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谷イサオ インタヴュー

谷イサオインタヴュー 2007年8月9日 具現について

具現の頃 膳所高の卒業生が中心になってつくられた孤立地帯ってのは僕が参加する前の話で、その孤立地帯が具現に変えよったんやね。1957年に孤立地帯に河村幸久やらに誘われて僕は入ったけれども、いつ頃入ったのかははっきり覚えてない。具現のころ僕は教育大の3回生、目撃者の小名木氏は先輩で2—3歳上。グループ活動としては目撃者が有名だった。大熊やら藤波は2年上の先輩。あの頃のグループ活動としては、藤井大丸の近所にあった御旅のところにあった府ギャラリーを皆よく使っていた。メンバーの山本は多摩美に行っていて、彼が東京でコーディネートして銀座でグループ展ひらいていた。塚本は理屈っぽかった。
具現に入ったきっかけは、本郷が大学で同期だったから。一緒にやろうということで。それまでは学生の立場でいろいろとやっていた。その頃、55年にアンデパンダンが出来た。アンパンは最初の2年程は自主運営で実行委員会かなんかで、3年目からは市主催。それでみんなやめてしまった。そのときに思い出すのは、アンデパンダンの合評会が美術館2階の貴賓室であって。中原佑介が京大にいて、東京で評論活動をやっていて、今泉、井島勉3人が合評会に出席していてね、中原佑介なんて人も、みんなが難しい質問をして、はじめは調子よかったけど、そのうち突っ伏してしまった。
今泉さんは東京からやってきて、出品目録見ながら歩いて、ちょこちょこメモして、貴賓室に来て、ひとりずつの作品を「君の作品があーだこーだ」っていえらいもの覚えの良い人だった。そのときに、鉄鶏会ってのがあって、そこに眠眠の古田安、彼の作品のところに来て、それはモノトーンの墨汁みたいなので、「君の作品いいから東京にでてきたら僕が引き受ける」とか言っていたのを思い出しますね。あの時が多分初対面で、そのあと、井島さんらと懇意になる。井島さんはボス。兄弟で僕らをヨシヨシって感じでした。新聞記者としては、僕らの学生時分のは京都新聞の山田竜平さん。あの人もまめに歩いて取材して、そのあと藤さんですね。
僕は孤立地帯の頃のことはよくわからない、何で孤立地帯なのか。当時みんなそれぞれ意識というか、十代の終わりだから。みんないろんな思いがあっての孤立地帯だと思う。それが前衛機構具現って大層な名前つけて。そのときにポスターを、手刷りじゃないけどそれなりのものをつくったんだけど、そこにキャッチフレーズで、フロンティアスピリットというのをつけた。孤立地帯というグループの名とは全く関係ないけど、自分たちは新しいことをやってやるんだって、そういう意識だった。その後ケネディが出て来て、キャッチフレーズがフロンティアスピリッツって使っていてね。僕らの方が先だったなんて話題にしたりしていたね。本郷は膳所高出身。だから早い時期から孤立地帯に参加していた。永田はそのあとデザイン事務所で、、、。
具現で白鳳画廊とかやっていたが、あの頃はカメラも無いような時代だから展覧会の記録が残っていない。府ギャラリーでも市美でもひとり一部屋という割り振りで展覧会をやっていた。当時、僕が4回生の頃の教育大学に板谷さんという主任教授がいて。山本が東京で銀座でコーディネートしてくれた小松ストアの地下の展覧会で、一日4人しか客が来てくれない日があった。あのころに「だっこちゃん」が大流行していて、松坂屋の店先にだっこちゃん品切れってあって、猫も杓子もだっこちゃん。それをよく覚えている.今みたいに、美術運送なんかがないから、かなり大きい100号くらいの絵を夜行列車で持って行った.記事に取り上げられたということはなかったと思う。美術批評という雑誌に1行2行を欠いてもらうだけで、大きな話題になる時代だったけどそれもなかった。当時はみんなそれを読んでいた。

マグマ マグマの連中とはわりと仲良くやっていた。

リアリズム 彼等は共産党系。マニフェストも出していたけどとにかく理屈っぽかった。

当時は、研究会があって、僕はあんまり参加していなかったけど、今、高島屋の駐車場になっているあたりに古いお寺があって、そこで毎月一回夜に研究会をやっていた。市村なんか頑張ってやっていたし、合同でよくやっていた。誰ともなく誰でも参加できるような、中身はよく記憶していないけど。当時は青美や具現とかみんながごちゃごちゃしていて、グループ関係なく個人で集まっていたようなときがあった。アンデパンダンがあってグループ連合があったりしているうちに気が合って自然にあつまっていくりょうな感じだった。あの頃アンデパンダンなんかやろうっていうのは、多かれ少なかれ左翼というか、必ずしも左ではないけど、進歩的というかね。今と違ってもっともっと純粋でもっとある意味つつましかった。

 

 

 

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