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チェルヌスキー美術館における日本陶磁展

■チェルヌスキー美術館に於ける日本陶磁展―カタログに掲載された序文(仏訳)

序文
最近東京へ旅をした時、しばしば私は現代の日本の芸術家の作品をパリに紹介する準備をしたいと思った。滞在中に私に多くの心からなる配慮をしてくれた友人等は、この願いをかなえてくれ、私の旅行の1年後に陶器が我々の処に送られてくると云う事になった。この奇跡の仕掛け人は、他でもない東京国立博物館陶磁部長の小山氏である。彼の名を書きながら私は鎌倉の家で彼が情熱的、又科学的に集め研究し続ける中国や日本の、古い陶器に囲まれて過ごした心地よい時間を思い出さない訳には行かない。2ヶ月間に積み重なった大変豊かな思い出の中でも、最高に貴重なものといってもよい数刻は控え目にみても悪くはなかった。集中した作業の中でも小山氏は、過去の作品に限らずこの催しの準備に没頭し、我々の意図である陶芸の大家その友人や同僚の作品を選びながら、彼は又土と炎の高度に展開するものに時間を割いた(長い航海の為にそれらを選別しながらであった)先駆者として高い評価を誇る小山氏は、完全とは云えないまでも彼がその最初の章を復活させる事に専心した日本の陶芸史が経験と新しい試みで絶えず豊になった事をパリ市民に示そうと努めた。現存の芸術家過去の世代の人々を強く結びつけた事にチェルヌスキー美術館に必ず来る様な日本芸術通の多くのフランス人達と同様に、私の心から又親愛なる感謝をここに是非共しっかりと云っておきたい。ルネ・グラッセ アカデミーフランセーズ チェルヌスキー美術館館長

(イントロダクションの抜粋)若い世代の代表の中で、京都の有名な陶芸家の息子の宇野三吾を中心にした四耕会の中のグループは、技術よりもフォルムに於て表現の復活をしようとした。そこには今もアメリカに対抗した日本人が、我らの時代の最初の世代にハニワを復活させているのを、驚きなしに見ることはできない。マドレーヌ・ダビッド チェルヌスキー美術館


○建築と美術の雑誌 ART D'AUJOURD'HUI  NUMERO 4 MARS 1951 3ページの画像掲載

吉川逸治によって書かれた記事(仏訳)

チェルヌスキー美術館に於ける日本美術の展覧会 1950(18世紀の浮世絵-現代陶器) 吉川逸治
日本の展覧会;ルネ・グルッセ氏が中心となりチェルヌスキー美術館によって組織された、18世紀の浮世絵と現代陶器は、パリの観客によって好意的に受け止められた。浮世絵の発展は、その創成期、17世紀末の墨刷り版画から、最も開花した時代、次世紀の2/3ほどまで紹介された。重要な位置は初期の作品:-師宣、鳥居、政信、さらに、彼等の門弟達、多色刷りや錦絵を創りだいたことによって、春信出現の準備をしたその他の浮世絵師等、-によってしめられていた。単純で力強い初期作品は、現代のテイストに、答えている。顔は浮世絵において、抗いがたい権威をもって、その存在を主張している。堅固で、まだ荒削りな師宣の作品は、その後彼の後継者達において、強さを全く失わずにいながらも優雅でかつ、官能的なものになってゆく。師宣の競争者達は版画の描線の内側までも筆を広げることによってフォームを活性化し、燃え上がらせる:生き生きとした赤、オレンジ、緑色など。非常なテクニックの必要性を課す、太くはっきりした輪郭は、いつまでも変わらず支持されていた。その描線は、どんな筆にも増して、強烈な造形性を初期作品に与えるのに適しているように思われる。顔は18世紀の浮世絵の主要テーマであるが、18世紀後半に入るとそのテーマに忠実でありながら、画家たちはデリケートな肉体の描き方や、情緒表現の探求によって、彼らの作品をより豊かなものにしてゆく。18世紀後半、春信が、多色版画の妙技を思うままに操り、彼の人物像を宇宙的背景の中に挿入する。新鮮な単色の染めの技術によって、春信は今までになかった深みのる印象を与える、造形的な空間を創作した:平坦に置かれた色彩にもかかわらず無限の奥行きをみせる。画法は次々と編み出され、画家達の繊細さは、技術の発達にともなって洗練されてゆく。彼らは、刷師や彫師が課した限界を出ることなく、与えられた新しい可能性を利用することを知ってゆく。多色刷は、変化やニュアンスに富んだ画風を容認しない。しかも描線のあまり大きな柔軟性を許さない。それにも関わらず非常にデリケートな線や、平面的に置かれた色調は彼らにとって、気品のあるフォームを確立したり、画面を確固に構成するために充分であった。このように束縛を受けた技術的に狭い枠のなかで、彼らは、イマジネーションを解き放し、無限の領域を我らに開く、壊れやすい世界を造り出すことを知ってゆく。しかしながら造形への心痛は、情緒表現への探求をそれほど排除しなかった。歌磨の書いた大首絵や、写楽の役者の肖像画は、我らには、浮世絵芸術の頂点を極めたように思われる。これらの作品は、単なる1枚の紙の満面に、慎重に選ばれ、巧妙に構成された線と色を持って、生命を与えうることを証明せんとする意思と、情緒的喚起の激しさによって、我々を感動させる。
今回、全ての浮世絵がパリにあるコレクションから出展されたものなら、この展覧会に向けられた陶器は日本から来た作品である。グルッセ氏の依頼により、東京国立博物館のアジア陶器史家、小山氏によって選ばれた作品は大部分、近年の制作で、現代美術の活躍の1端を要約するものである。これらの作品は現代陶器を活気付ける全要素における、異なった傾向を我々に見せてくれる。伝統的な技術が折中的にせよ自立的にせよ、多少に関わらず強調されてひとつの新規更新の意志の上に現れている。富本憲吉氏の白い陶器は、その全容に、その起源より日本陶器芸術において原点的な長所である。慎ましいラインを形取る、滑らかで美しい貴重な素材の風味を反映している。
初めて先輩達に混じって最年少のアーチスト達が認められることとなった。彼らには、現代アートを特徴づけている、不安定さが、:テクニックより多くの造形性を探求することによる:強烈さをもって表現されている。林康夫の小さな像は西洋の視点と、正に日本の持つ表現方法の完全な融合を見ることができるのに対して、黄色の美しい釉薬をまとう豊かなフォームの宇野三吾の壷は、我々の国の陶器が行っている、永遠の炎の戦いの新しい局面を示している。最後に、イサム・ノグチが古き日本と現代性が結合している感動的な作品を造るために組みだしたものは、我々の国の芸術の最も古い歴史の中からであった。

○チェルヌスキー展覧会に関する文献、関連書籍
・「きょう審査発表 京都の渡仏陶器」 毎日新聞 1950年8月1日 無記名
・「26点が入選 渡仏陶器の京都審査」 毎日新聞 1950年8月2日 無記名
・「パリへゆく日本陶器 厳選うけた清水氏らの24点」 京都新聞 1950年 無記名
・「人気呼ぶ前衛派作品 吉川東京美大教授のパリ日本陶器展便り」 1951年2月18日 無記名
・YOSHIKAWA,Itsuji, "Esposition d'art Japonais au Musee Cernuschi", 26-27ページ Art d'Aujourd'hui Serie 2, Numero 4, Mars 1951 
・橋本喜三「京都 パリ日本陶器展」76ページ 1951年4月1日 日本美術工芸 4月号 第14巻 第7号 通巻150号
・     小山富士夫「陶磁器の洋行 ―日本陶磁展の選定にあたり―」 裏千家月刊誌淡交 1950年12月
・     高田博厚「この頃 5 巴里」 3―8ページ 1951年 みづゑ5月号 通巻548号

 

 

 

 

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