに、作家自身の“想像の目”でそれぞれの風景を四方へ延長描写させるという試み。メカニズム(カメラ)と、人工(手描き)という異質なものをドッキングさせる方法は、この作家が以前に試みた自然(の小枝)と人工(手作りの小枝)を“接木(つぎき)”した試みの延長線上にある。小清水は山に沈む月か太陽を思わす数枚の絵を見せるが、ここでも月か太陽の部分を交互に入れ替える・・・という操作を試みているので、平凡な風景に終わっていない。色分けした効果が小気味よく出ている。楠は自然やグラウンドの風景写真の中にあらわれる形をガラス片で追ったような仕事。三者三様、観念思考型の作家らしい風景へのアプローチだ。(京都新聞 1976年9月4日)

○ 1976年9月7日—9月19日「小さな木版画たち展」柄沢斉、黒崎彰、日和崎尊夫、西真らの小品。

○ 1976年9月14日−9月19日「京都芸大構想設計教室展」「展覧会ガイド」西洋画、日本画など従来のジャンルにとらわれず、美術を思考するユニークな教室で5年目を迎えている。先鋭的な観念芸術を目指す傾向にあり、7人が映像と文字による呈示をしている。メンバーは宇都宮史佳、末永伸子、吉田孝光、倉智久美子、氏原明、松岡寿史、山本修。(京都新聞 1976年9月18日)

○ 1976年9月?日—10月3日「元永定正展」「展評 コミックな抽象画」宝塚市在住の抽象画家・元永定正が、楽しいドローイング展を開いている。大作のための素描ともいうべき小さな作品展でありながら、みずみずしい抽象マンガのイメージを豊かに広げていく。黒い夜空に浮かぶクラゲに似た浮雲、地平線あたりの異様な輝き。または、細長いオワン状の雲から雨の直線が、下方に見える黒い地平線へと垂れる絵。陽気な楽天性がこの作家のバックボーンになっているようだ。この種の軽い素描ふうの試みをこれからも重ねることによって、大作における類型化を防ぐことも大いに可能といえるのではないか。(F)(京都新聞 1976年10月2日)

○ 1976年9月28日—10月3日「彫刻二人展」「展覧会ガイド」芸大彫刻科在学中の阿部葉子と茨木宏子。阿部は円筒形の“影”を金属でさまざまに造形したり、両足を石コウどりした“トンネル”を提示、茨木は鉛を使って容量の変化を追う。(京都新聞 1976年10月2日)

○ 1976年10月5日—10月10日「風景’76」「展評 今日の“風景”観」画廊企画「風景’76」シリーズの最終回。斉藤智、鈴鹿芳康とオランダ生まれのベッソンの三人が、写真やビデオによる今日的な風景を提示する。このうち斉藤の写真を用いた“ダマシ絵”の世界が新鮮だ。一本のロープが道路を横切っている一見ありふれた風景写真だが、風景の中に同一風景の写真パネルを立てて再び写真に撮る・・・といった知的カラクリが隠されているため、その後追いの楽しみがある、まさに“人工の風景”だ。鈴鹿は室内で憩う男女の写真。これも一見ありふれた日常光景だが、よく見るとテレビのブラウン管の部分だけ色調が少し違っていて、不思議な状況となっている。ベッソンは何も写っていない四分間のビデオを流している。瞬間だけ、自分の顔がパッと出る・・という仕掛け。現代作家たちの手にかかると、風景の概念もさまざまに広がる。(F)(京都新聞 1976年10月9日)

○ 1976年10月12日—10月17日「松本正司個展」「展評 ビデオで追う時間・・」版画やビデオで“時間”を追求する松本正司が、大がかりなビデオ展示を試みている。“時間の中の時間”をテーマに、ミラーボックスの中に閉じ込めてしまったテレビ番組、数字に記号化されてしまった時間、秒針が左回転する時間の逆行など、手を替え品を替えて“人間と時間”の関係をさぐる。今という時間の同時性が、ビデオというメディアによって写し出されると、日ごろ気にもとめなかった時間の観念が大きくクローズアップされてくる。この種の観念的行為は、おうおうにして舞台装置も表現手段も投げやりになりがちなものだが、きちょうめんな性格が反映してか、一人よがりに終わらぬサービス精神に満ちている。(京都新聞 1976年10月16日)

○ 1976年10月18日—24日「舞原克典展」「展評 点の集積による画像」目に見える風景を点の集合として画像化しようとする舞原克典が、珍しい試みの個展を開いた。植物園のさまざまな風景を写真制版して、すりガラス鏡面に白一色でシルク刷りするわけだが、興味深いのは写真版にフラットなスクリーントーン(アミ点)を重ね合わせているため、それぞれの風景画蔵は、鏡面による不思議な立体感と、アミ点による平面性とが交錯しあって、消えたり浮かび上がったりする。こうしたシルク刷りの作品以外に、四色の色エンピツを使って“点の集積”による風景画蔵を結像させたり、純白な石コウ像に魚や虫の画像を同じやり方で結像させるなど、楽しい試みをみせる。(京都新聞 1976年10月23日)

○ 1976年10月26日—10月31日「今井祝雄展」「展評 映像表現’76の副産物」さる23日、レーザリアムセンターで開かれた「映像表現’76」の参加作家・今井祝雄が「八分の六拍子—パート2」と銘打って30数枚の写真を並べている。写真にはリクライニング・シートに座った観客が写っており、パノラマ状に展示されているが、これは映像展の会場で撮影したもの。あの夜を思い出せば—。やみの会場内にドクドクという心臓音が流れ、やがてメトロノームの規則正しい音にとってかわられる・・・目をこらしても何も見えず、フラッシュもたかれて・・・驚いたファンも多かったに違いない。目をこらしても見えず、フラッシュの光では今度は、2,3秒間も目の前が真白で何も見えなかった、おかしな経験がここによみがえる。映像を見に行った人たちが、いつの間にか映像にされてしまう面白さ。そう言えばあの会場で寺山修司が「放映される映像は見る場所によっても違ってくる。自分の目で見て、映像に参加しよう」という意味のナレーションを流していた。(T)(京都新聞 1976年10月30日)

○ 1976年10月26日—31日「のなつ展」福岡伸雄、木村直義の油絵と松原つとむの石彫。

○ 1976年11月2日—11月7日「鶴田憲次展」「展覧会ガイド」約四千匹のメザシの頭部と尻尾の部分を等間隔で基盤状に画廊三方の壁面に並べ、さわやかな視覚的効果をあげている。(京都新聞 1976年11月6日)

○ 1976年11月2日—11月7日「原三佳恵リトグラフ展」

○ 1976年11月9日—11月14日「富永文雄版画展」「展覧会ガイド」木版をベースに、オフセット、孔版などを併用したうえ、サイケな色彩で動画風の版画約20点を見せている。京都市在住の若手。(京都新聞 1976年11月13日)

○ 1976年11月9日—11月14日「田中和美展」「展覧会ガイド」ニワトリを主題に50号と10号の日本画数点を発表。大作など正面からとらえた茶色い画面に、力強い生命感をみせる。京都教育大出身の若手。(京都新聞 1976年11月13日)

○ 1976年11月16日—11月21日「太田信子展」「展覧会ガイド」陶によるかわいい人物や童話風の構成。成安短大出身。(京都新聞 1976年11月20日)

○ 1976年11月16日—11月21日「溝縁ひろし写真展」「展覧会ガイド」舞妓を主題にドキュメンタリータッチでその生活を紹介。(京都新聞 1976年11月20日)

○ 1976年11月22日—11月28日「桑山範子展」「展覧会ガイド」「貝」「サボテン」と題したサムホールの油絵14点に、大作とは違った詩情を見せる。京都教育大学出身の若手、主体美術所属。(京都新聞 1976年11月27日)

○ 1976年11月22日—11月28日「四人展」中島紀子、別所由里、真鍋まみ子、安田美佐子が版画や絵画など。いずれも嵯峨美術短大出身。

○ 1976年11月30日—12月5日「本田昌史作品展」「展覧会ガイド」蝶の羽を思わすカラフルな型染め作品で画廊壁面を埋めている。京都芸大生。(京都新聞 1976年12月4日)

○ 1976年11月30日—12月5日「中路規夫展」「展評 若い世代の思考」京都芸大出身の版画家・中路規夫が、画廊の三方壁面いっぱいに、化学性芯地にシルク刷りした版画を貼りめぐらしている。いずれも京都御所内の風景を写真製版してシルク刷りしたものだが、スライス(輪切り)された日常風景に時間性が導入されて新鮮な状況を呈している。つまり、それぞれの風景の中に、人や草の通る同じ場所の風景を同居させるやり方だ。もう一方の壁面には、御所の風景写真をスライスしたり、個展会場そのものの見取り図をスケッチした作品群もあり、ごく日常的な素材を使って非日常性を提示した試みではある。(京都新聞 1976年12月4日)

○ 1976年12月7日—12月12日「衣展」「展評 衣を考えてみた」京都芸大染織専攻科の学生と教師陣が集まって楽しい「衣展」を開いている。人間にとって最初の衣服は、エデンの園を追われたアダムとイブのイチヂクの葉だったかも知れない。そういえば会場には、アダムとイブの輪郭線をロープで示した作品があった。テグスで織ったスケスケの“天女の羽衣”もお目見え。さらにはカラフルなおばけブラジャー、端ギレを重ね合わせた小さなミノムシのオブジェ、エビ天の“コロモ”と男女をからませた染め絵・・。いささか身内的な展観になっているが、この種の楽しい試みは、もっと大がかりに行われてもいい。(F)(京都新聞 1976年12月11日)

○ 1976年12月14日—12月19日「三人展」「展覧会ガイド」シルクスクリーン版画とドローイングの併用による作品。岡村久之「五色の線路」、岩本京子「IN MY ROOM」、中島博昭「作品」いずれも嵯峨美術短大在学中(京都新聞 1976年12月16日)

○ 1976年12月14日—12月19日「アート・バザール」佐藤敏、奥井彰夫、舞原克典、橋本幸志ら20数人の小品多数を並べ、歳末のお祭り。

○ 1976年12月21日—12月26日「池本勝宏個展」「展覧会ガイド」写真製版でシルク刷りした街頭や駅風景などに網目をオーバーラップさせており何ものかにじゅ縛されているような自分のイメージを表出したという。嵯峨短大出身、京都市在住の若手。(京都新聞 1976年12月25日)

○ 1976年12月21日—12月26日「楠照道・人形展」「展覧会ガイド」馬とびや逆あがりなどで遊ぶ子供の群像や仮面など紙粘土の人形多数。動きあるポーズで童心をそそる楽しい舞台設定である。金沢美術工芸大出身の若手。滋賀県・能登川町在住。(京都新聞 1976年12月25日)

○「動く絵画“ビデオアート”試み 広がるビデオ利用法 画廊 アート・コア・ギャラリー」[京都]ビデオテープレコーダーは家庭用カラービデオカセットを中心に予想以上に強い市場浸透力をみせているが、京都で喫茶店経営者がビデオスタジオを開設して、手づくりのビデオソフト用にスタジオと機材を賃貸、また画廊を舞台に新しい絵画芸術“ビデオアート”という新しい試みに取り組むグループが誕生した。小型高性能カラービデオカメラの開発をはじめ、まだまだ課題も多いが、こうしたユーザーの動きは、ビデオの持つソフトの奥深さを示すものとして注目されよう。画廊アート・コア・ギャラリー(京都市中京区寺町三条下ル一筋目東入る、松本正司代表)ではビデオを使っての美術活動、いわゆる“ビデオアート”の試みをとり入れ、地元の美術愛好家の間で話題になっている。松本さん(46)は昭和48年にこの画廊を開設し、多くの美術家や美術を志す人達に貸し、また自らの美術活動の場としてきた。同氏がビデオを美術に取り入れ出したのは、画廊を開設する以前の六年ほど前からでビデオデッキがポータブル化されてからのこと。現在、ソニー、アカイ、日立などのビデオデッキ、白黒カメラを設置している。作品はビデオの記録性を利用したものが主であり、デザイン的な模様などの作品をビデオ撮りしてモニターテレビから鑑賞者の目に入れるもの。すなわちいままでの絵画は、画題をカンバスの代わりにブラウン管、絵筆の代わりに撮像管にし、画題に当る被写体は撮影者がいろいろな形で撮し、主張しようという主題に沿って編集する。いわば「動く絵画」というわけ。これに必要な技術指導や編集設備はソニーのサービスステーションが一役買っている。この変わった美術の表現手法は松本氏によれば「当初は珍しいものとして受け止められていたが、今は普通美術のジャンルと同列化されている。それだけに内容の濃い作品が要求されてくる」と語っている。展示の方法としては一作品に二、三台のモニターテレビを利用し、五分くらいの上映が最良で、観賞者は少人数で座った方が効果が出てくるという。現在は教師、サラリーマン、専門の美術家など八名がこの画廊を利用してビデオアートに取り組んでいるが、この人達はただ単なるテレビの裏番組録画、留守番録画、教養番組録画にあきたらず、ビデオ技術を利用して「創る」ということを最大目的に転換したといえる。同氏は「現在のビデオ販売には疑問な点が多く、メーカーの開発がホームビデオに片寄っている。また必ず白黒の安い物で良いからカメラも付けて販売すべきだ」とユーザーの立場から提案している。(新聞不明 1977年月日不明)

○ 1977年1月1月?日—1月23日「野島二郎展」「展評 錯覚の鋳造造形」画廊床面いっぱいに、正方形をした四枚の堅い金属板が、交互に重なり合って置かれている。これだけなら別に珍しくもないのだが、重なり部分が柔らかく盛り上がっていて、さも軟体性の素材のような錯覚を抱かせる。豊中市在住の立体作家・野島二郎の個展会場である。この金属板をつくるのに、まず木型を彫りさらにアルミ鋳造する・・・という操作をくり返した。鋳造のさいの「雄型と雌型」の珍しい関係を追うこの作家—あの手、この手で楽しい造形の跡を見せてくれる。(京都新聞 1977年1月22日)

○ 1977年1月?日—1月23日「川内麻嗣展」「展評」京都在住の若手作家 川内麻嗣が、これも見る者に錯覚を与えるタブロー個展を開いている。ベニヤ板に黄色い球体を吹きつけ技法で描写されているが、球体のまわりに黒い陰影やキ裂が描かれているため、さもベニヤ板そのものが球体によって焼けこげたかと思わせる。実際にベニヤ板の一部分をはがしたりして「虚と実」のからませを一層複雑化している。(京都新聞 1977年1月22日)

○ 1977年1月25日—1月30日「二人展」「展覧会ガイド」今春嵯峨美術短大を卒業する佐藤由子と中塚和子が、”Contemplation”(凝視)をテーマにした写真の作品を発表。佐藤は製図とカメラ・アングルの不思議な関係を追い、中塚は石段にカメラを向けて楽しい“イメージのばらし”を試みる。(京都新聞 1977年1月29日)

○ 1977年2月1日—2月6日「橋本幸志展」

○ 1977年2月1日—2月6日「村上尚武展」「評F&T 吹き付けの二個展」スプレーの原理で絵具を画布に吹き付けて描く技法がかなり浸透してきた。腰がない“空気の筆”で描くのだから、どこか無性格で無機的な画面の仕上がりになって、筆によって塗り込んだ従来の絵画とはひと味ちがったハダが生まれてくる。間接的な“タッチ”の出現ともいえよう。今週は、二人の吹き付け派が期せずして同じ画廊で個展を開いている。画廊企画“現代絵画77シリーズ”の一番バッターとして登場したのはパンリアル会員・橋本幸志。真っ白い空間に黒い円や十字の幕がある絵だが、淡いブルーとかピンクの光りがどこかからもれている。クールさとファンタジックな情感が混然とした世界だ。ぼうばくとした空間で繰り広げられる高度なメカニズムが生んだ光のドラマ—そこに清々しい詩情が流れている。もう一人の作家は長岡京市在住の若手・村上尚武—。100号ほどの画面は、いずれもイスに座った女性や立女が淡いセピア色で描かれ、消え入るような映像風の世界だ。「写真をベースに拡大して行く“フォト・リアリズム”の意識と技法によって制作した」と作家はいうが、写真とイメージをオーバーラップさせたような絵づくり、あるいは白いベールに包まれたような処理によって画面から受ける印象は、情念的な室内風景。映像時代に生まれた“詩の世界”ともいえよう。(京都新聞 1977年2月5日)

○ 1976年2月8日—2月13日「郭徳俊展」

○ 1977年2月8日—2月13日「七草亨子展「評F&T 写真を使って」国の内外で活躍を続ける京都在住の郭徳俊が、写真製版によるシルク刷りを用いた珍しい個展を開いている。シルク刷りされた写真は「タイム」誌に報道記録として掲載された労働者の顔、人・・・。形と遊ぶ少女、歌う黒人歌手たちそれだけなら平凡な白黒の写真版画だが、特定の部分だけ人工着色したり切り抜いたりしているため、メカニックな画面の中に主観導入が試みられて意外なリアリティが引き出されている。同じ画廊では今春嵯峨美術短大を卒業予定の七草亨子が、写真を使った若々しい試みを見せる。人、ビル、家、自動車などの影に目をつけ、影の部分に人工影を重ね描きしたり、影をつくった実物を切り抜いて人工影だけを残したり、さらには暗室操作で“人影だけのグランド”を見せたり、さまざまな試みを続ける。またイメージ展開の生硬さを見せながらも、好感のもてる写真展ではある。(京都新聞 1977年2月12日)

○ 1977年2月14日—2月27日「小さな石版たち」メンバーは海老原暎、中井富士子、原三佳恵、橋本文良、松谷昌順、山田信義

○ 1977年2月22日—2月27日「富永多美子展」

○ 1977年2月22日—2月27日「松下順一展」「評F&T 若手二人の版画」京都芸大出身の若手版画家二人が、みずみずしい未完の魅力を感じさす版画展を開いている。シルク版画の富永多恵子は金網やホウキのみえる同一写真を使いながら製版段階でコラージュしたり手描きを加えたりして、イメージの広がりを試みる。色彩のモアレの中に数個のコーヒーカップの映像をヒューっと入れ込んだ作品にも、感性のみずみずしさが感じられる。銅版(エッチング)の松下順一は無造作に刻みつけた腐食跡に、日本画出身らしい自然観をみせる。雲間の月、草原の牛など、白い空間を生かした絵づくりが楽しい。(京都新聞 1977年2月26日)

○ 1977年3月1日—3月6日「二人展」「ガイド」京都芸大在学中の前田聡子と西村節子。前田は友人のマスクや手足を石コウどりした作品群、西村はロープと土の関係を示した作品など。(京都新聞 1977年3月5日)

○ 1977年3月8日—3月13日「福田幸三展」「評F&T 写真とドローイング」人通りの少ない雪の境内。午前9時から正午まで同一場所にカメラを向け、その時間に通りすぎていった数人の足跡を記録。その映像を紙の上に焼きつけ、それぞれの足跡の主を手描きによって再現する・・・という試みを見せた福田幸三。映像を焼きつける方法も、観光液を無造作に紙の上の一部分だけに塗るという原始的なやり方を使っているため一層、映像追跡のフレッシュさが出ている。同じようなやり方で、町の風景写真を並べるこちらは町中を走るオートバイや歩行者の映像が、時間の流れを示すがごとくブレていて結像していない。ぼんやりブレた部分だけを、写真の下方にドローイング(手描き)でよみがえらせるという仕掛けだ。写真と被写体と時間の経過、それに作者自身の心理の跡ともいうべき手描きが加わると、面白くもない一枚の写真が不思議によみがえってくる。(京都新聞 1977年3月12日)

○ 1977年3月8日—3月13日「コピー考」「ガイド」情報の記録・伝達のメディアとして日常化したコピー(複写)の特性と美術とのかかわりを、四人の若手美術家がさまざまな方法でまさぐる。顔ぶれは楠秀男、小林伸雄、沢居曜子、辰野登恵子(京都新聞 1977年3月12日)

○ 1977年3月15日—3月19日「二人展」「ガイド」精華短大美術専攻科出身の関口高夫と鷺宮彬の二人が、楽しいカラクリを見せるドローイングや印刷物の転写・コラージュによる油絵を発表。(京都新聞 1977年3月19日)

○ 1977年3月15日—3月19日「現代美術77個展シリーズ 鯉江良二展」「評F&T」画廊企画による現代美術’77個展シリーズ(陶)の一番バッター・鯉江良二。類型化しがちな“オブジェ焼”に何とか生き生きしたエネルギーを注入しようとする陶芸作家の一人だ。床に数十個の土の塊がころがっている。よく見ると土塊にはそれぞれ人の顔が造形されており、あるものは黒くくすみ、あるものは無惨にただれた表情をみせる。かなり心理的な作品群ではある。(F)(京都新聞 1977年3月19日)

○ 1977年3月22日—3月27日「自画像77」「評F&T 現代作家に問う自画像」自画像の制作は、作家を強い緊張状況に追い込む。その視座が冷めたものあるいは自己陶酔であっても、自分自身を取材し表現する際の主客対立、主客重複の相克が他人の肖像画を描く場合とは違った真剣さや苦悩を呼び起こすのだろう。今日の美術の中で影をひそめているこの自画像を、現代作家に問う画廊企画「自画像77」が、林剛を皮切りにスタートした。画廊中央にミニ撞球台が一台、周囲の壁面に張りめぐらされた散文詩・・・という舞台設定でこの作家は“自画像”をつづる。密室でひとり球を打つ自分を“触媒”に、心情吐露して行く練れた語句を追っていくと一種の臨場感に包まれ、さらにはこの作家の感情の起伏が伝わってくる。伝統的な絵画の自画像とは異なる語り口だが、これも多様化した現代美術の中の自画像であろう。(京都新聞 1977年3月26日)

○ 1977年3月22日—3月27日「四人展」西川美有紀、甲田和子、重実武史、佐藤由子

○ 1977年3月29日—4月3日「版77」「評F&T 版と映像のからみ」画廊企画による現代美術77シリーズのうち、美術評論家・小倉忠夫の選による「版77」第一弾。版画界で活躍の木村光佑を取り上げている。アメリカあたりの街角だろうか、さまざまな階層の人たちが横に並んで談合している光景の写真。この写真を製版しシルクスクリーンで刷り上げたわけだが、たとえば透明板の表と裏に、色変えした二つの同一画面をわずかにズラして刷れば、ネガに見えたりポジに見えたりしてくる。このように、一枚の写真を一度バラして再び重ね合わせることにより、立体感が生まれ結像するおもしろさ。版と映像をからめた現代作家らしい試みではある。(F)(京都新聞 1977年4月2日)

○ 1977年3月29日—4月10日「ラテン・アメリカの18人の作家」「ガイド」アルゼンチンで活躍している若手版画家18人(うちブラジル人二人)の作品展。ルイス・ベネディット、マルガリータ・パクサ、スザンナ・ロドリゲス、ニコラス・ガルシア・ウルブルほか。

○ 1977年4月5日—4月10日「絵画77」「評F&T 画用紙上の正方形」画廊企画「絵画77」シリーズの第二弾—美術評論家・木村重信の選により、奈良在住の抽象画家・久保晃が登場している。白っぽい画面の中に朱色の帯が突然あらわれたり、フラットでクールな色面と黒っぽい色面とが隣り合っていたり、さまざまな個展ながら“絵画”を考えるには一つの好材料といえよう。(京都新聞 1977年4月9日)

○ 1977年4月12日—17日「グループ・スペース」「評F&T エコーする音の不思議」有岡進、光森英毅、西田光男の若手三人が「グループ・スペース」という名で一つの共同作業を見せる。画廊内の壁面や椅子、天井、さらには床に置いた焼きものオブジェなどに集音マイクを取りつけ、会場を訪れた人たちの発する音を録音再生して会場に流す・・・という仕掛けだ。それもミキサー、エコー・チェンバー、ラウド・スピーカーなどを駆使しているため、ひとたび発せられた音は時にエコーして余韻を残し、時には不思議な時間のズレを見せて帰ってくる。「錆びついたものの見方を変えてみる」というねらいを聞くまでもなく、音の世界の不思議を実に楽しく実体験させてくれる状況設定ではある。(F)(京都新聞 1977年4月16日)

○ 1977年4月19日—24日「金子潤展」「評F&T アメリカ帰りの前衛陶彫」アメリカに渡ってエネルギッシュな活躍を続けていた前衛陶芸家・金子潤がこのほど帰国、画廊企画による個展を開いた。焼きもののもつ既成概念をことごとく打ちくだくように、さまざまな挑戦の跡が並ぶ。ロクロびきの大ザラの一部を、惜しげもなく電気ノコギリで切断したり、丸い水盤の裏底にドリルで穴をあけたり・・・。金属棒を思わす数十本の棒状が壁に立てかけてあるかと思えば画廊の片すみにはゲテモノ市を思わす乱雑さで人を食ったような土のオブジェ群が山と積まれている。もはやここには、オツにすました“土と炎の芸術”の気はずかしさもなければ、ひ弱な既成前衛とも隔絶された、たくましい健康さが息づいている。本来生き生きしていたはずの土の造形を、逆説法によってよみがえらせようとする気迫が伝わってくる。なお最終日午後6時から「スライドとディスカッションの集い」がある。(京都新聞 1977年4月23日)

○ 1977年4月25日—5月1日「四人のやきもの」嵯峨美術短大を卒業した4人が小さなオブジェや花器など。メンバーは川畑元雄、松村栄子、井上町子、東深雪

○ 1977年4月25日—5月1日「ヨシダミノル ビデオによる“自画像”展」
「7年間のトリップからかえった宇宙人 ヨシダミノル」私が京都に来た理由は、全く、たわいもないことからである。危険と恐怖の囮(わな)の中で、またなんでも売ってしまおうとする、しかも人間としての証明が立証出来にくい大都市ニューヨークで、いったい人間とはなんなのか? と自覚しながら、どうにか肉体だけは原形をとどめて今、ウソのように九条山のスタジオに居る。このガンコな「石頭」をそれ等の囮から、ときほぐすべく、あまり旧友にも会わずにいる。ニューヨークに自身を置いて「ここまでは」「どこかに」「誰の為に」「全てはお前の為なのか」と考えてもいるが、しかし「たかが自身のこと」を笑ってはいけない。「コジキ三日すればやめられない」こと、現代美術の囮とはいったい、たかが文明度30年の現代美術として、ただただアバンガルド・アートを考えて来て、これ等に掛かわっている同志が一人一人へり一人一人ふえてエンドレスになり、一つの認識となる。アバンガルドには常に鬼気感がなければいけない。この日本国における鬼気感は1945革命(終戦)が0度となり、やっと青年期に達したようである。あの60年代に「産めやふやせ」の現代美術の無責任な時代からやっと「芸術とは何か」と「芸術はすでに終った」とのやりとりの、「スキ間」を見つけ出した。秀才達は「向こう側」と「こちら側」を延々と見つめて自身の微妙なる宇宙に浮かぶことが出来るかと・・・。私の考えはまちがっているだろうか? いやしかし1945年、文明度0の時、国民小学校四年生で自覚したそれは、USAに7年いても、こわすことは出来ずにいる。単なる情報のみでは、解決しない。アバガガルド・アートは「全て語りつくされ」「全て絵がきつくされ」「全く絵がきつくされ」「全て自身で体験して来た」中で、二十世紀後半が「一人になって歩く」のは難解なことだが、今一度、固くとざされた頭脳の片すみに「かたくな」になっている「精神物理物質」にさぐりをいれてみれば・・・と。それにしても、宇宙が微妙に動く「気配」がする。この人達を危険と恐怖と囮の中から「四面壁立」から、ある「スキ間」の存在をと、それにしても微妙な風が吹く。オカルトでなく、実際に、宇宙を中心とした、前衛精神物理物質を人間と共同制作(コラボレーション)したいものである。それにしても平和な日本の京都の町並みよ。宇宙人ヨシダミノルより。宇宙にかかわり会いのある方へ(原文のまま)—ヨシダミノル氏はこのほど7年ぶりにニューヨークから帰国。5月1日までアート・コア・ギャラリーでビデオによる“自画像”展を開催中。写真はニューヨークでの筆者。(京都新聞 1977年4月30日)

○ 1977年5月3日—5月8日「湯田寛展」「評F&T 立体感とは・・・」大阪在住の画家・湯田寛の絵画もストライプを中心に虚の立体感を使ったイメージ。青や赤などのシマが突然に折れ曲がって、表裏のように見えたり、シワくちゃの紙がキャンバス上に張られているようにも見える。カラリとした幾何学形体のドラマに乾いた幻想がある。(T)(京都新聞 1977年5月7日)

○ 1977年5月3日—5月15日「国際ポスター展」「ガイド」アムネスティ・インターナショナル(人権を守る国際救援機構)日本支部が「良心の囚人年」運動の一つとして開催。ミロ、横尾忠則ら十五人のポスターを展示。

○ 1977年5月9日—5月15日「佐藤敏展」「評F&T」画廊企画「現代美術77」シリーズに登場するのは走泥社所属の前衛陶芸家・佐藤敏。このところ精力的な個展をあいついで開いているが、一つところに安住して自己陶酔したり、イメージが枯渇したりするという不安はない。今回も白釉に金を加えて華麗な未文化のオブジェをよみがえらせている。(京都新聞 1977年5月14日)

○ 1977年5月17日—5月22日「木下佳通代展」「評F&T 合成写真の自画像」対象の“実像”を時の経過の中でとらえる姿勢を、兵庫県在住の作家・木下佳通代が、画廊企画「現代の自画像」シリーズで見せている。例えば、交差点を行く自転車のおじさんのスナップ写真—。一見ありふれた街角風景のようだが、実は日時の異なった八枚のスナップを合成したもの。このようなコラージュ、あるいはアングルの移動によって超ワイドな風景写真は表面上は虚の風景に変容していくわけだが、作家とのかかわりの中に新鮮な“実像”となって浮かび上がってくるのだ。一番最後の壁面に作家自身の全身写真やスナップがある。これもこの数年来の合成であったり、幼き日との出会いであったりする。どこかチグハグなのだが、本人を知る者にとっては強い存在感がある写真—今日の自画像である。また、同じ画廊で京都市在住の若手・加賀輪真吾が「私事」と題した個展を開いている。きちんと陳列された着古しの帽子や靴、大工道具などは、この作家にとっては身近な人たちの持ちものという。観者にはさして意味のない小道具だが、これを媒体に自己との対話を個展期間中、続ける舞台設定であろうか。(京都新聞 1977年5月21日)

○ 1977年5月21日「遠藤正・映像個展」21日午後7時半画廊企画「イメージ野郎」の第一弾で、東京在住の映像作家。有料。

○ 1977年5月24日—5月29日」「石山駿展」「評F&T」石山駿が画廊企画「陶77」シリーズの第四弾として登場。黒いオワン型の上で、コミカルな動きをみせるヒラヒラのかわいい形・・・シックなカラフルさをみせる形色ともあいまって、抽象形体がおりなすコミックなドラマがはじまる。(京都新聞 1977年5月29日)

○ 1977年5月31日—6月5日「山田信義個展」「評 F&T」われわれが現実に認識する三次元の世界から比べると、平面の世界は実に窮屈と一見思われる。けれども二次元ゆえに現実とはるか異なった広い世界が描き出されうるのではないか。画廊企画シリーズ「絵画77」に登場した京都芸大出身・山田信義の水彩画はそんな感を一段と強める。画面に使われる“小道具”はロープや二つ折りの紙、棒、ヒモ・・・といったフォルムだが、よく見ると実に不思議な形体で描かれている。例えば階段に細いロープがはっている作品—。確かにそのロープは床をはい、伸びているのだが、階段自体は何の支えもなしに立っている・・・といった具合。現実的な世界に作用する重力とか陰影など力学的光学的な合理性は、そこではぐらかされた異次元なのだ。対象をありのままに写す従来の絵画から見ると非合理そのものだが、それだけに未知の広い空間のドラマを表現しているわけだ。(京都新聞 1977年6月4日)

○ 1977年5月31日—6月5日「重実武史展」「ガイド」線を引いた紙を中心に鏡面によって虚実入りまじった空間を写真で呈示。嵯峨美術短大専攻科在学中。(京都新聞 1977年6月4日)

○ 1977年6月7日—6月12日「米津茂英展」「ガイド」今日の自画像を問う「自画像77」シリーズの一つで、過去十数ヶ月にわたる“私製バインダー”を並べている。電卓、スタンプ、受けとったはがきの一部、ドローイングの人物・・・とその日その日の思考や行動を象徴的に  独特のやり方で“自画像”  っている。京都市在住。(京都新聞 1977年6月11日)

○ 1977年6月7日—6月12日「デューゼンベリ・メリ展」「評F&T 甲冑思わす堅固な染織」京都市に住むアメリカの女流染織家デューゼンベリ・メリが個展を開いている。「衣」のタイトルが示すようにワンピースやボレロを想起させるような外形をしているのだが、食い込むような深い染めの発色と堅固な織りの造形が実に堂々としてエネルギーを凝縮している。例えばワンピース型の作品。胸元には糸の強い緊張、スカート部分は流動的であって重量感があるヒダ、配色の妙がこれに加わって衣装とは思えない力強い存在だ。かなりサイケな色も登場するものの全体としては落ち着いている。「紫糸絨」や「赤糸絨」などの甲冑の名品を見た時に襲われるよう威圧な感があり、日本古来の染織の一つの特性を指摘しているようだ。原始宗教の祭神を思わす呪術的なイメージもあって、小ぶりなサイズを忘れさせた。(京都新聞 1977年6月11日)

○ 1977年6月14日—6月19日「宮永理吉展」「評F&T」幾何学的な構成による抽象作品を発表するのは、走泥社同人・宮永理吉。三角錐にくっついた角柱、半円柱と円柱、伏せたオワン型と曲がった円柱・・・などシンプルな形体同士でかつ異形な組み合わせに、視覚的なショックや知的なくすぐりをのぞかせる。やや類型化した中に従来の要素を凝縮した一点は新展開の方向か。青白磁の面取り花器に手業のさえも見せている。(京都新聞 1977年6月18日)

○ 1977年6月18日午後7時半「内海朗・吉田孝光映像展」有料。

○ 1977年6月21日—6月26日「自画像77 郭徳俊展」「評F&T これも今日の自画像」今日の自画像を紹介する企画「自画像77」に、京都市在住・郭徳俊が登場している。まさに十人十色。自分の姿形を通して画面に自己の内面を定着する、かつての自画像は見られないシリーズだが、この作家もユニークな語り方だ。「ルーツ」を紹介するタイム誌などで自画像をつづっている。シルク刷りした表紙の数人の人物一部をカッティング、あるいは彩色しており、一見、気ままな作風の跡だ。ところが、カット(消去)された故に、残った部分が鮮明に浮かび上がり、一方でカットされた部分への関心がわいてくる。結果的に、作業にあたった際の作家の心理状況を推測させられる訳だが、内なる自己を対象化し、表現する意味では自画像そのものだろう。多分に、作家と観者との誤差はつきまとうのだが・・・。(T)(京都新聞 1977年6月25日)

○ 1977年6月28日—7月3日「版77 西真展」「評F&T」画廊企画「版77」に登場した西真の木版画は、このメディアを素朴かつ明快に取り扱っている。すなわち描くこと、彫ること、そして摺ることの各プロセスを個個に点検しながら、一枚の版画を生んで行く—その軌跡が見る者にストレートに伝わってくるのだ。版画としては、ジグザグの無数の線を主体に、人物や長方形のシルエットを配したもの。一見、手際よいデッサン風の作品だが、版の機能を自在に使っている。そのため、描かれた流麗な線とそれを版に彫り込む作業の間に、緊張した相関関係が見られ、さらには摺り段階におけるバリエーションやコントロールによって、多彩さと複合の効果をうまく生み出したといえる。イメージにもオリジナリティが備わっており、新展開を思わす個展だ。(京都新聞 1977年7月2日)

○ 1977年6月28日—7月3日「岸本五十二展」「暁富士」「吉祥天」「狸」など洋画。松原市在住の若手。

○ 1977年7月5日—7月10日「小西美行展」自画像77シリーズの一人。京都芸大出身。

○ 1977年7月5日—7月10日「映像’77⟨響く絵と動く音⟩」
「自画像」「版」などと並ぶ画廊企画のシリーズ展で、第一弾の今週は岩越園子、田中正、吉田孝光の三人が八ミリフィルムの作品を上映。岩越は電光掲示板の光の動きとピアノの音でファンタジックな情感を刺激。田中はフィルムと音声のズレをねらったインタビューの映像。吉田はゲームセンターの映像をベースに、新しい映像を制作。(京都新聞 1977年7月9日)

○ 1977年7月12日—7月17日「映像’77 No.2」池田光恵「長方形の回転」、植村義夫「GAP」、吉岡敏夫「White noise」いずれも八ミリによる映像作品

○ 1977年7月12日—7月17日「陶’77 杉江淳平展」「評F&T 常滑作家の発表」先人の築いたところに安住せず、いかに新たな展開を目ざすか—経済と同様に低迷を続ける美術にあって、いろんな点検が試みられている。企画シリーズ「陶’77」もその一つで、自由で新鮮な陶による造形を考えようとする場だ。今週は愛知県の常滑在住・杉江淳平が登場している。いささか、幾何学体の中に有機的な要素を加えて小気味良い切れ味を見せている。例えば三角錐のてっぺんにグニャリと曲がった白い柱? が立っていたり、固体が倒れそうになっている形体。ボデーの堅固さと窯内の温度を示す「ガーゲル錐」によるヒラヒラのフォルムが響きあって、おとぎ話の国の建物を見るような楽しみを与えてくれる。また、トゲが規則正しく並んだようなユニットの大きな構成は、超現実的な生物を想起させる。「大きな仕事が持って来られなくて・・・」という説明だったが、伝統的な土壌に育ちながらローカル色がそんなに見られない。(T)(京都新聞 1977年7月16日)

○ 1977年7月19日—24日「小さな自画像展」

○ 1977年7月19日—7月24日「版77 安東菜々展」「評F&T メール/アートの自画像」世界21カ国、約100人の現代美術作家を対象にした「小さな自画像展」が開かれている。京都在住の前衛作家・郭徳俊が、内外の作家三百人(うち日本作家100人)に出品依頼書を郵送、風土や思想の違いによって生じる“自画像”への反応を求めたもの。「メール・アート」と銘うったこの企画—規模としては決して大きいものではないが、それだけに肩のこらない気楽な楽しみもある。「自画像」といっても、かつてのまともな“油絵自画像“は見られず、もっと精神的屈折をもった観念思考型の”自画像“が大半。言語表現を駆使するもの、ていねいなドローイングの跡をみせるもの、写真をアノ手コノ手と活用するもの・・など表現方法はさまざまだが、意外にまじめな反応を示した作家が少なくない。やはり、突然マイクを突きつけられたよな「課題作」ゆえではあるまいか。一方、別室では「版77」シリーズとして安東菜々の個展が開かれている。「エレクトリック・ワイヤー」と題した十点近くの版画は、写真製版によるシルクスクリーン。電線の見える風景を写真に撮った版画だが、見どころは同一画面の中に異質な空間が同居している点。激しくブレた風写真の中に、一カ所だけピントの合った風景が入り込んでいるだけで、不思議な”人工空間が生じる。知的さわやかさがあふれた若若しい作品群だ。(京都新聞 1977年7月23日)

○ 1977年7月26日—7月31日「新人77」「ガイド」アート・コア版画工房に学ぶ新人を紹介するシリーズ第一弾。東村幸子が野菜や果物を直接版に焼きつけた銅版画「プランツ・シリーズ」に繊細な感性を見せ、坪田紳志、高田一の二人は観念的なシルクスクリーンだ。(京都新聞 1977年7月30日)

○ 1977年8月2日—8月7日「新人77—No.2」「ガイド」アート・コア版画工房に学ぶ若手を紹介するシリーズで、浅野雄司、岩知道昭子、富永文雄の三人が情念的、あるいは抽象形体などのシルクスクリーンなどを発表。(京都新聞 1977年8月6日)

○ 1977年8月9日—8月13日「新人77—No.3」「ガイド」アート・コア版画工房に学ぶ新人を紹介するシリーズ。高村圭一「淫らなアフロディテ・シリーズ」、足立三愛「憧憬」「晒されしモノ」ほか、生理的あるいは超現実的な心象を託した。ともに銅版画。(京都新聞 1977年8月13日)

○ 1977年8月15日—8月21日「映像77 No.3」「ガイド」「時間風景」をテーマに六人の若手がビデオや写真で、映像の中に時間の経過やズレ、虚実のかかわりなどを追っている。メンバーは太田圭子、岡村久之、黒田佳久、佐藤由子、重実武央、西川美有紀(京都新聞 1977年8月20日)

○ 1977年8月23日—8月28日「新人展’77—no.4」「ガイド」アート・コア版画教室に学ぶ若手の紹介シリーズの第四弾。川崎昌美がサンサーンス「動物の謝肉祭」の交響曲に触発された細密画のファンタジックな銅版画を発表。(京都新聞 1977年8月27日)

○ 1977年8月23日—8月28日「二人展」「ガイド」京都工繊大を卒業した平田講樹、高見雄司の二人が映像をベースにシルクスクリーン版画を見せている。(京都新聞 1977年8月27日)

○ 1977年?月?日—9月11日「不動茂弥展」「評F&T 「い」文字の展開」元パンリアル会員の画家・不動茂弥は、このところ浄瑠璃本の中に見つけた「い」文字を素材に、どこかシュールなイメージを展開することに関心を持ち続けている。今回の個展でも「い」という文字がいくつもの色に分解されて楽しげに舞い踊る「羽衣」や、「い」文字のリンカく線がいつの間にかヒモ状にからまり合って変ぼうしていく「装い」、さらには「い」文字の一部分が情念的な朱色で塗り込められている「旅の果て」など、素材はレタリング風の文字でありながら、心理的なイメージの広がりが少し不自然さを残しながら始まる。同展は画廊企画「絵画77」シリーズの一つだが、手仕事の中から生まれる個人的な世界の展開に、まだまだ可能性が残っていることを感じさせる個展だといえよう。(京都新聞 1977年9月10日)

○ 1977年9月13日—9月18日「中野晴生展」木立やアップでとらえたコン虫の写真。伊勢市在住。

○ 1977年9月13日—9月18日「絵画77」「評F&T さわやか“線の詩”」無数の平行線によって、さわやかな動きとリズムの時を奏でる大阪在住の洋画家・森本兼司が、画廊企画「絵画77」シリーズに登場した。京都では初の個展である。鉛筆の平行線が、実に多彩な視覚効果を生んでいる。ぎっしりと並んだ平行線群が、わずかな角度をもって交差すると画面に一定の運動が始まり、さらにキャンバスの網目が与えた直線の微妙な陰影が“透かし絵”のような曲線となって画面に豊かな奥行きを作った。2Hほどの鉛筆で細い線条を引く緊張した手仕事と「平行線のフロッタージュ」によって出現したキャンバスの表情が、うまく融和した。いわば、計算した描き込みと、それによって掘り起こされた偶然の効果的な出会いがそこにあり、画面からはさわやかな線の音が聞こえ、未知の風景がうかがえる。あらかじめブルーやオレンジ色などのぼかしを施した作品が多いが、時には潤んだ甘さに流れて線の生命が消されがちな点が惜しまれる。(T)(京都新聞 1977年9月17日)

○ 1977年9月20日—9月25日「二村春臣展」「ガイド」赤やオレンジなど渦巻き状の抽象形体で約20点。(京都新聞 1977年9月23日)

○ 1977年9月20日—9月25日「元永定正展」「評F&T 浮遊する具体物」宝塚市在住の抽象画家・元永定正の絵を見ていると、楽しい気分になる。日ごろ、深刻ぶった絵を見せつけられている無機には、何よりの清涼剤だろう。画廊企画「絵画77」のシリーズとして登場した今回の個展には「何か浮かんでいるみたい」と題した作品六点を発表。吹き付け描法や筆がきをうまく使いこなした画面には、つかみどころのないボウヨウさとデリケートなショッキングさが同居しているようだ。題名通り宙空に浮遊するモノは、この世のものとは思えぬという意味では非具象なのだが、全く新しく生まれた生命体だという点ではまさに“具体”なのだ。気球のようなものが浮いていたり、ヒマワリ型の太陽が二つ浮かんでいるような作品もあり、幻想ユーモアそそる具体漫画の世界だ。(京都新聞 1977年9月23日)

○ 1977年9月27日—10月2日「片山昭弘展」「評F&T 偶然の効果を導く」いかに卓越したイメージであっても、それに対応した表現技術がない限り実現されない。技術の鍛錬は、芸術にとって変わることのないテーマの一つであろう。「絵画’77」シリーズに登場した大阪・池田市在住の抽象画家・片山昭弘の作品を見ていると、このあたりの事情が実感となってくる。さして広くない四十号ほどの画面なのだが、その空間は広くて奥行きがある。音もたてず流れるマグマのように粘着性があるかと思えば、暗雲をかすめる霞のように渋い流れが黒一色の画面の中にあり、ゆっくりした動きの予感が見えるものを小宇宙に導く。技法は“墨流し”にも似た偶然的なマチエールだが油性絵具の特質を生かしたり下地塗りの工夫などで偶然をコントロール、さらに偶然を呼び起こしているところが画面を豊かにした。どことなくぼうようとした画面には深刻ぶったところがなく、むしろほっとしたなごみのある空間を垣間見せる。(T)(京都新聞 1977年10月1日)

○ 1977年10月4日—10月9日「笹山忠保展」「ガイド」波形の陶板ユニット九枚を並べ、さわやかな詩的な響き合いを見せている。ピンクがかった釉薬と手アカの跡を残さないフォルムで、陶芸臭を消去した造形。滋賀県・信楽町在住の陶芸家。(京都新聞 1977年10月8日)

○ 1977年10月4日—10月9日「西川美有紀展」「ガイド」十行余の文章を、単に角度をかえるだけで意味が不明となって文字が孤立して行く跡を見せる。嵯峨美術短大専攻科に在学中。(京都新聞 1977年10月8日)

○ 1977年10月11日—10月16日「でずだず展」精華短大デザイン専攻科の卒業生4人。メンバーはたでらえり、あずまかずこ、やまたともみ、みずのかおり

○ 1977年10月11日—10月16日「富張広司展」「評F&T」装飾的な情念を綴るのは埼玉県在住の富張広司。「花冷え」「風炎」「ある風景」などと題したモノクロ作品には、女体のしなやかなフォルムが中心にある。それを取りまくように、淋派の装飾性を思わす流麗な線が波うち、さらに桜や菊花が散りばめられて、静と動のフォルムが音楽的な響き合いをする。銅版画など硬質の版にも近いシャープな彫り、それでいて平板に終らない面など、しっかりした技術に独自のイメージが裏付けられた近作である。(京都新聞 1977年10月15日)

○ 1977年10月18日—10月23日「舞原克典展」「評F&T 掘り起こされた自画像」選ばれた8人の現代作家に今日の自画像を問うシリーズ企画「自画像’77」のアンカーとして、京都芸大勤務・舞原克典が登場している。語り口は単純明快。アルバムから自分の写っている写真を見つけ、これをエンピツでプリントしたもので、“わが半生”を綴る方法だ。プリントされた絵は二歳の時のかわいい姿を皮切りに七五三参りのハイカラなポーズ、さらには学校の運動会や学園祭の楽しい光景、恋人との甘い語らい、大学の卒業記念写真などを経て今日の一家だんらん風景に至る。だれでもが経験を持っている思い出のスナップを思わすエンピツ画の連続であるが、よく見るとリアルであったり、もうろうと描かれたりしており、わずかに彩色された部分もある。そこには映像をプリントして行く自画像の掘り起こし作業の中で去来した数々の感情の起伏が生き生きと投影されており、それが見るものに訴えかけてくる。素朴な発想と作業の中に繊細な感情の流れる自画像たちだ。(京都新聞 1977年10月22日)

○ 1977年10月25日—10月30日「野村博展」

○ 1977年10月25日—10月30日「徳野卯一郎展」「評F&T 二つの版画展」画廊企画「現代美術77」シリーズの版画部門として登場した東京在住の野村博。気の遠くなるような細密極小の小口木版の世界を展開する。白黒の画面を見ていると、まさに銅版画(エッチング)を思わす職人芸ともいうべき彫りの跡だ。顕微鏡的な刻線の走りが、ある時は発光体のように放射状に飛びかい、またある時は粒子のように飛び散る。大向こうをうならすタイプというより、むしろイメージを凝縮していくタイプだと言えよう。一方、大阪市在住の徳野卯一郎は、カラフルで有機的な抽象絵模様のシルク版画を発表。単色の濃淡や多色刷りのズレ効果、さらには騙された色彩・・・といった手段を用いて視覚に訴えかけてくる。(F)(京都新聞 1977年10月29日)

○ 1977年11月1日—11月6日「グループAir展」「ガイド」武田雄二、池本勝宏、東光一の三人が観念的な試みを見せる写真や版画、絵画。ともに精華短大関係者(京都新聞 1977年11月5日)

○ 1977年11月1日—11月6日「柳原睦夫展」「評F&T 青空が見える陶芸」ちっちゃな陶板だが、描かれた青空はグーンと広い—京都市在住の陶芸作家・柳原睦夫が、小気味のよい小品を画廊企画「陶77」シリーズで並べている。円形、ダ円形、長方形、さらにはこんもりと盛り上がったものやへん平なものなど十点。そのいずれにも白いちぎれ雲が浮く青空が描かれており、素朴派あるいは超現実主義に登場するような現実離れした空間が広がる。陶をベースにしながら、土の味を消しきった作品である。(京都新聞 1977年11月5日)

○ 1977年11月8日—11月13日「黒崎彰展」「評F&T」京都市在住の木版画家・黒崎彰の情念風景は「迷彩譜」とタイトルが付けられた抽象作品。フォルムとしては幾何学形体だが、暗いブルーや黒の中に鋭い朱やイエローなどのストライプや走る線が見える。とりとめのないヤミの中に、音もなく浮かび出てくる光の幻想—これまた、今日の心に去来する異次元のドラマであろう。鋭く、また量感のある色、たいろぎのない力強い構成は、この作品の持ち味だ。(京都新聞 1977年11月12日)

○ 1977年11月15日—11月20日「本田昌史作品展」京都芸大染織専攻在学中の若手。型染めによる作品。

○ 1977年11月15日—11月20日「三輪なつ子展」「ガイド」画廊企画「現代美術77」シリーズの一つ。大阪府吹田市在住の二紀会所属、画家。有機的な非具象形体の中に、万葉の官能をたたえたような抽象画数点。(京都新聞 1977年11月19日)

○ 1977年11月22日—11月27日「二人展」栗岡孝於、飯田三代が版画など

○ 1977年11月22日—11月27日「河内成幸展」「評F&T」東京在住の版画家・河内成幸が画廊企画「版画77」シリーズに登場、京都で初めて個展を開いている。語り口としては、超現実な発想による心象的な室内空間だが、呪縛と崩壊の二つの要素がせめぎあって不安なバランスを保ち、底知れぬ今日の断面を表出する木版画だ。(京都新聞 1977年11月26日)

○ 1977年11月29日—12月4日「林秀行展」「評F&T」画廊企画「陶’77」に登場した走泥社同人・林秀行は陶の味を消去した磁器の純粋な抽象形体に、イメージを定着している。固定しがちな表現をそろそろ打ち破りたいようだが、「髪のデザイン」「錯乱」など、どこか擬人的な幾何学的構成がガラリとした生理臭を帯びて、いつもながらに微笑みをそそる。また、同じ画廊で京都芸大専攻科に在学する朝田郁が個展。おもちゃ箱をひっくり返したような雑然とした中に、土との格闘ぶりやあっけらかんとした陶への接近が感じられた。(京都新聞 1977年12月3日)

○ 1977年12月6日—12月11日「版画三人展」嵯峨美術短大在学中の渡辺裕美、土田雅昭、花田久美子がエッチング、シルクスクリーンなど発表

○ 1977年12月6日−12月11日「井田照一展」「評F&T モノの表面と間」画廊企画「現代美術77」シリーズの版画部門として登場した京都在住の井田照一。ふつうの木版画や銅版画を見るような意識で近づくと、全く期待を裏切られる。それもそのはず、この作家が求めているのは、版画にあらわれる絵画性のよしあしなどではなく、転写という行為を媒介として「モノの表面」とか「モノとモノとの間」を実感させようというものだ。たとえば板張りの床や舗装道路の表面に墨?をつけ、そこに手すき和紙を当てて拓本どりする。和紙に転写された床や道の表面はまた床や道と和紙との間でもある。一見稚技にも思える行為だが、物質の存在の仕方をみずみずしく問い直してくれる作家に違いない。(京都新聞 1977年12月10日)

○ 1977年12月13日—12月18日「泉茂展」「ガイド」アルファベットを思わす抽象形体の組み合わせによる小品の絵画。「絵画77」シリーズの一つ(京都新聞 1977年12月17日)

○ 1977年12月13日—12月18日「四人版画展」「ガイド」人物や風景の合成を試みる平尾徹、線描による素描風の寺田一行、カラリとしたデザイン風の谷山文衛、アニメーションのように動く自画像?の岸中延年。いずれも嵯峨美術短大出身。(京都新聞 1977年12月17日)

○ 1977年12月14日—12月22日「多田正俊個展」

○ 1977年12月20日—12月25日「中村錦平展」「評F&T 土と人とのかかわり」金沢出身の陶芸家・中村錦平は、数年前までサイケなあくどい色彩を駆使したポップ調の陶彫作品を発表していたが、このところ土と人間とのかかわりを原初的に問い直すような仕事を見せる。今回の画廊企画「陶77」でも、ちょうど泥田が干ばつで干割れしたような状況を設定している。これは地面に泥土を引きのばし約一ヶ月ほどそのままの状態にして天日で乾すと、シャープなキ裂が生じ大小いくつもの土くれに割れるが、それらの土くれた低下熱で素焼きしたあと、ジグゾーパズルふうに画廊床面で再び組み合わせたものだ。焼き物の世界は、土という素材とあまりに密着しすぎてか、発想の造形自体に焼き物特有の意識的においが生じがちなものだが、そうした焼き物造形をすっかり手元から切り離してみて、土との関係を問い直しているのが、この作家の最近の仕事といえそうだ。窯を通過していても、ここに並ぶ土くれたちは、思わせぶりな陶芸の実像性をあざ笑うかのように、はっきりと虚構性を前面に打ち出している。(京都新聞 1977年12月24日)

○ 1978年1月?日—1月15日「映像展」「ガイド」14日は午後5時、15日は午後1時、3時、5時の上映。多田正俊のフィルムと赤松雅信、大沢利夫の現代音楽。

○ 1978年1月?日—1月22日「富永文雄展」「ガイド」「わたしは女と・・・」と題し、日記風につづったシリーズ写真。京都市在住の若手。(京都新聞 1978年1月21日)

○ 1978年1月17日—1月22日「二人展」五嶋信之、朽木睦子の二人が抽象版画など

○ 1978年1月24日—1月29日「吉岡雅子展」「ガイド」虚実ともどもの線や点、キャンバスの切り込みやコラージュなどによって、描くことへの私的で原初的なかかわりを展開。京都市在住。(1978年1月28日)

○ 1978年1月24日—1月29日「現代美術78シリーズ」「評F&T シリーズの画廊企画」低経済成長の暗たんとしたムードが美術の思潮にまで深い陰影を投じているのか、いまひとつ燃え上がりを欠く京都美術界。そんな中で、なんとか現代の断面を露呈しようという画廊企画が今年も展開されることになった。台頭しつつある現代美術の若いエネルギーに焦点をあてるか、あるいは安定したOBにアンコールの拍手を送るか、まだ流動的な面もあるが、その渦中に身をていしてかかわって行く画廊の姿勢は、やはり貴重な存在の一つといえる。「現代美術78シリーズ」第一弾の今週は京都、大阪在住の三人によるビデオ・アート展が開かれている。まず、郭徳俊は映像への素朴なかかわりを見せた。8ミリ映画だろうか。スクリーンに上映される“じゃんけん”する人物に挑戦する。映像に合わせ、真剣に対戦すればするほど身勝手?な映像と作家のチグハグな動きのズレがおかしく、映像そのものに規則された行為の連続は遂に悲しい。悲しいといえば、今井祝雄のパーフォーマンスも同様だ。ビデオのテープにグルグル巻きにされ、徐々に“かかし”のように変容して行く自画像が、古き良き時代の映画を想起させた。ともに、自らピエロの役目を演じながら単なるお笑いに終わっていない。また、植村義夫はのぞきからくりの装置で映像の“ステレオ効果”を見せる。人間の視覚による認識の構造が具体的にわかる試みだ。いずれも、エスプリがあったり原初的な映像の問題提起で、映像に真正面から取り組んだものではなさそうだが、ちょっとこぶしの効いた作品。(京都新聞 1978年1月28日)

○ 1978年1月30日—2月11日「扇面美術展」「ガイド」東西の現代作家17人が扇面という古典的な表現空間に挑戦、各人の個性を披露。

○ 1978年1月30日—2月5日「寺井康浩展」「評F&T」京都市在住の若手抽象画家・寺井康浩が、地道な歩みの跡を見せる個展を開いている。作品は従来と同様に、幾何学的な要素を持つが、茫漠とした空間への広がりが感じられる。画面は静止した。赤や青、黄色など焦点が定まらない映像のように、色がかすんで浮遊する。このばくとした空間と対立するように“転調”を繰り返しながら色の帯が伸びる。音もなく画面は回りながら、潤んだ光を放っている。かつて見られた一方向への運動やリズム感は姿を消し、潤んだ光芒のロマンチックな詩情に身をゆだねているようだ。最近、幅こそ狭くなったが、振幅のある表情の持ち主。確固としたイメージと発言形体の確立も、そろそろ必要であろう。(T)(京都新聞 1978年2月4日)

○ 1978年2月7日—2月12日「グラフィック3人展」成安女子短大意匠科研究生のハットリ・カズエ、マルヤマ・キクコ、コシムラ・トモコ

○ 1978年2月14日—2月19日「二人展」「ガイド」グループDOROに所属する若手二人がそれぞれ力を込めた洋画大作を並べている。難波勲は土管やパイプラインのある風景、キ裂の入った砂山に荒涼とした異次元の風景を予感させる。福田慎二は木琴のバチを思わすフォルムの集合に音楽的な響きや動きを見せている。(京都新聞 1978年2月18日)

○ 1978年2月21日—2月26日「二人展」「ガイド」グループDOROのメンバーである宇野千秋と北岡幸男。宇野は赤、青を主調にした幾何学的格子模様に絵画ならではのズレや虚像化を導入。北岡はカラフルなタテ縞の虹模様の“イリュージョン・ボックス”を会場に設定。(京都新聞 1978年2月25日)

○ 1978年2月28日—3月5日「写真二人展」「ガイド」山中謙二が女体の一部をアップでとらえれば、中野晴生は北国の風景など。ともに大阪写真専門学校出身。(京都新聞 1978年3月4日)

○ 1978年2月28日—3月5日「川内麻嗣展」「評F&T 画餅と餅画」所せんは絵に描いたモチ。いかに本モノらしく描いてあっても、それはモチではない。ここに絵の面白さ、表現の妙があるわけだが、同時に本モノのモチを絵として出されたら、絵というものをより一層考え直さざるを得なくなる。グループDORO所属の洋画家・川内麻嗣は最近、屈折を込めたトロンプ・ルイユ(だまし絵)と取り組んでおり、今回の個展でもそれらを並べている。作品はベニヤ板に、杉板がクギ付けされている。と、いかにも見える。しかし、実はスギ板は丁寧に描かれたものの・・・さらに、その下地はキャンヴァスで、これがベニヤ板に張り付けられていることに気づく。描きだされた迫真のモノと絵空事のからくりを強調するような舞台設定—この舞台設定自体もどこかにトリックがかくされているようで、見る者の視覚にゆさぶりをかけてくる。(京都新聞 1978年3月4日)

○ 1978年3月7日—3月12日「河添順一絵画展」「ガイド」西宮市在住の若手。「Panel on canvas」と題し、ネズミ色を塗った大きなキャンバス上に、濃藍一色のパネルをからめた作品群。(京都新聞 1978年3月11日)

○ 1978年3月14日—3月19日「五人展」愛知芸大生らが音楽と絵画を一体化したイベントを展開。メンバーは笹岡敬、柴辻秀彦、鈴木宏司、森清行、矢野克宏

○ 1978年3月21日—3月26日「フォトグラフ四人展」「ガイド」嵯峨美術短大を今春卒業の前田泰則、中西洋子、梅本徳子、川上智子の四人が、合成写真等に若々しい試みを見せる。(京都新聞 1978年3月25日)

○ 1978年3月21日—3月26日「アートコア現代美術賞展」「寺井、本田両氏が受賞 アートコア現代美術賞」第二回の「アート・コア現代美術賞」は、洋画家・寺井康浩、染色作家・本田昌史の二氏が受賞した。その受賞記念展が、京都市中京区寺町通三条下ル東入ルのアート・コア・ギャラリーで26日まで開催されている。この美術賞は50年に創設され、町の画廊が現代作家に贈るユニークな賞制度として話題を呼んだ。今回の選考委員は、美術評論家で大阪大教授の木村重信氏が担当。昨年五月から先週までの間に、同画廊で開かれた16個展(企画展は除く)の中から、有望な新人として二氏が選ばれた。晴れの賞を受けた寺井氏はグループ「DORO」に所属、もう一人の本田氏は今春、京都芸大専攻科を卒業した若手。ともに個展やグループ展を活発に開いている。同画廊では、この賞制度を今度も継続する方針だという。(京都新聞 1978年3月25日)

○ 1978年11月?日—12月3日「版暦展」アート・コア映像センターアートコア版画工房に学ぶ13人が、シルク、木版などの手づくりカレンダーを並べる

○ 1979年2月?日—3月10日「扇面—版画の花束」アート・コア映像センターアートコア版画芸術工房研究生の二十人余

以降記録なし

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