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ケラ美術協会

ケラ美術協会

ケラ美術協会は、1959年12月23日13人のメンバーとともに結成された。京都学芸大学(現 京都教育大学)特殊美術絵画科卒の物部隆一以外は京都美術大学(現 京都市立芸術大学)日本画科を卒業した23−27歳の若き作家たちである。それぞれが既に新制作協会日本画部と日展系の白甲社(宇田荻邨塾)に所属し、将来の会員を約束されたいわば「公募展界の若きホープ」と期待されていたわけであるが、表現をとりまく因襲の世界※1 や公募展システム(会員が一方的に審査する)に反旗し、若いエネルギーが結集し、「芸術的自由」を求めた、京都を活動基盤にした京都の日本画の前衛グループが「ケラ」である。
グループ解散は、1964年1月19日と、活動期間は約4年と短くはあるが、年に数回京都市美術館や京都府ギャラリーなどで一人一人が個展に類する位の作品を並べて勢力的に展覧会を開いていた。そしてその個々の表現もまた「日本画」という枠を越え、砂、麻布、木、廃品等従来では考えられなかった素材を用い、コラージュをし、又は表面を削り、荒々しくも大胆に美しく「自由なる芸術の新天地」を求めた若き暴れん坊にふさわしき表現であった。
レオ•キャステリー画廊周辺のビッグ・コレクターであるエイブラムズやパワーズらに見込まれ、「アトリエにある作品をすべて買い上げていかれる」という伝説が出来る程の当時では考えられなかった出来事に遭遇するなど、「シンデレラボーイ」として、当時の話題を一身にさらっていた。また、北白川美術村※2 をつくる原動力となったグループでもある。そのアメリカ人コレクターによって北白川美術村に住むアーティストのうち4人(岩田重義、楠田信吾、福島敬恭、児玉正美)が1年間ニューヨークに招聘されることになり、それがきっかけとなりケラは解散した。
なお「ケラ美術協会」の「ケラ」とはラテン語で「単位・細胞」という意味である。

※1 ケラのメンバー(新制作協会の脱会者)たちは新制作脱退理由を下記に挙げている
1)会員、会友、出品者といった年功による序列が出来ている。東京側で新会員ができると、京都からも会員を出そうとして会員候補に賞を与えようとする政治的な空気がある。
2)日展系など他団体の新進とグループ展を開くと、有形無形の圧迫がある。
3)研究会では自由に発言するよう求められるが、実際に発言するとあとで陰で批判され、結局自由に発言できない空気になっている。
4)自分の描きたい作品を出品すると落選し、会の主張に妥協した作品だけが入選する。(1959年12月26日京都新聞より抜粋)
※2 ケラのメンバーが中心となった画家7人と彫刻家2人の9人(当初)が、町中では持つ事のできない広い敷地の集団アトリエを持つ夢を木村重信に相談。かけあったところ土地を貸し出してくれたことにより「美術村」がつくられる事になった。1960年頃から話が決まり、着手は1961年2月。11月には完成。53平方メートルの家で、工費は40万円。すべての工事は美術村メンバーで遂行された。

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