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青美議事録

 

京都青年美術作家集団 研究会記録簿  記録 松本、元広、大門

 

1955年5月28日(土)
総会
1、            役員改選 新役員
会計 竹中、東
渉外 稲木、中塚、中村
宣伝 藤波、田中守
記録 大門、松本、元広
組織 市村、青木
2、            秋の第一回青美展について
 ・会場 市美術館
日時 9月下旬〜10月中旬頃
ポスター 1ヶ月半前作成 200枚
目録 200枚
案内状 500枚 藤波交渉
広告料 10000円(1点500円以上とする)
作品1人5点以上
・募集について
出品用紙を個人的に発送する。用紙400枚
ポスター 50枚
・ その他
産経新聞社交渉 中塚
規約宣言文章の作成
会場補助金の確保
3、            会費について
・ 200円に値上げ決定
・ 会員のなかで祝弔のあった場合、会費積立金内よりこれを行う
4、            色紙寄贈について
青美が一般大衆と結びつき力を合せてゆくうえにまず恵まれぬ人々少しでも慰められ喜ばれたらと養老院、刑務所、病院等に色紙を送ることに決定。
・ 配布
市村2、竹中2、田中2、稲木2、藤波2、真山2、松本1、林1、名越1、末広1、青木1、中塚1
新会員 名越、林(田中さん紹介)
出席者 市村、竹中、田中、稲木、河村、藤波、森キ、中塚、真山、松本、名越、林、元広、13名
記入 元広

 

1955年6月 日(水)
1、研究会記録使用諸用具の購入
 ・ノート1冊、インク、ペン軸及びペン先、ざら紙、新聞はさみ
出席者 市村、竹中、田中、小門、青木、中塚、名越、元広 8名

1955年6月4日(土)
出席者 市村、大門、竹中、稲木、中塚、河村、福沢、松本 8名
1、色紙について
  持参者 稲木、河村、中塚、松本 各1枚(4枚)
  締切日 毎月15日までとする
  持込先 市役所民生課又は新聞社
2、会費滞納者について
  5月分からの会費に、4月以前の会費滞納額を補足納入すること。
  6月以後3ヶ月以上滞納者は除名することに決定。
◎ 会員諸氏の自責の念に掛けても随時納入されたし。
3、青美機関誌について
  謄写版 河村氏より借用
  機関誌は大門氏が主として行う
その他、名士との座談会を月1回行う。

1955年6月8日(水)
出席者 市村、竹中、田中、松本、元広 5名
色紙持参者 元広1枚
記録集 作成…新聞紙大に切りそろえた用紙を新聞にはさみでとじ、自由にとりはずし出来るように作成。青美に関する記事、作品、写真等をはり付け保存する。

1955年6月11日(土)

1955年6月15日(水)

1955年6月18日(土)

1955年6月22日(水)
出席者 市村、中村、竹中、田中、青木、小名木、稲木、大熊、大門、東、島、矢野、藤波、森、真山、奥井、高田、島田、中塚、長谷川、有田、松本、名越、元広 他1名 25名
第3回国際美術展について
 大阪そごうに於いて開かれている国際美術展を(空白)后 付近のぎょもん喫茶店の2階において大阪の美術作家と会合し、批評、意見の交換 多数参加希望。
◎出席者 中村、市村、竹中、大門、小名木、青木、稲木、大熊、田中、島田、高田、中塚、有田、松本、元広、
 名士を囲んでの座談会を中村義一氏を招いて行う。中村氏談。
 京都青年美術作家集団主催“第1回京都アンデパンダン展”評。美術批評6月号展覧会評欄掲載。
因習的な京都にあって若き青年画家達によって結成されたグループでその宣言書に「前進か後退か、今日青年画家達の悩みは一つである」と言明し前進していこうとする意欲がうかがえる。たんなるグループ展でなくアンデパンダン形式で地元の青年画家達によびかけした仕方はよかったと思う。だがこのよびかけも十分でなかった。その他例をあげてみると、
1、よびかけが不十分で時間がなかった点もあろうが活動力に欠けていた。
2、グループ展に終わったむきがある。
3、作品において個々の主観的な形象化で内容性において乏しく説得性に欠いているむきがあった。
これ等単なるアンデパンダンではなく京都における新しい美術運動の礎石となることを希む。
討論者 中村、市村、小名木、稲木、青木、竹中、大門、藤波
◎絵画における説得性について
 説得性の不足
 ・文字による説得性
 ・絵画による説得性
 絵画と大衆との説得力及び結びつき
 絵画における内容の説得性。説明性の具象的絵画。
 絵画における表現方法(形式と内容)による悩み。
機関紙について
 機関紙発行にさいし原稿募集
 内容自由 字数限なし。
 送り先き 市村氏宅
その他 謄写版2台調備。

1955年6月26日(日)
大阪 ギョモン喫茶店階上にて会合。(国際展及び勤人展鑑賞后)大阪デモクラートの方々と青美相合の会の性格の紹介。今后の共力方針についての討議。
出席者 中村、竹中、大門、松本、有田、大熊、青木、元広 8名

1955年6月30日(木)色紙礼状について
社会福祉法人 京都博愛会 理事長 冨田精氏より礼状送付。

1955年6月28日(水)
美術評論家 瀬木氏を囲んでの座談会
京都新聞社藤田氏グループ。青美より市村、稲木 出席
ニヒリズムについて

1955年7月6日(水)
出席者 市村、竹中、名越、有田、松本、元広、田中 7名
・ 互いに共力し合い美しい友情によって生まれた真面目な人達の集りの場
・ 青美会費徴収方法
・ 青美会員である以上個人で展覧会及びその他の団体に出品しないこと。もし出品する場合はその期間中脱退。但し加入脱退は本人の自由。

1955年7月7日(水)
出席者 市村、中村、竹中、東、田中、稲木、青木、小名木、中塚、松本、有田、元広 12名
・規約一部改正について。
青美会員である以上個人展及び既成団体に出品しないことは如何。
会員を主流派と合流派に分けてみると合流派の人達は会員としての性格を明らかにすると共に積極的に行動し、会費は月々確実に納入すること。
青美には極力協力す。互いに態度を明らかにする。
青美今后のありかた。組織の問題。
青美会員縮少問題。
職美その他の集団と合流し地方文化の確立。

1955年7月13日(水)
出席者 市村、竹中、中塚、有田、松本、田中、元広
・機関紙の件
 編集 稲木。原稿きり。元広。謄写 大門。
・月1回名士を招いての座談会
・団体及びグループとの結びつき。京都を支持する大きなものえの結びつき。
・第3土曜日16日総会 ハガキにて通知。

1955年7月16日(土)
出席者 市村、竹中、大門、稲木、東、田中、福沢、河村、松本、小名木、青木、元広 12名
7月重要総会
青美過去の総会批判
種々に職業をもって絵を描いている人たちの集まりによって生まれた青美が個人的なものにと分裂しつつある状態において今后の動きの対策。
前に行なわれた縮小問題についての再認識。
主流派と合流派の問題。
主流派と合流派の個人的考えの相違。
主流派・合流派に区別することはいけない。
既成団体及び個人展出品の如何。
青美不明瞭性についての解決えの討議。
精神的な結びつき共通の話し合いの場。
会計について。会費納入協力方法。
 理由なきものは1ヶ月以内に納入することの如何。

1955年7月20日(水)
出席者 市村、竹中、田中、名越、松本、中塚、元広 7名
青美集団臨時総会開催通知(ハガキにて)
強力なる精神的結合を計るために根本的に規約改正を行うことの如何。8月6日(土)7時

1955年8月6日(土)
出席者 稲木、市村、竹中、小名木、青木、藤波、森、大門、田中、大熊、名越、松本、元広 13名
・青美解散問題
 精神的統一を計り、青美の性格を明確にするために
・規約改正案(朗読)多数決により可決。
 既成画だんに対する批判及び出品の如何。
 地方展にとどまらず将来は東京展進出。
青美解散問題について
上記及びその他の討議により青美性格の志を同じくする人々の者以外は自分の意思に従って脱退をみた。
脱退者 青木、小名木、大熊、森、藤波、矢野
年に1回行われるアンデパンダン展は各方面の良識ある作家によって出品することが出来る。だから脱退者においても自由に出品することが出来る。
・研究会は毎水曜日とする。
 研究会内容
一、                        作品研究
一、テーマによる討論会
一、外来者を招いての座談会
一、テキストによる芸術理論の研究
・新役員
 組織、連絡 市村
 機関紙 理論部 中村
 機関紙 渉外・組織 稲木
 渉外、展らん会委員 竹中
 宣伝、展らん会委員 田中
 連絡、会計、企画 大門
 展らん会委員 中塚
 記録 元広、松本、名越
 色紙 東

1955年8月10日(水)
出席者 市村、竹中、田中、中塚、中村、松本、島田、元広 8名
青美今后に対する討議及び展覧会開催に関する事項

1955年8月17日(水)
出席者 市村、竹中、田中、松本、名越、中尾、元広 7名
エスキースの批評、研究
持参者 名越、松田、中尾。
青美出品作品 号数及び点数
田中150号1点、100号1点、60号1点、40号2点
市村200号3点
竹中50号5点、40号1点、60号変1点
松本30号3点
名越25号3点
元広50号3点、100号1点
大門60号50号3点
東60号1点
29点

1955年8月24日(水)
出席者 市村、稲木、中塚、松本、元広
エスキース持参 批評
実存主義について 市村氏談

1955年8月31日(水)
出席者 市村、竹中、稲木、中村、田中、名越、元広 7名
規約書用紙 50枚謄写印刷持参 各自配布
・ 展覧会 場、期日及び会場数について
・ 号数及び作品数について
・ 大阪展、東京展進出について。

1955年9月7日(水)
出席者 市村、田中、中塚、島田、松本、名越、元広
会員名簿板作成
実存主義 市村論
・ 青美展は会場都合により1月中旬に延期

1955年9月8日(木)
出席者 青美=市村、田中、中塚、真山、中尾、大門、元広 8名
大阪デモクラート=泉、他2名男女
各会の主旨の紹介
・グループ連合展(大阪美術館)について
 デモクラート、青美、パンリアルその他のグループに呼びかけ来年4、5月頃に行う予定。会場は大阪美術館
 機関紙発行について
 青美外部よりの投稿を希む。
 青美第一回展、来年1月中旬2階会場4室(市美)
 作品数 約100点の予定

1955年9月14日(水)
出席者 市村、竹中、中塚、名越、島田 5名
実存主義について

1955年9月21日(水)
出席者 市村、竹中、田中、稲木、中塚、井上、島、島田、大門、中村、松本、名越、元広、上生 14名
生活記録に関して 議論
サラリーマン、商売人、主婦等 あらゆる人々が日々の生活を文章に表わし、もちより読み交し、交わることにより書くことの楽しさ喜びを得て向上を高める。

1955年9月28日(水)
出席者 市村、田中、島、島田、中村、名越、上生、元広 8名
稲木氏突然脱退に関して
エスキース批評 持参者 島、上生
その他 抽象、具象絵画について
今日行われる予定であった“今日の芸術(岡本太郎)について”の討論会は都合により後日行うこととする。

1955年10月5日(水)
出席者 市村、竹中、田中、中塚、島、名越、松本、上生、中村、元広 10名
エスキース持参 上生
青美今后に対する方針について
女子においてももっと積極性をもって発言を望む。

会員名及び住所録(イロハ順)
市村司    京、下京区下魚棚通大宮東入徴宝町
竹中正次   京、下京区西九条開々町11
田中守貴   京、左京区北白川伊織町51小田玉子方
中村義一   京、左京区下鴨東ノ塚本町40
名越眸    京、左京区嵯峨野開町14
中塚和夫   京、下京区木津屋橋通堀川
真山豊    京、東山区今熊野宝蔵町55
松本樹代子  京、左京区下鴨膳部町101
東繁蔵    京、下京区梅小路中町61
珠数末三郎  大阪府北河内郡交野町
元廣美智子  京、左京区田中野紙町23
志摩篤    京、中京区間ノ町二条上ル TEL 3-6197

1955年10月12日(水)
出席者 市村、竹中、田中、中塚、名越

1955年10月26日(水)
出席者 市村、竹中、志摩、中塚、上生、松本、元広 7名
エスキース批評 上生
第一回青美展開催についての諸計画
明年1月15日〜21日
その他 出品数、号数 ポスター目録 等

1955年11月2日(水)
出席者 市村、中塚、志摩、田中、名越、上生、元広 7名
関西グループ連合展について 出席者報告 田中、名越

10月30日(日)大阪ギョモンにて
参加グループ リアリズム、具体、パンリアル、社会主義、職美、目げき者、青美 新グループの承認を得る。
仮名称 関西グループ連合展とする
展覧会は明年3、4月頃、会場大阪市美術館、会費は頭わり1人500円以下
第2回会合は11月27日に行う。

1955年11月9日(水)
出席者 市村、竹中、田中、名越、東、上生、松本、中塚、志摩、元広 10名
11月12日土曜日、京、万寿寺にて行われる各グループ合同会議の出席に関しての意見及び討議。
冨山氏 青美展出品数3点 ハガキにて通知

1955年11月16日(水)
出席者 都合により中止

1955年11月23日(水)
出席者 市村、竹中、中塚、志摩、上生、名越、田中、元広 8名
・ 青美今后のありかた、その他について
・ アバンギャルド芸術について

1955年11月30日(水)
出席者 市村、竹中、中塚、松本、上生、元広 6名
先、27日(日)大阪ギョモンにて行われた関西グループ連合代表者出席者(田中、名越、市村)報告について

1955年12月7日(水)
出席者 市村、竹中、中塚、上生、名越、田中 6名
第1回青美展準備
ポスター枚数
案内状枚数
作品点数及び題名

1955年12月14日(水)
竹中、元広 結婚のため例会なし

1955年12月21日(水)
出席者 市村、竹中、田中、名越、中塚、上生、元広、東 8名
青美展 ポスター制作  枚

1955年12月28日(水)
出席者 市村、田中武、竹中、元広、田中、名越、東、松本、真山、稲木、中塚 11名
青美忘年会 四条先斗町しょうこ店にて行う。

1956年1月3日
出席者 市村、竹中、田中、東、上生、元広 6名

1956年1月10日(水)
出席者 市村、田中、竹中、中塚、松本、上生、元広、田中 8名
◎青美展覧会準備
 必要品の整備
 案内状ハガキの配布

1956年1月13日(土)
出席者 市村、竹中、田中、真山、中塚、松本、元広 7名
展覧会作品搬入及びかざりつけ
作品数  点
第1回青美展開催期日 1月14日〜21日

1956年1月24日(水)
出席者 市村、中塚、志摩、真山、松本、田中、元広 7名
三条春陽堂にて親睦会を行う
会費150円− ケーキ・コーヒ

1960年7月22日(金)
会場 市村氏宅
出席者 市村、本庄、小泉、広重、多田、安田、竹中、中塚、福沢
青美、リアリズム美術家集団合同展に関する批評及び今後のあり方について
(1)         組織に関して
(2)         人事問題
連絡係 竹中より中塚へ
会計 本庄
記録 多田、小泉、以上決定
・ 保留者に関して 討論出ず
(3)         研究会のあり方
会員の発表と外部講師による講演との二本立とす。
会員の発表は、理論と作品 即ち内容と技術の立体的究明を期待する。研究会は月二回とす。
その他
広重氏入会
会費 月100円徴収に決定
欠席の時の連絡の必要
平和展参加について

1960年7月24日(日)
会場 大阪美術館地下食堂
出席者 市村、安田、福沢、本庄、小泉、多田
リアリズム美術家集団 11名
合同展に対する青美・リアリズム美術家集団の合同批評会
I内容の盛上りが無かった
 何故か—準備期間が無かった。連絡が遅かった。共通の目的が無い。年中行事的寄り合いの感。
 絵画と政治性。作家の主体性の問題。
 リアリズム美術家集団の作家は、社会に対し義務、権利を貫いた作品。その意味では素晴しい。しかし義務感にのみ追われ、権利に欠けているのではないか。主体性の必要。
 展覧会技術もまずかった。
IIグループ連合展の意味、発展解消か存続か。
・ 連合展の意味が無くなった。
・ 組織的欠陥を見せた現状のままではやりたくない。
・ 続けるとすれば、他のグループを入れ、個人の参加も認めたい。
・ 大阪と京都の作家の結合の機会として、このグループ展はあるべき。
・ 両者の交流を深めたい。特に批評会を持つべきである。
解散、存続の結論持越す。
直、青美展開催期間中に、リアリズム美術家集団会員の訪問を受け、グループ連合展存続解散問題に関して更に討議する。

1960年8月12日(金)
会場 南昌院
出席者 市村、広重、中塚、福沢、多田、本庄、小泉
発表者、安田輝夫氏欠席の為、代って市村司氏の所見。
市村氏の支柱に関して。

1960年8月19日(金)
会場 南昌院
出席者 市村、安田、多田、広重、福沢、中塚
オブザーバー 5名
講演者 藤田猛氏
要旨 過去の美意識に対して現代の美意識は如何なる相貌を持つものか。第一に指摘されるのか。“リアリティ”の問題である。主幹と客観へ到。即ち人間の内面の問題無くして、リアリティの存在はあり得ない。
青美のリアリティを考える時、内面性・心の遊離が見られるのではないか。それはリアリティの喪失を意味する。現代抽象絵画が質量共に具象絵画を圧倒しているのであるが、現実としては抽象絵画は内面性を遮断している作品が多い。
以上の意味に於るリアリティを過去の美術史で見るならば、クールベ及びセザンヌに於いて見られる。
討議 “リアリティ”の問題から派生して、テーマ性の回復及び作家の姿勢に関して。

1960年9月1日(木)
会場 南昌院
出席者 市村、広重、多田、安田、本庄、小泉、福沢、竹中、田中、中根
オブザーバー 3
発表者 安田輝夫氏
テーマ 政治と芸術
要旨・現在の前衛芸術に関して
・ リアリズムとは—国民と共に闘う・現実革新の中からのみ生れる。社会主義的リアリズム
・ 如何にすれば生れるか。
民族主義の中から生まれる
伝統芸術の追求の必要
・ 芸術と実践−芸術は現実に背を向けている
・ 国民芸術と政治
その他 青美展について
尚、青美展準備の為、発表時間を割愛し、更に安田氏の論文が厖大なる為、時日を改め、再び討論の時間をもうけることに決定。討論までに氏の論文を個々に読むこととす。

1960年9月10日(土)
会場 南昌院
出席者 安田、多田、市村、竹中、福沢、田中、中塚、本庄、小泉
オブザーバー 2
講師 田中日佐夫氏
テーマ 現代のリアリティと芸術
要旨
I19世紀のリアリティ及び作家は、それに如何に対決したか。
 Ex.ドラクロア—時空間の拡大
 その歴史的背景と原因
   資本主義経済の高度化。
   空間平面の拡大は、時間的拡大をもたらした。
   その原因—民族運動、古代ギリシャの発掘、科学の発展
II20世紀のリアリティ
 時空間の拡大は、19世紀から現代を繋ぐけれども、現代から未来にかける価値基準となるかどうか疑問である。
 資本主義末期のジレンマ、原力爆の恐怖、アフリカ大陸の民族主義 等を背景として、現代は恐怖感、圧迫感、におそわれている。
それに対処しているのが“時空間の混乱”である。
 この混乱に如何に対するか。
・ 恐怖感、混乱に対決すべき。現代のリアリティに対決すべき。
・ 時空間の拡大に歩調をあわす
芸術は発展しているのか。
分化しすぎてそれを統合するものが存在しない。
現代のリアリティをそなえ得る芸術は映画ではないだろうか。

1960年9月17日(土)
会場 南昌院
出席者 市村、真山、安田、竹中、中塚、田中、福沢、広重、ネギタ、本庄、小泉、多田
第八回青美展準備最終会合
・ 案内状・プログラム決定
・ 出品者、作品点数及び題名の確定
・ 阿倍記者、林俊光氏招待による懇親会に関して
第八回青美展
とき 9月30日−10月4日
ところ 京都府ギャラリー
(出品者名)(号数)
広重明 60、II
小泉玲子 60、I 40、I
福沢忠夫
真山豊 60、II
安田輝夫 80、I
中塚和夫 100、II
ネギタマサヨシ
竹中正次 60、II
田中守貴 60、II
多田越子 40、II
本庄冨佐子 60、II
稲木秀臣
市村司 120、II
林俊治 20、II

1960年9月29日(木)
青美展搬入(3:00 pm)
(’7:00 pm – 10:30 pm)阿部記者、林俊光氏、招待による懇親会。
会場。京都市職員共済組合 嵐山ハウス
出席者。市村、真山、安田、竹中、中塚、田中、福沢、広重、ネギタ、本庄、小泉、多田

1960年10月2日(日) 6:30 pm~ 南昌院に批評会。
出席者 叶敏氏、田中、市村、本庄、多田、安田、福沢、広重、ネギタ、中塚、稲木、竹中、林
市村はヴァイタリティーの問題に終始した。時間上の制限があった為、簡単にして浅薄な批評に過ぎず、他の人々の個々の作家に対する発言もうわすべりであった。

1960年10月3日
5:00 pm キサラギ茶房にて連合展準備の集会。
出席者 大阪リアリズム作家集団より2人。市村、福沢、ネギタ、本庄、「具現」より河村一夫氏

1960年10月4日
5:00 pm 青美展搬出
6:00 pm 南昌院にて二度目の批評会
9:30 pm 「主なき家」に自由討論会。アルジからは無償(2000円)の酒、肴が出された。

(特別研究会)
1960年10月12日(水) 7:00 pm~ 於 南昌院
「抽象芸術の背景」叶敏氏
出席者 市村、広重、林、小泉、多田、本庄、田中、中塚、ネギタ、福沢、田中日佐夫氏(オヴザーヴァー)
(講演要旨)
20Cの抽象芸術はさまざまな面で20C以前の抽象芸術と異っていますが、「個性の主張」と云う基本線では、連続したものであります。ただ「古代」ないし「プリ未ティーヴ」の抽象では、個性の主張が「集団の共通した意思流通」と云う型値でなされたのに反し、現代では個人の強い意思があるのみで、他への表象を持たないと云う点と、社会変化、主に機械化にともなう合理的なものの考え方が抽象芸術にも出ていると云う2つの点ではっきり異っています。
そして、今、考えなければならないことは、個性の主張、云いかえれば「個人主張」と合理的なものの考え方、云いかえれば「合理性」との間には矛盾があると云うことです。
「自己主張」(個人主張と同義語として使われたと思われる。記録者注)の面では、自分と云うものが何処にいるのか、と云う問いが、社会の専門化、複雑化にともなって大きくなり、自己喪失に至ります。その時、芸術の基本的な条件であるヴァイタリティーは失われ、単純な、又は低次元の合理性から作家個人の楽しみだけに終る場合が多いのであります。
又。現代の合理性にあっては、最初、ある仮定があり、そこから定理が生れ、それが大きな構造になっている、と云う出来方をしています。故に、仮定のたてようによって、合理性はどのようにもなると云う危険性をはらんでいます。さらにこのことは、機械その他による専門化によって助長されつつあります。ここに至っては、一般的な技術だけでは、技術と云えなくなり、技術を専門化しなくては自己主張は出来なくなっているのではないでしょうか?
この状況のなかで、いかに創作していくのか?この宿命のまえでは自分なりに合理にやっていくしかないのです。以上。
(討論中の重な発言。)
・ 自己主張と合理性は矛盾ではなく二律背反のものではないか?(田中日佐夫氏)
・ 自己喪失は現代にあっては一般的な対社会的な問題ではなく、より個人の問題となっているのではないか?(福沢)
・ 作家の対社会的な姿勢に2つの方向がある。即ち、個性からくる精神性の面と合理性からくる機能性の面である。(市村)
・ 現代では、機能性は制限された型でしかとりあげることが出来ない。(叶敏氏)
・ 低次元での自己喪失でできるタヴローはさておいて、高次元で起る自己喪失が問題だ。(福沢)
・ 現代の作家は、世相の流れから自己を疎外することで描いている。しかしそうでない場からでない。ほんとうは自己を確立できないのではないか。(田中日佐夫氏)以上。

10月例会
10月29日(土)7:00 pm〜 於 南昌院
「私の様式について」報告 福沢忠夫
出席者 林、市村、広重、ネギタ、竹中、中塚、田中日佐夫氏
(報告要旨)
×(形式からヴァイタリティー、再び形式からヴァイタリティーへとメカニックな展開をくりかえす様式は歴史(伝統)の中にも、また作家の中にもある。しかし現代にあっては、その断絶の中から産まれる。またわ)×
 私の報告の本題に入ります前に、他の皆様が行われました様に私なりに、私の生活しています20Cと云う時代のムードを解釈したいと思います。
印象的に云って、20Cと云う時代は、絶望とか不安と云う言葉で云い現せ得る様な悲劇的様相を呈していると私は思います。一言ことわっておきますが、私が20Cと云いますのは、私自身の知識の低さによるわけですが、今日私の生活しています1960年後半の○○が中心となる様な世紀を言いますので、知識豊かなモラリスト達のおっしゃる様な20Cを歴史的にその発展とともに正確に話すことは出来ません。すなわち、現世紀の戦争の破カイをこうむった世界の精神の再建よりも、物理的再建(経済機関、都市計画)の方がはるかに進んでいるのであり、その物理的発展と精神的発展の最もはげしい時代が現代であろうと思われます。このように現代の悲観的見方の根底となるものを、第二次大戦の悲惨さや、新しい戦争の恐怖から説明するのは、あまりにも単純な見方であると思います。それは、西欧文明の今日迄のユマニズム的性格に対する懐疑的ムードであり、現在のニヒリズムへの傾斜は、その表現なのであります。ここに今日の実存哲学が強い魅力を持つ理由があるのだと思われます。と云うのは、近代思想に深く根ざしている信念(無知な中立的態度でなければ真理を突きとめることは出来ないし、認識の作用には、主観と呼ばれる認識者と、客観と呼ばれる認識の対象としての実在との間に根本的な分離が必要だと云う信念に対する反抗があるからです。
物理的発展の中に、精神的発展が奇妙に同化してしまう様な人称代名詞の意味の殆んど失われてしまった。自分の自我から疎外された人間にしてしまう様な条件のもとに人間を単なる認識論的主観にしてしまったり、客観的存在を科学的探求の単なる対象に変えてしまう、科学的な信念に対する反抗が、実存主義で代表される現代と云う時代に対する今日の人間の精神的ムードではなかろうか。
 私達制作者は、この様な20Cのムードの中でかもしだされる20Cの観念を表現すると云う型で制作が進められなければならない。しからば20Cの観念とは何か?
「表現」と云うことはヴァイタリティの創造的な運動でなければなりません。そして表現の目的はそれを生みだしたヴァイタリティを実現し保護することにあるのですが、表現されたものはヴァイタリティーのエネルギーから独立し、絶縁して、それ自身の方向とリズムにしたがって進んで行こうとする傾向を持つものである。これすなわち形式と云うものであります。
形式がなければ創造的なヴァイタリティがその姿を現すことは出来ないのですが、ヴァイタリティは時間的であり、形式は無時間的性格を持つ様になり必然的にある程度融通のきかない性質を持つものとなる故にヴァイタリティと形式とは動きのとれた断絶に、ひいては、対立の状態にさえ陥ってしまうのです。ヴァイタリティと形式の対立は、歴史の中であらゆる文明の発展過程の中に見られる新しい文化の誕生の動きとなるものであり、美術に於ける新しいヴァイタリティの用言が古い形式に対する対立の基盤の上に成立していることを見てわかります。現代に於いては、ヴァイタリティと形式との間のこうした対立が非常に激烈なものとなっていて、ヴァイタリティはもはや特殊な形式や、自己に押しつけられたよそよそしいと感じられる形式(古い絵画形式)に反抗するものではなく、形式そのおの、形式の原理に反抗するものでなければなりません。今日、現代美術の混乱を「形式の欠如」と云う面からとらえる一部の知識層の見方は間違いではないが、彼らの云う形式とは伝統的な形式であり、現代の無形式性絵画は、形式拒否と云う姿勢から伝統的形式でなく、形式の原理そのものへの完全に積極的な対立のエネルギーであり、ヴァイタリティと云うものに対する、あくなく忠実さであるのだと、私は信じています。その様な意味で、20Cの観念は、中性が神の観念であり、ルネッサンスが自然の観念であり、17Cが自然法則の観念であり、18Cが個人が中心の問題になり、各々、その時代を特有ならしめた観念である様に、現代はヴァイタリティーと云う観念が時代を特徴ずけているのではないだろうか? 以上。

(特別研究会)
1960年11月16日(火)7:00 pm~ 於 南昌院
「創造の周囲」有馬敲氏
出席者 中塚、市村、安田、ネギタ、多田、竹中、林、福沢、広重
(要旨)
創造された芸術作品の言葉であるとか、主体であるとか、また、色や線、個性などを支えるものは何んでしょうか?
これは作家における目的意識であります。例えば、社会性と云う1つの方向、また愛とか永遠とか云ったもう1つの方向、そして「耽美的な」と云える方向、などについて、作者がどのようにとり組んでいるか?素材としてそれらをどう表現しているかと云うことであります。
ピカソのハトの絵は、「平和」とサンボライズした型として描かれています。しかし、ハトそのものは「平和」などのための「ハト」ではなく単なるハトにすぎないのです。「平和」と云う抽象を平和以上の絵画表現としてハトが提出された故に、ピカソのハトの絵は意味を持ったのであります。
抽象的なものを、具体的にあらわす意味で目的意識の問題は根本的に考えられねばならないのです。
いろいろな目的意識を中途半端な型で持つことは何んの意味もなく、絵画にあってはもっと耽美的なものが、突き進められてもいいのではないか?と考えます。
(討論)
・ パターンの変貌を問題にするよりは、自分と云う人間の記録として、疑問符からはじまる批判から出発すべきだ。(市村)
・ 目的意識をなくした所から出発しようと考えている。(福沢)
・ 自律性が画家には不明瞭ではないか?(中塚)

1960年12月13日(火) 南昌院 7時 ネギタ 私の意思と絵画
出席者 市村司、田中守貴、福沢忠夫、林俊治、本庄フサ子、中塚和夫
(8.15分)広重明 (9.40分)田中日佐夫
発表開始 7時45分
実存 ハイデッガー、絶望、形而学上、キルケゴール
現在 発育過程 体験 等により 不在の必要
(図あり)
思想と絵画
a,b,c,d,e等に不在に?つ絵画
例 ミショー、ソ連、一郎の絵画、フォートリエ 等 モノクローム論
不在を目的 絵画
様式 フロタジュが変形
質問
・ 田中(メスカリンをなぜ飲まなければいけないか)
答 一方法として、??必要である。
・ 田中 本真の絵画の必要性

・ 中村 図と我々の伝統的な絵画 関係 学術的
    我々と?の学術的の必要性
・ 市村 (ノイローゼ的でないだらうか?)
・ 福沢(面白かった。ネギタ氏の不在に?かある)
亦同意。自己疎外の分野に立って、モノクロームの場合は
否 自己障害—問題 0の位置 討自じない位置
田中日(0認識するのは誰か)
答 自分(集合無意識)
田中日 結局この理論成立しないのではないか。
  今 貴方が?して居るのは?ですね
答 そーです
・ 市村 カテゴリーの不足
答 認める。青美展のタブローは曖昧であった。
・ ??を的な? 青美展
・ ネギタ 女性三人 ???(不在に於いて)
市村 集合無意識の盛上りを認める
イナキ マナー(モダン)唯による
真山 ??的?を認める
広重 エロスを感ずる楽しさと?の面に於て
竹中 ??しい 楽天的な
多田 ==
田中 残念である。ホルムがある—実在 リ ク
中村 ?年と?る 底級である ペルソナの部
福沢 亦 出来ない
明年度 グループ連合展
合作

1960年12月24、25、26の3日間
河原町蛸薬師マロニエ画廊にて会員林俊治個展がひらかれた。

1960年12月23日〜1961年1月4日にかけて
河原町四条東入キサラギ茶房にて 会員ネギタマサトシデッサン展がひらかれた。

1961年1月7日〜
東京第一画廊にて市村司は東京在住との四人展に参加した。

1月例会
1961年1月22日(日)7:00 pm ~9:00 pm 於 キサラギ茶房
出席者 市村、真山、福沢、広重、林、安田、多田、小泉、中塚、ネギタ、田中日佐夫氏
1、市村司より東京の状況についての報告があった。
東京にあっては(若い)画廊→(若い)作家→(若い)評論家と云った機能的組織体としての動きが顕著である。今後、我々もこの動きを利用することによって前進せなければならない。その為に青美の個々の会員はその個性をいよいよ明確にしなければならないし、私(市村)としてはドイツ素材主義に眼をむけ、その再生となんらかの形で結びつきたいと考えている、
2、今年度の方針。
A、        月2回、在来の形究報告をプラスしたところの個展形式に討論会を行う。(第1回2月上旬は真山氏に決定)
B、        京都アンデパンダン展の詳細とこれに対する姿勢の決定した。
C、        連合展では、グループ連合展としてやる合作はしないことに決定した。
D、        外来講師(在来の)は見あわせることになった。但し積極的な姿勢の講師はこの限りにあらず。
3、林俊治個展 ネギタマサトシデッサン展批評
 林 生のものをぶつける林の出し方は盛り沢山にすぎた。(中塚)
   好きなことをやる林の積極的な態度は大切だ。(市村)
   試みとしてでたsizeの大きいものはその?材が明確でないし(市村)個性的ではない。(中塚)
   ネギタの場合は、素材も選ぶのが売れる要素を持っているのであって、絵そのものではない。

2月例会
1961年2月25日(土)7:00 pm 於 南昌院
出席者 市村、福沢、広重、林、ネギタ、中塚、多田
・ 市村司氏の作(近)批評会 (作品点数8点)司会
1、「個展によせて」という雑文を市村氏の朗読
  モノローグ(デッサン)とモンタージュと云う二つの方法を試みた。
  これによってたい概念の破カイから、あたらしいものの位置の獲得を得ようとした。
2、討論(談論?発にて筆記出来ず。)

3月上旬例会
1961年3月16日( )7:30 pm〜
出席者 市村、福沢、広重、林、中塚、本庄、小泉、多田、林、ネギタ、田中日佐夫氏
※ ネギタマサトシの近作合評会

3月下旬例会
1961年3月23日( )7:30 pm~ 於 多田氏宅
出席者 市村、中塚、安田、広重、福沢、本庄、小泉、多田
※ 多田越子の近作合評会
多田越子氏退会

4月上旬例会
1961年4月18日(火) 7:30 pm~ 於 南昌院
出席者 市村、ネギタ、林、福沢、広重、中塚
※ 林俊治の近作批評会
・ ナイフ等したらしてあるもの。3つの濃度が同質の粘着力で画面が作られているように見える。そのことは、作者の抵抗を呼ばないか?(福沢) 抵抗はない、そんなことよりも何を他人に与えられ得るかがぼくに大事だ。(林)
・ 新鮮さがないことや、何んのために絵をやっているのか?と云った生活思想が乏しいのが欠陥だ。(市村) 意識、無意識、行為の頂点が欲しい。(市村)
・ 「血の匂」「罪の意識」が表現したかった。(林) 血の匂ひ
画面と云うのはぼくにとっての確認の手段だ。(林)

5月 東京サトウ画廊にて市村司個展を開き公表を得た。

5月31日〜6月4日 東京村松画廊にて福沢忠夫、ネギタマサヨシ展を開いた。

5月 東京画廊における9人展に市村司参加。

5月〜6月 グループ連合展に関する打ち合せ会がしばしば開かれる。詳細は次頁。

6月例会
1961年6月23日(火)7:30 pm~ 於 キサラギ茶房
出席者 林、市村、福沢、広重、ネギタ、安田、中塚
※ グループ連合展に関して。報告 福沢忠夫
京都展 搬入 7月30日(月)正午より 個々で美術館
    初日 4日
    最終日 9日(日)
    搬出 9日(日)午后5時
大阪展 搬入 7月18日( )正午より
    初日 19日
    最終日 24日(月)
    搬出 24日( )午后5時
京都→大阪 積込 京都 市村、ネギタ 18日(火)朝9時
         大阪 林、福沢 18日 午后
大阪→京都 七条大宮裏(木津屋橋大宮東入)中村運送
参加者 市村、小泉、田中、中塚、ネギタ、林、広重、福沢、本庄、安田 計10人
主張 21世紀への回答 担当は福沢
会場 第一室全部(京都)彫刻と共使用 一番奥の2室(大阪)
経費 全予算 64,065—
   各グループ 5,000—
   グループ 4
   均等割分一人500円 参加ヒ 1,100円 計1,600円
附記
今回は事務一切は「具現」の係りである。
6月26日 グループ連合展最終打合せ会とする。
・ 青美所有の雑品購入は市村氏が担当
・ ラベル及びその付属品は広重氏が担当
※ マニフェスト「21世紀への回答」について論議。
※ 6月24日グループ連合展終了す。市村、中塚、福沢がその合評会に参加した。
※ 同じ日、ネギタを加え四人で今後の青美のあり方について討論した。

8月例会
1961年8月5日(土)7:00 pm~ 於 キサラギ茶房
出席者。広重、ネギタ、林、福沢、田中、市村、中塚
議題。1、青美運営1件  2、’61青美展1件
   3、事務手続引継の件  4、グループ連合共済ノ件
1、            グループ連合展決済の件 終了
2、            青美運営1件(事務手続引継ノ件)
    会計 広重明(本庄フサ子より引継)
    事務局長 市村司   補佐 中塚、福沢
    記録 ネギタマサトシ
3、’61青美展ノ件
  福沢、ネギタのpracticeによって青美展を行う。

福沢、ネギタ相談会

1961年8月12日(金)7:30 pm~ 於 キサラギ茶房
※ ’61青美展に関する打合せ
1、            期日 9月30日〜10月4日まで
2、            搬入について
下見会を行い、その時、作品の相互批判、飾付け、会場構成、などを検討する。この日が搬入日となる。すなわち9月24日(日)午后3時から適当な場所で行われる。この日、作品持参なきものは、不出品とみなす。展覧会前に既に展覧会は終わっている状態を作りだすためである。何故そう云うことが必要かと云うと、「発表」と云う行為を「制作」と行為とより分離させるためからである。
3、            飾附日について
    飾附けは9月29日(初日前日)、府ギャラリーにおいておこなう。福沢、ネギタがこれに当たり、他の会員はオブザーヴァーとして出席する。
4、            合評会について
a会期中の10月1日(日)午后から全員出席によって行う。主に作品中心の討論を展開する。なおこの日の来乗客にも入って頂く。
B青美展の定例会に2日間連続で南昌院において行う。主に出品作を基底に今日の美術の問題に関する討論を展開する。この両日を以って事務的決済を行う。
5、            搬出について
搬出は最終日10月4日4時から行う。各個人によって行われる。
6、’61年度青美展記念夕食会
 展覧会予算とは別費用でこの会は行われる。ほぼ一人負担450円程度。軽い食事とビールによる懇談会で、青美会員以外の人達を会費徴収招待。や招待によりひらかれる。主な行事は、1、市村司氏の挨拶 2、雑談会 3、安田輝雄氏の閉会挨拶である。進行係に福沢、受付にネギタが当り、家族的なMoodを楽しむ。
7、案内状について
 従来から使用している凹板を使ったハガキ形式のものを出す。
8、カタログについて
 従来のカタログ(作品展、作者名、住所)と云ったものでなく、機関紙風なものにする。すなわちB5判8P立80斤の模造紙を使用する。内容は「作家の言葉」と云うテーマで、全員が原稿用紙400字詰1枚以上で執筆する。「作品の説明」と云った1文ではなく、「作家の美術に対する、又は社会に対する、又は他のものに対する姿勢」が書かれることが望ましいが、その他の何でもよい。
他に、寄稿を依頼する。藤田猛氏には「青美について」、田中日佐夫氏には「ローカル美術について」、他に中村義一氏、藤田西洋氏、などに依頼するが、テーマは特に決めないし、先の二人にして予定である。
なお、’61年度青美展の題名、作家名、住所録を附録として掲載する。
9、アンケートについて
 会場及び選ばれた数人にアンケートする。その内容は会員相互の話し合いで決定する。
10、予算について
第1回分の支払は9月2日まで 1人宛2000円の負担
第2回分の支払は9月24日まで 1人宛2000円の負担である。予定数は10人 20000円 
支出は
会場費 5000円(6日 1日1000円)+1000円
案内 5000円(500枚 1枚10円)+750円
カタログ 4800円(8p立 1p600円 タイプ封書)—240円
発送代 1500円 (300部 1部5円)
アンケート発送代 300円(30部 1部10円)
×運送費(下見会後の運搬)1000円
会場構成費(サイン帳、硯、茶菓代)1000円
展覧会準備必要費 1000円
合計 20600円(残余 会計より支出)

8月例会
1961年8月20日(日)7:00 pm~ 於 キサラギ茶房
出席者 ネギタ、福沢、小泉、市村、中塚

9月例会
1961年9月2日(土)7:00 pm~ 於 キサラギ茶房
出席者 安田、ネギタ、福沢
今日の議題
1)出品者の確認  2)出品作の点数、号数、題名  3)カタログ原稿の徴収
4)経費の徴収  5)パーティーの企画  6)検討
1)出品者の確認、出品作の点数、号数、題名
市村司 4尺×8尺(200変) 試作1号
安田輝雄 40P (未定)
福沢忠夫 3尺×3尺 4点 蝶
竹中正次 80号 作品41 作品42
広重明 100変 2点 作品36-9-A –B
林俊治 60号 20号 兵士の棺
40号 20号 兵士の棺
40号 計5点 兵士の棺
中塚量夫 5尺 2点 二段 作品A.B
田中守貴? 30号 1点 作品61’33
ネギタマサトシ 2尺×2尺 6点 死へ、風上、わが領土、飢餓、クリンチ、グッドラック
真山豊 浮木
稲木秀臣 作品
2)経費
9月2日    9月24日
市村司 2000円入
安田輝雄 9月22日完納予定
福沢忠夫        2000円入 9月10日完納予定
林俊治 1000円入
広重明 1000円入   1000円入
ネギタマサトシ     2000円入 9月15日完納予定
中塚量夫 1000円入  1000円入
竹中正次 1000円入  1000円入
田中守貴 1000円入  1000円入
真山豊     2000円入
稲木秀臣 出品 未払会費      9月29日現在(17000円)
安田輝雄 不出品          10月1日現在(18000円)

1961年度 青美展 会計報告
会場借料 5000—
案内状 4250—(1枚8.50 500枚)
案内状発送費 1850—(1枚5円 370枚)
カタログ 5040—(5000円に値引)(500部 8頁立 1頁630円)
アンケート 1000—(500枚 1枚2円)
カタログ、アンケート発送費 300円(30部 1枚10円)
ラベル 紙代 100円
カタログ、アンケート発送用封筒代 100円
ノリ、紙キリ 他 100円
サイン帳 硯 茶菓代 1000円
通信費 1000円
合計 19740—
入 18000— 
差引 1740—(残余会計より支出)
パーティ 林500、市村500、中塚500、ネギタ500、福沢500、広重500、本庄300、小泉300
招待 林氏、小牧氏、藤田氏、武田氏、田中氏 12人
入 3800円 4510 差引 -710タテカエ

1961年10月7日(土) 青美例会における市村司の演説
今後の青美にかっぱつな意見が欲しい。われわれの主体性において青美を?党していくべきだ。

青美例会
1961年10月7日(土)7:00pm 於 キサラギ茶房
出席者 市村司、福沢忠夫、林俊治、ネギタマサトシ、中塚量夫
議題 1、CATALOGUE青美展出品合評NEGITA  2、青美展決算報告NEGITA  3、今後の青美運営FUKUZAWA, YASUDA  4、青美の外部対策ICHIMURA  5、
1、青美展の出品作合評
a市村司の試作1号について
 市村氏のダイナミズムがよく出た作品だと思う。素材に対する研鑽を、材にもたれダイナミズムで、、、ものを期待したい。また、市村氏のヴァイタリティーの質がはっきりした。それはRe Actionとして始めて成立する。これと等質の作品を今後期待したい。
アクションペインティングのパターンの中では安心してみられる。と云うことは、アクション・ペインティングのパターンの中で安楽座をかいている。それについてのはっきりした自覚を持つ必要がある。
B福沢忠夫の蝶について
 白の部分がカサカサとした所はうまいと思う。ただ焼けてる(にえつまっている)のがまずい。一言で云えば、不愉快な雑っポさだと思う。もし、彼が画家一職人説を云うのならもっと「見せる仕事」をすべきである。
C広重明の作品について 
 安心してみられると云う所に危険性がある。と云うことはオーソドックスな批評によれると云うことである。真面目、地味、懸命、技術の上達がある。そこに大きな欠陥がある。ぼちぼち自分の云いたいことをずばずば云ってもいいのではないか?必要性に迫られて出てくるものが欠けていると考える。
D林俊治の兵士の棺について
 作品としての効果よりはもっと内部の問題から出ているものを感じた。しかしもっと上手にやって欲しい。作家の体臭ははっきりしている。その体臭は作為ではないかと思う面もある。以外に健康的な体質が彼の人間の中にある。
E中塚量夫の作品について
 上等の資材を必要とする。あれは安物。観客の持っているパターンに毒されている男だ。一見実験囚に見えるのがパターン化され、それによっているだけだと考える。
Fネギタマサトシの作品について
 作家の思考内容の一番うすい例だ。ムードとして宗教的な雰囲気はあると思う。それは作者の思考体系と相反している。自分のイデーを描写するにとどまっている。画面の中で従来の空間と同じ空間を感じてしまった。観念の空回り。キザ。共感性じゃない他者事を感じる。もっとも絵画的であった。
2、青美展の決算報告
3、今後の青美運営
 a統一合計  b安田氏の件  c行動のプラン
 などについて次の例会に討議を行う。
4、次の例会は、
 10月28日(土)7:00 pm〜 キサラギにて

青美例会
1961年10月7日(土)10:00~ 於 主のなき家
出席 市村、福沢、林、中塚、ネギタ
・ 今後の青美運営(来年度)。青美の充実、発展の為に青美の趣味性を排斥するた次の提案がなされた。今後は、グループ連合展の廃止に踏切り、同時に青美展を二本立にする。すなわち府ギャラリーの青美展は福沢忠夫プロデュースのもとに、同時に、又は異時に林俊治のプロデュースによる青美展を運営する。ネギタはアシスタントとしてこれに参加する。又、林プロデュースのものは、純然たるショウであり、福沢プロデュースのものは青美の良心から出るものである。青美会員はこのいずれに参加しても、又、いずれのみに参加してもかまわない。多能、有能なタレントの参加も含む。市村は、両方の相談役としての活躍を期待する。又、中塚は人事の面の責任を追う。
・ 林プロデュースのshowとしての青美展は青美としてはやらない。しかし考える。
・ これは保留である。

青美例会
1961年10月28日(土)7:00 pm~ 於 キサラギ茶房
出席者 市村、広重、ネギタ、福沢
※ 今後の青美運営(来年度)
1、例会 一般来聴歓迎
  参加可能 市村、中塚、広重、林、福沢、ネギタ
  参加不可能 田中、真山、竹中
① 月1回
1月担当ネギタ 2月 3月市村 4月 5月福沢 6月 7月広重 8月 9月林 10月 11月中塚 12月×
(研究発表)内容は自由
ゲスト 藤田猛氏、田中日佐夫氏、小牧源太郎氏、中村義一氏、武田(毎日)氏、古田安氏、梅樺忠夫(人類学)
② 青美総会
a9月初旬
b毎月15日 (新年宴会を兼ねた総会 市村氏に依頼、中塚氏に依頼)
③ 活動プラン
年1回(秋)府ギャラリー  青美展 責任produce福沢忠夫
アンデパンダン展 出品 春
④ 会費
8月31日までに3000円払込むこと。
3回払 まで払込む。
⑤ 安田氏 小泉氏 取立の件 中塚氏一任
 ①②③④→中塚氏会員に連絡下さい。

青美例会
1961年11月21日(火)7:30分〜9:00pm 於 キサラギ
出席者 市村氏、中塚氏、真山氏、竹中氏、安田氏、林氏、広重氏
進行係 林氏
決定
・ 6月以降 1万円也の展覧会を持つ
・ 東京での青美展プラン(確保)
・ 会場費(費用全般)取り立は1回
・ 東京展 会場確保 折ショウは市村氏に一任(必至)
青美展
a東京  b京都市美術館  c百貨店
青美例会、其の他、臨時会合期日は竹中氏、真山氏の都合により決定
青美例会(月1回)
1例 藤田氏、田中氏、有馬氏、叶氏
忘年会 1月20日(土)夕5時石山寺(市村氏東京報告含ム)(国鉄宿舎)(すき焼き)
次期例会 12月16日(土)
議題 1961年を省みて
   1962に対する希望 田中氏をよぶ
会場 キサラギ(ふらんそわ)

青美例会
1961年12月16日(土)8時〜
出席者 市村氏、竹中氏、林氏、広重氏、中塚氏
トピックニュース
・ 京都アンデパンダン展 世話人会パーティ
・ 時期—同展会期中又は後日(1月15日以后)
・ 出席者 針生氏、武田氏、藤田氏、田中(日)氏、叶氏、小牧氏、有馬氏、本庄氏、小泉氏、市村氏、中塚氏、竹中氏、林氏、広重氏
◎ 青美オブザーバーとして小溝氏、志摩氏を認める
◎ 各人個展を中心に五年計画で中央進出。

1962年
青美
例会出席者 市村、小溝、廣重、志摩、加藤、板倉  於 キサラギ
37度メンバー(再確認)
 市村、田中(守)、竹中、中塚、真山、広重、林、小溝、稲木(東京)、加藤、安田、志摩(文章)、板倉
(?)小西、中川
組織
 連絡係 中塚
 会計係 広重
 ショウガイ 小溝、市村
 記録 広重、林(臨時)
 研究会責任者 志摩、市村
ゲスト報告者 第一案 田中(日)氏、藤田氏、志摩氏、小牧氏
ゲスト報告者 第二案 武田(毎日)
◎青美 内容的な発展を計る事を重点におき、?にグループ連合展はある期間保留にする

青美例会
1962年3月11日  於 南昌院
出席者 市村、中塚、広重、板倉
現代美術の位置  田中日佐夫氏
16世紀?ルネッサンス 以后、絵描生活記 バザール記
この作品は当時はいづれの人物画よりも偉大である。
(チマブーエ聖像)
ガガーリン+チマブーエ
(1)ヴァザリの記事と現代 (2)現代における美術の享受 (3)美術史の観点から (4)打開への見通し
ヴァザリの記事と現代
ヴァザリは「ルネサンス美術家伝」のうち「ヂョバアンニ・チマブーエ」の項に次の様に記している。
「この作品(聖マリア・ノヴェルラ等の為に描かれた聖母子像)は、当時までに描かれた熟れた人物よりも大きなものであった。そして聖母をめぐる数人の天使はチマブーエが未だなほ希リヨウの書風を遺しているとは云へ、部分的に近代的な線と手法に近づきつつある事を示している。従って、この作品はsの当時までこれ以上のものを見たことのない当時民衆をして井常に驚嘆せしめ、彼等はこの絵を奪って喚起し、而も刺ロハを吹?鳴らし乍ら、極めて誇りやかに行列を作って、チマブーエの家から寺へ運んだ程であった。彼はこの作品に対して多くの報酬を受け、井常な名声を得た。伝説と或る古い書家の記録に依れば、チマブーエがこの板絵を聖ピエトロ寺の間に隣接する処で描いていた時、アンジュー王老シャルルがフィレンツェを通りかかった。そして同市の人々は歓待のしるしの一ツとして、チマブーエの板絵を見に王をつれて行った。そこで其の時まで何人も見た者がなかったので王にそれが見せられるに際して、フィレンツェの男女は、挙って井常な歓呼と未曾有の郡をなして其処に集ったと言う。
暫くしてこの近くに住む市民達はその喜びを記念してその場所を、ボルゴ・アルレグリ(喜びの色)と命名した。
其処は、時が経つと共に市の城壁の?に囲まれたが、後に至ってもなほこの名を伝へている。」
以上の文と対應する意味で、「ハーバード・リード」の「ピカソの凱歌」から抜粋して記してみる。
「われわれは凱旋をまのあたりに創造することが出来る。
街路は花環で飾られ、誰も彼もがカーニヴァルの衣装を身にまとっている。「勝った勝った万歳」の歓声。行進の先頭には元老院議員の代りに画商ヴォラール氏やカーンワイエ氏、ローザンベール兄弟やピエール•コレ氏、ピール・ロエブ氏、ツウェムマー氏、メイヤー氏などを立てるが、よかろう。喋口八手の代りには、ピカソに関する書物二十冊の著者ツエルヴォ氏を先導とする批評家一団、幾百におよぶピカソ論の筆者たちを並べよう。、、、、、、ピカソの戦車はやはり伝統的に四頭の野手にヒかせているだろうし、月桂樹の冠が彼の頭上に似つかはしく載せられてるだろう。だがその手には王?の代に、

1962年4月22日 青美例会(今後の組織) 於 キサラギ
出席者 市村、真山、竹中、中塚、安田、林、志摩、板倉、小倉、広重
・ 全関西美術作家人協会発足の問題(青美?—市村、小溝氏)
・ 青美 定期展
・ 会計の件
・ 市村氏、田中(守)二人展—於 山田画廊 4.27—
・ 月例 研究会の問題—従来通り—時期即應の人と宿題
・ 次期例会—市村氏田中氏二人展をみて語る
・ 日時→5月13日(日曜日)

1962年5月29日
美術館 9月9日〜15日
府ギャラリー 10月4日〜7日
(会費請求、田中(守)、安田、竹中)
1962年8月分まで
田中氏 ¥1,400—
安田氏 ¥1,400—
竹中 ¥600—
林 ¥1,600—
真山 ¥400—
志摩 ¥200—
守家 ¥400—
市村、中塚、広重、小溝、加藤、板倉 (完納)
6月4日大和文華館行

1962年8月26日(日曜日)
青美例会 於 静  7時30分
出席者 市村氏、小溝氏、中塚氏、板倉氏、広重氏
◎秋の青美展について(会期9月28日〜10月2日)府ギャラリー
 提案(A)厳選主義をもって一人一点主義
   (B)ゲスト出品者を容れる
◎印刷物=小溝氏
◎9月初旬に臨時会合をもつ(9月9日日曜日)

 

年不明
1月29 於 静
会則の件
1)               会費必納入の事 三ヶ月未納の場合は会員資格を失うものとす。
2)               入会の時 会員5名の同意を得る事
退会の時 出席者の可半数の同意を得る事
会員人事の件
 小溝、守家、田中、板倉の4名除名議題となる
 小溝除名決議
 他3名意向打しんの事
今年度展覧会予定
① 府ギャラリー
② 藤井大丸 予算1人10,000—
1月7000〜11000見込み

年日付不明
1、例会
一?来聴??
市村、中村、広重?、福住、ネギタ、林、田中、真山、竹中
月1回
1      ネギタ
2       
3      市村
4      藤田、田中日佐夫
5      福沢
6      小牧、中村義一
7      広重
8       
9林
10 武田、古田安
11 ?
12
②総会
A.9月初旬
B.毎月15日
③活動プラン
年1回(秋)府ギャラリー 青美展 責任福沢
アンデパンダン展 ?
④ 会費 8月31日までに3000円払也
3月末日までに払込む
⑤安田氏 小泉取立の件

日付不明
連絡先
市村 田中(守) 中塚 竹中  市村氏37−7976
安田輝オ—左京区役所戸籍係
林俊治—旭広告 大阪(06)231−718.719
小溝一夫 志摩篤 板倉 加藤  小溝一夫 45—6566

 

 

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