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「VOL 美術集団」略歴

1962年    「VOL美術集団」結成(1962-1964)
1963年4月5日−4月10日 第1回VOL展 京都市美術館 後に「実験グラウンド∧」メンバー真鍋宗平、加藤美之助は創設メンバーに名を連ねているものの両名とも第一回VOL展は不参加。大江正典は出品。
1963年8月7日−9日 第2回VOL美術展 京都府ギャラリー(四条御旅町、京都) 加藤:黄色、黒2色の抽象作品を出品「交通標識と同じだ」「奔放な画風だ」と悪評、好評を2分(写真あり)
1963年8月19日−8月25日 加藤美之助個展 ギャラリー16
1963年10月27日−10月30日 第3回VOL展 京都市美術館 若手前衛グループ。絵画の石川優、上原秀夫、加藤美之助、斉藤光保、二階堂忠、吉田季子、山崎史、彫刻の大江正典、川合敏久、真鍋宗平の計10人が大作約50点を発表。(写真あり)

「実験グラウンド∧」
1964年3月7日−3月13日 京都アンデパンダン 京都市美術館 彫塑の部屋である第10室を大江正則、石川優、加藤美之助、真鍋宗平の4人だけで使用(参考:出品目録)。真鍋の作品内容は不明※1おそらく真鍋の顔がデザインされた巨大な箱状オブジェ。大江は「1964年2月7日午後10時—11時の河原町角」で展示室各部屋を通り越し美術館入り口まで綱をのばし強制撤去。石川は平面。加藤は箱のようなものを用意し、その中にいろいろな“モノ”をつめた作品を展示。しかし作品自体に意味を持たすものではなかった※2。展示で“規制”されることに対しそのことを破壊する目的で「ゴミ集積イベント」を実施。
1964年3月 「京都アンデパンダン撤去」チラシ送付
1964年5月 「実験GROUND∧!開設!第一回公開」冊子発行
1964年5月 加藤美之助自宅庭を「芸術の実験広場」として解放※3
1964年5月7日 京都祇園会館 足立正生「鎖陰」上映会会場にて真鍋、大江、加藤による「生ゴミ献呈イベント」。フィルム持ち去りの可能性もあり。
1964年5月20日 「ミロのビーナス一体展に対する公開質問状」送付
1964年5月29日 「実験グラウンド∧!公開討論会」青銅画廊、京都
1964年6月20日-7月3日 ‘64アンデパンダン 東京都美術館 真鍋、大江による「ホルマリン事件」※4
1964年7月6日-7月12日 「反芸術3人展」 ギャラリー16 加藤美之助、田代雅善、池水慶一 企画:中村敬治 このグループ展において、加藤は“画廊”といういわゆる権威の場所において発表することになる。その「画廊で展示した方式」を理由に、加藤は、大江、真鍋2名より、実験グラウンド∧から“追放”される※5。
1964年7月13日-7月19日 加藤美之助個展 ギャラリー16 透明のビニールに日常の物(ゴミ含)を包んだり詰め込んだものをギャラリー16の天井から多数をつるす展示※6。大江、真鍋2名も毎日のようにゴミを集積。それを排除するギャラリー側といたちごっこを展開※7。この時通りかかったオノヨーコと接触※8。
その他 「ミロ・ビーナス展反対運動」※9、山一ホールにおける数々のハプニング(オノヨーコ含)、祇園会館(鎖陰含)他市内でのハプニング、会場飛び入りハプニングを行う
1964年10月31日 遅速的個人的時空 京都
1965年9月6日−9月11日 ∧×2展 内科画廊 加藤と真鍋の2人で巨大なピンポン玉2個がくっついたような形の作品を展示。当時、展覧会という形式を否定する存在であった2名は名を伏せ、「∧×2」と称す。ピンポン玉はFRPで作成されており、その玉の端は入り口のドアいっぱいいっぱいはみ出る程の大きさであった為、入場者はかがんですべりこむようにしないと部屋に入れない程であった※10。

※1 真鍋の証言
※2 加藤の証言
※3 京都新聞1964年5月2 日「芸術の実験広場」参照
※4 美術ジャーナル参照No.49
※5 加藤の証言
※6 美術ジャーナル参照1964年8月No.50
※7 ギャラリー16井上道子証言
※8 美術ジャーナル参照1964年8月No.50
※9 ミニチュアのビーナスをつくって販売するとかしないとか相談していたらしいが結果は不明
※10 加藤の証言 図有。「内科画廊−’60年代の前衛」目録 2000年京都造形芸術大学 に展覧会歴掲載
 

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