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映像史

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70年代映像史

この項は、1960年代後半から70年代の京都で開催された映像にまつわる展覧会の中で代表的なものをピックアップし、新聞記事とともにまとめたものである。この項以前の京都の状況については、「京都の戦後自主上映概略」の項を参照のこと。

「昭和50年代の京都 創造 美術表現としての映像 映像作家 松本正司」今から八年前のことだった。私たち美術を志向する仲間5人が、映画による展を開くことになった。彫刻家、画家、版画家たちが、’64年ごろからそれぞれが制作していた映画による作品の初めての発表で、題して「フィルム’67」。そのころ、スタン・ブラッケージなどのアメリカの実験映画が、初めてまとまったかたちで日本に紹介されたり、ドイツやフランスの戦前の実験映画が上映されたりしたこともあって、アンダーグラウンドシネマ(地下映画)の気運がもりあがりつつあった。このアンダーグラウンドという呼び名は、その後、演劇、音楽、美術にまでおよび、60年代末には、ついに若者たちの風俗の呼称となり、いわゆる「アングラ・ブーム」という流行現象の中に風化してしまったのであるが、私たちの映画展は、そういったアンダーグラウンドシネマ活動とは別に、私たちの美術思考を映像というメディアによって表現する美術展の一環として企画したものであった。したがって、美術家による映画展というのは、やはりめずらしいこととして受取られ、ある画廊の女主人は、「美術の人が映画の会開かはるんやて・・・。」と、さもおどろいた風であったし、また、各新聞も、美術欄ではなく、芸能欄の一隅に紹介したものであった。いわく「ノミを、絵筆を、カメラに変えて」。私たちは、この映画展を数回続けたが、「美術表現の一メディアとしての映像」として認識されるには数年またねばならなかった。1969年1月、あのEXPO’70の一年前、私たちは、前出の映画展に奇異な目を向けた女主人の画廊で、全天全周映画、即ち、鑑賞者がドーム状のスクリーンの中に入って、周囲に写る映像を見る、あるいは体験する映像展「映像は発言する!」を開いた。美術家を中心に、詩人、音楽家など二十数人のフィルム作品を8ミリ、16ミリ、スライド映写機など30数台を駆動して、ドーム一ぱいにいわゆるフレイムのない映像、映像そのものによる独立した環境、映像表現をつくりだしたのだった。その翌年のEXPO’’70には、この全天全周方式や、変形スクリーン、マルチ(多面)スクリーンシステムの映画が氾濫したが、装置空間や映像機材のオンパレードといった感が強く、映像そのものの内容が希薄で、見せ物的であったのは記憶に新しい。映像に知覚させるものがなかったということだろう。たしかに装置や機器には驚嘆に価するものはあった。しかし、フィルムや機材は映画の二次的な材料にすぎない。光と影と時間を視覚化するための資材なのだ。私たちはEXPO’70に資材を見に行ったのではなかった。映像を見に行ったのだったが・・・。そんな大仕掛けの映像が幕を閉じた70年の秋から、京都新聞社主催の⟨映像表現⟩シリーズが初まった。美術思考を映像によってアプローチする作家も多くなり、形式も劇場でのプログラミングされた上映方式から脱して、京都市美術館を会場に、出品作品である種々の映像(映画、スライド、ビデオ)が、美術館の壁面や床面に投映され、鑑賞者は、絵画を見るごとくに、歩き回りながら映像を見るという、まさに映像展に発展していった。こうして、映像もようやく美術表現の一メディアとして一般的に認識されるようになってきた。このようにみてくると、映像による美術運動は京都がかなり先がけているといえる。歴史が古いというだけでなく、その時代の尖端であった文化的遺産をもつ京都人の、常にトップを行く気概が、映像の世界にも流れているのかも知れない。やがて開通する地下鉄が、京都のアンダーグラウンド(地下)をゆるがせるとき、映像時代の新しい映像展として「国際映像展」が京都を舞台にくりひろげられることを望んでやまない。(京都新聞 1975年6月4日)

1967年11月11日「アンダーグラウンドシネマ’67(フィルム’67 )」出品作家=グループ位、今井祝雄、石原薫、植村義夫、平田洋一、真鍋宗平、松本正司、水上旬、森俊三

「ドキュメント現代 シリーズ1 前衛 その1映像 音と光りで自己を表現 旧来の映画的手法と断絶」(京都新聞 1967年7月24日)画像あり

「消息」アンダーグラウンドシネマ67の名称のもと、画家、彫刻家などがつくった前衛映画、実験映画発表の会が、11月11日勤労会館で開催される。今井祝雄、寺尾恍示、松本正司、真鍋宗平、水上旬らが提唱したところから、シネTIMMMと名付けたグループが主催し、フィルムによる新しい映像、8ミリ、16ミリ、音あり、音なし、アニメーション・ドラマなど各メンバーの自慢の作品が持ちよられる。なお同シネTIMMMでは、画家、彫刻家たちの前衛映画、実験映画の作品をアンデパンダンで募集している。応募者はパンフレットをつくる関係上タイトルと映写時間を申し入れること。あて先は寺町三条下ル東入ギャラリー16内TIMMM事務所。(夕刊京都 1967年9月15日)

「あの人この人 松本正司氏」「映写機をさげて地方巡業もしました」−彫刻家、松本正司氏(36)=京都市室町通夷川=は、“アングラ映画”に目下、ご執心。画家の石原薫らと「アート・フィルムの会」をつくって4月、高松へでかけた。“立体でも絵でもとらえられない映像独自の世界”を自分たちの映画で表現しようと昨年10月、第一作「メディア」を発表した。内容はごーごーダンスの場面にはじまり、テレビニュース、ジェット機、熱気を帯びたゴーゴーダンス・・・ワンカット一秒から三秒くらいで画面がパッパッと変わる。全巻20分。ある瞬間のできごとを同時にとらえ、“現代”を表現するのがねらいだという。本業の彫刻は六月、神戸、三宮で開かれる「現代空間’68展」に、ヨシダ・ミノル氏(京都)と二人、招待出品の予定でただいま制作中だ。材料はステンレス、プラスチック、ハーフミラー、モーターETC。光りと音をとり入れたサイケ調の空間を創造するとか。「映画へ転向?とんでもない。映画はボクにとって彫刻のパーツ(部品)あくまでボク自身が没頭できる総合空間が彫刻でのテーマです。(写真は−「映画づくりに転向なんてとんでもない」と話す松本正司氏)(毎日新聞 1968年5月25日)

 1968年11月8日、14日、19日「ZONE」毎日新聞京都支局3階ホール 8日 シンポジウム「アイデアの位置」=中原佑介、山崎正和、福島敬恭、松沢宥、辻原千 、高口恭行、亀山某、太田ひろし、神戸陽造、本田一二 司会=新田博衛 14日 映画=宮井陸郎、ガリバー、松本正司、河口龍夫、植村義夫、今井祝雄 電子音楽=山下甫 舞踊=竹邑類 19日 舞台=小松辰夫(劇団現代劇場)、林川賢太郎(詩) ハプニングス=PLAY、ゼロ次元商会 1968年 彦坂尚嘉「ジストロフィ」(8ミリパートカラー、15分、映像集団濡れた皿作品) 企画=ん・MAS 後援=毎日新聞社、協力=同志社学生放送局、構成=小松辰男、柳沢正史、水上旬 事務局=アヅマギャラリー
「創作の立場を“証言” 新しい芸術の位置討論 ZONE展開く」“現代美術はむずかしい”めまぐるしく変わる新しい芸術についていくのに息切れがしそうな現在。とまどいを感じる人も多いだろう、そんな人たちのために京都で現代美術、映画、音楽、舞台・・・各部門の新しい芸術の最先端を行く作家たちを動員、その作品を披露、著名な評論家の参加を求めて現代芸術についてのシンポジウムを開くという画期的な企画が実現する。この企画は11月8日、14日、19日の三日間にわたって京都市中京区三条通御幸町角、毎位置新聞京都支局三階ホールで開かれるもので、題名は「ZONE ここにたってる−そして?」。主催は下京区寺町仏光寺下ル、アヅマギャラリーと京都の若い作家グループで、毎日新聞京都支局後援。企画の題名はいささかなじみにくいが、この企画には美術、映画など各部門から約30人の作家が参加しており、それらの作家が自分の創作の立場、またその目ざすところは何かを“証言”する。題名はこのような“現代芸術の将来を指向したい”という主催者の意図を表したものである。日程初日の八日のシンポジウム「アイデアの位置」は美術評論家中原佑介氏、演劇作家、山崎正和氏を迎え、地元京都の万国博の美術作家、福島敬恭氏ら作家も参加する。中原氏が現代芸術の特性などについて発言、新しい芸術の位置づけを目ざして討論が展開される。第二日目からは現代作家の作品発表にはいり、十四日は映画と電子音楽が発表され、映画は東京のアングラ映画の旗手宮井陸郎、ガリバー両氏、また関西のアート・フィルムの会、松本正司、河口龍夫両氏が加わる。音楽は大阪のアート・チクルスが現代音楽を紹介、山下甫氏らが電子音楽作品を発表する。十九日は舞台とハプニングスで舞台は京都の劇団現代劇場の小松辰男氏らが氏の林川賢太郎氏らと組む。最後のハプニングスには大阪のプレー、名古屋のゼロ次元商会両グループなど十三人が参加。時間は各日とも午後六時から九時までで、入場は会員に限られている。三日間通しで入場できる会員券(千円)はアヅマギャラリーで受け付けている。(毎日新聞 1968年11月?日)
「“新舞踊”など紹介 ZONE第二回シンポジウム」現代芸術について考えようという「ZONE」第二日目は14日午後6時から9時まで中京区の毎日新聞京都支局で開く。プログラムは新しい映画、舞踊音楽を紹介、映画は東京・新宿を拠点にアングラ映画を発表している宮井陸郎、ガリバー両氏の作品と、関西のアート・フィルムの回の松本正司、今井祝雄、河口龍夫、植村義夫氏の作品を上映、舞踊は竹邑類が出演する。音楽は大阪のアート・チクルスの山下甫氏らが電子音楽作品を発表することになっている。「ZONE」は8日のシンポジウムについでこれが第二日目。最終日の19日にはハプニングスなどがある。(毎日新聞 1968年11月?日)
「どっと熱心なファン ZONE第二回アングラ映画も登場」若い芸術家が追求しているものは何か—アヅマギャラリーや若い作家グループが企画した「ZONE」第二回目は14日午後6時から9時まで毎日新聞京都支局三階ホールで約200人のファンが集まって開かれた。この日のプログラムは東京・新宿を舞台にアングラ映画を発表したガリバー式の作品“スイッチ”で始まった。無声、白黒でボタン式のスイッチが三十分間も写され、画面に出た人間の手がスイッチを押すと同時に会場の電気がパッとまぶしくつく−という趣向。続いて京都の作家、松本正司氏のカラーのあざやかな作品や植村義夫氏らの映画が上映されたが、映像をダブらせたものやスクリーンを二つ使うものなど新しい試みがいっぱい。映画のあとは大阪のアートチクルスの山下甫氏らの電子音楽、さらに東京の竹邑類氏らの舞踊が披露された。(毎日新聞 1968年11月15日)
「ZONE以前と以後 水上旬」(ポスタ—写真とともに掲載)現代は芸術にとっても風俗にとっても、個人に関するかぎりほとんど制限のない自由性を許し得る状況にあり、それは表現の段階であろうと表現以前の観念の段階であろうと大差はない。そうした自由性を受け容れるか否かが各個人の意思とか思考方法の柔軟度に任されているのみである。観念とその具体化された物あるいは具体的な行為とその理論家とは少なからずギャップを保って関係し合っているが、作家にとって作品に対する理論の裏付けを持ちギャップを埋めようとすることは、少なくとも自由性を受け容れて行動するかぎりその自由性の故に欠くことの出来ないものである。理論の裏付けは作品自体にかかわらず、それに付随する作家活動及び日常活動に於て接触せざるを得ない諸状況をどう受けとめ、又どう反応してゆくかといった点から、表現行為、表現物にいたる(ときには不連続かもしれないが)ほとんど全域にわたり関連を持ってくる為に、簡明ないいくつかの章句に置きかえることは確かに困難である。例えば、我々は作家であれ非作家であれ、個々の具体的な作品に対してももはや従来のような作品観や信頼度を持ち続けることは出来なくなっている。又、作品による伝達の意味・発注芸術等における作家の個としての存在性、技術と作品の内容性、芸術における流行性等、更にもう少し広く社会、風俗と作家の関係等(そうしたものをまとめて現象というとらえ方をするにしても)は、解決されたかに見えるが、ここ数年来あるいはそれ以上の長期にわたりわずかづつその時代背景により変質されながらもくすぶり続けている問題群である。作家の社会観の一部としての政治観についても、例えばノンポリという言葉が政治的に無色であるというより以上にほとんど内容を持たない空白あるいは事実上の無関心の代名詞として用いられている場合が少なくはない。恐らく我々は個人的とは箇条書き的に場合に応じた何らかの解答を持っているであろうが、箇条書き的であるということの紙一重のところで微近視的であり応急処置であることを否定しきることが出来るのだろうか。現代は過情報・無思想の思想という時代であるかも知れない。作家は情報メーカーであり情報センターであり何かおもろいものメーカーであり時代の先取者であるかも知れない。そうして作家は非作家からのみでなく当の作家個人からさえも遠く高く離れて行こうとしているのかも知れない。こうした種々の仮定の何割かは少なくとも正しく、いわば作家個々はそれぞれ家元であり教祖でありあるいは王様であるかも知れないが、そうであればある程、作品と併行して個々の理論体系を必要とするのではないだろうか。それは分散された家訓何カ条といった問題ではなく。そうしたものを含めて収束されたものであり、ともかく現時点での一応の総括がなされないかぎり今までの問題のみならず今後の問題に対しても確信的な対応は出来ず、相変らず未決のままの状態を続けてゆくにすぎないと思われる。理論体系は必ずしも言葉として表現される要はないかも知れないが、我々の思考が言語を中心に動いているという性質より考えて、とくに美術作家にとり作品としてではない言葉を使わないということは、しない←→出来ないという構造と含まれる主体性の濃度を押しなべて平均化して感受してしまうという欠点を補い得ないのではないだろうか。勿論、各体系について他者が受けとめるか否かは、そうした各個人の問題であり、それをどう考えるかはそれ以上に各個人の問題であるが、体系群の間には少なからず共通の基盤が存在しているはずである。我々はおそらく過情報と情報アレルギーの状況下に於かれているのであろう。としてもそれが、状況に対する分析・反応の適確性判断のために十分な時間をさき得ないことの言い訳にはならないし、情報理論のみに安易によりかかることは危険でもある。むしろその為に分析・反応の際少なからず感情的な態度をとらざるを得ないという点で、介入して来る日常と芸術の両領域に分断された数種の心情性をこそ検討する必要がある。心情性はあくまでも心情性なのであり、高倉健がかっこいいのであり、デュシャンが気になるのであって、芸術の領域内にのみ神秘化して閉じ込めて置くことは出来ないものであるが、これに限らず、我々の対面する問題の多くにこうした芸術と日常の相互流入、ほとんどが不可分とも見える複合状態を見出すことが出来る。こうした状況の中で言語の不毛という従来の呪語は、作品としての対話と作品性を極力排除した対話とを区別した上で、改めて考え直さなければならない。作家にとり固定観念的な状況の分析・反応は致命的である。対話を虚しいものとして決めてしまう前に、そうした空しさを避けるべき努力あるいは方法を考えるべきであり、又種々の対話の場についてそれぞれの場の性格を見極めるべきであり、更には、必要に応じた場を作るべきではないだろうか。そうして、昨年11月、8日、14日、19日の三日間、我々は京都に於てZONEという名の下に有志参加による催しを持った。第一日目をシンポジウム、第二、第三日を舞台を中心にした作品及び行為の場にあてた。アイデアの一をテーマとした第一日のシンポジウムは作家から学生運動家に至る四氏をその立場からのレポーターとして迎え、アイデア更には観念の自立性に焦点をあて、新たな行動へのきっかけたり得る共通基盤を見出そうとする試みであった。多様な立場からの多数の参加者によるシンポジウムにあっては、何らかの満足出来る結論を求めることはほとんど不可能であり、それはむしろそうした場にあって持ち得た方向づけにもとづく少人数グループによる分科会めいた対話に求めるべきである。第二及び第三日はそれぞれ作品、行為の発表の場として及びそれを支える理論の場として、表現とその背景を明らかにしようとする試みであった。こうした試みは関西に於てはほとんど初めてであり、ZONEは一つの布石なのである。(アヅマギャラリー第2号 1969年2月1日発行)

1969年1月12日−1月19日「映像は発言する!」ギャラリー16 上映作品 CINE SPEECH「イメージはあなたをかえる」(スピーチ=乾由明、撮影・構成=松本正司、8ミリ、7分) FILM(16ミリ)=ガリバー「WATCH」(20分)、龍村仁「ユーリィ、時計をごらん」(15分)、中井恒夫「仮眠の皮膚」(10分)、宮井陸郎「SHADOW」「横尾忠則ちゃんだあーいすき」 FILM(8ミリ)=石原薫「カル・ヒルム・くろにくる’68」「カル・ヒルム・くろにくる’68-6」(10分)、植村義夫「紋章」(10分)、岡本はじめ「SITUATION」(270秒)、野村久之「映画」(10分)、松本正司「CYCLE」(20分)「TRANSFORMATION」(20分)、森俊三「SLIT」(10分)、森田篤「DESTROY」(20分) CINE FASHION=「映像ファッション」(フィルム=松本正司、10分)、「白い不在」(フィルム=つかさただし、10分) POEM BY CINEMA MEDIA「映像メディアによる」(撮影=熊野恵康、スライド)、「残されたものは」(撮影=つかさただし、FILM) TV MEDIA=河口龍夫「テレビジョンメディアによる映像」(カラーTV)、小松辰男・柳沢正史「笑止」 SLIDE=大河原昇・熊野恵康 OBJECT SCREEN=榊健・野村耕・松本正司 パネル構成=熊野恵康
「イメージはあなたをかえる=乾由明」1月12日、京都のギャラリー16で「氾濫する映像→空間スクリーン→拡張映画への試み 映像は発言する!」という前衛映画発表の会が、企画・松本正司・今井祝雄・河口龍夫、主催・アートフィルムアソシエーションで開かれた。次の文章は発表会のオープニングパーティにおける国立近代美術館の乾由明氏の講演をまとめたものである。 去年のクリスマス・イブの夜、月をまわるアメリカの宇宙船アポロ8号から、テレビカメラで月の表面をとらえた模様が地上に送られてきて、世界中にナマ中継されました。間近にみる月の眺め、それも写真でもなく、刻々と動く宇宙船からみたままの情景が、そのままはじめてテレビの画面にうつし出されたのです。これはぼくたちをゾクゾクさせるほど、まったく新しい体験でした。もっともテレビにうつるアバタのような月のイメージはそれほど鮮明ではなかったし、しろうとにはそれが火口やら海やらよくわからなかったかもしれません。だがそんなことは大して問題ではありません。今、ぼくたちは三人の宇宙飛行士と同じ光景を目にし、同じ経験をしているのだという意識が、ぼくたちを興奮させたのです。ぼくたちはテレビのイメージを通じて、この人類最初の月旅行に参加し、その中に入り込み、それを一緒に体験していることを感じたのです。そのときぼくたちはたんに眼だけでなく、あらゆる感覚をはたらかしております。マクルーハン流にいえば、触覚的にイメージを味わっているのです。このような同時に五官すべてをもって参加するという体験は、従来の絵画のイメージからは到底あたえられない、新しい独自のものです。それはあなたに今までにない視野を開きます。現代のイメージは、あなたを、ぼくを、そしてぼくたちすべてを変えるのです。絵画のイメージは、かつては、なにものかの影でした。古代ギリシャで、ある娘が恋人の面影をいつまでもとどめておくために、壁の上にかれの線でなぞったのが、絵画のはじまりと伝えられているように、現実のモノや空間の姿を二次元の平面にうつしたのがイメージだったのです。それも鏡にうつる映像のように、ヴォリュームも重さもなく、手でつかむこともできない影の世界です。具体的なモノから一切の物質性をとり去って、純然たる色とかたちに還元されたイメージは、だから当然人間の眼の感覚、視覚にだけうったえます。ところがモダンアートは、イメージを実物から切りはなして、イメージ自体として独立させました。つまりイメージはなにものかの影でなく、イメージそのものとなったのです。しかしそれがもっぱら視覚によってのみとらえられるという点ではかわりはありません。今やイメージはふたたび現実の世界、具体的なモノと結びつこうとしております。けれどもそれはもはや現実の再現ではありえないのです。ジャスパー・ジョーンズの描くアメリカ国旗は旗をうつしたものではなく、ワーホールのマリリン・モンローは、彼女の写生では決してありません。しかしそうかといって、それは旗そのもの、モンロー自身でもない。それはあくまでイメージです。アメリカ国旗をイメージに化したもの、モンローをイメージに化したものであり、作者はそれをだまってひややかにぼくたちに差出します。これは丁度、テレビの画像が、実物の再現でなく、また実物そのものでもなく、実物のイメージただそれだけであるのと似ております。しかし注意していただきたい。テレビの画像は、実物との同一性と、その触覚的にぼくたちをつつみこむ強い力によって、イメージ自体がぼくたちにとって現実になるのであって、これに対しては、実物の方は影としての意味しかもたなくなります。テレビをみているぼくたちにとって、画像にあらわれた月の情景がまさに現実なのであり、実際に宇宙飛行士がみたであろう風景は、影にすぎないのです。同様に、実物との冷ややかな同一性と触覚的な効果をもつジャスパー・ジョーンズやワーホールの作品を前にしては、実際のアメリカ国旗やマリリン・モンローは、じつばファースト・ハンドの現実でなくて影の存在になるのです。イメージはこのようにして、あなたの日常の現実を、影にかえてしまうのです。イメージはあなたを変えるのです。映画もまた同じようなイメージを創造することができます。完結したプロットによる劇映画は、ある物語や人生の再現という性格をもっていました。しかしこういう物語的な一貫性を破って、日常的シーン、記録写真的なカット、こまぎれのショットなどを駆使して構成することにより、それはまさにイメージそのもの、イメージ以外のなにものでもなくなります。しかもそのイメージは、テレビ的な現実との同一性をもってぼくたちに迫り、視覚、聴覚、触覚等多くの感覚を通じてぼくたちを強くひき込みます。しかしテレビと同様、このような映画にあっては、個々のショットや場面に意味があるのではなく、そのくみ立て方、全体の構成がすなわちその映画のイメージの現実なのであり、これに対して、それがうつされた実際の風景や人間の存在は単なる材料として影にすぎないのです。ここでもイメージは日常の現実を影に化してしまいます。イメージはあなたを、ぼくを、そしてぼくたちすべてを変えるのです。(「オール関西」1969年2月号)
・ 毎日新聞 1969年1月12日「雑記帳」
・ 毎日新聞 1969年1月15日「前衛映画への期待 映像は発言するをみて 会場がスクリーン 四方八方 断片が展開、消え」
・ 京都新聞 1969年1月16日「京に全天全周映画ミニチュア版 半球体スクリーン使用」
・ 夕刊京都 1969年1月17日「今日の映像を追求 表現の可能性にいどむ 映像は発言する!」
・ 夕刊京都 1969年1月31日「試みる 初体験に終始の企画「映像は発言する!」二月には大阪興行?へ 松本正司氏 今井祝雄氏」 
・「映像は発言する展」(「視るNo.21」京都国立近代美術館ニュース 1969年2月くろにくる掲載)

1969年2月4日−2月9日「続・映像は発言する!」信濃橋画廊(大阪)上映作品 CINE SPEECH「イメージはあなたをかえる」(スピーチ=乾由明、撮影・構成=松本正司、8ミリ、7分) FILM=石原薫「カル・ヒルム・くろにくる」、植村義夫「紋章」(10分)、ガリバー「WATCH」(20分)、龍村仁「ユーリィ、時計をごらん」(15分)、中井恒夫「仮眠の皮膚」(10分)、松本正司「CYCLE69」、宮井陸郎「微分現象学」、森田篤「DESTROY」(20分)  映像ファッション(映像=熊野恵康、松本正司、宮井陸郎)=「白い不在」「人間スクリーン」「ボディスクリーン」「ルミナーファッション」「スカイドッキング」 映像メディアによる詩=「残ったものは」(撮影=つかさただし) TVメディアによる作品=小松辰男「笑止」 スライド並びにパネル構成(制作=熊野恵康) 河口龍雄「作品DARK」

1969年4月20日「立体ギャラリー射手座」開廊

1970年4月11日「ニューシネマへの期待」府立勤労会館第一会議室内「オリジナルフィルムを公開 AFAが11日に」 AFA(アート・フィルム・アソシエーション=代表松本正司)主催で、アートフィルムNO3「ニューシネマへの期待」という16ミリ、8ミリのオリジナルフィルムが公開される。4月11日(土)午後6時半から府立勤労会館第一会議場で、会員制をとり会費は一人三百円、所要時間に時間。なおアートフィルムアソシエーションはメンバー五人で、ギャラリー16=寺町三条下ル東入に事務所がある。(夕刊京都 1970年4月4日)

1970年11月14日「現代の造形・第3回 フィルム造形’70」京都新聞ホール 上映作品:第一部・芥川耿「Sand Play」(S8、5分)、石原薫「Mou178」(R8、15分)、井上貴由「透明容器」(S8、15分)、植松奎二「23、5」(R8、4分)、植村義夫「Shoot」(S8、12分)、柿田ヒサヨシ・池直人「()」(R8スライド、20分)、河口龍夫「陸と海」(S8、3分)、河口龍夫「Location」(S8、6分)、北尾和義「むれ」(S8、10分)、木村光佑「現在位置—存在」(16、6分)、倉貫徹「SCREEN TIME15?」(スライド、4分)、庄司達「風」(S8、15分)、鈴木重夫「フィクション」(スライド、5分)、立松進「“たいくつ”もしくは“無題”」(S8、4分)、寺本喜代子・藤井純子・グループBeam「BIRDS」(S8、4分)、中田誠「再現」(S8、40分) 第二部・西阪晃一「ふうせん」(S8、10分)、野村仁「Graphilm」(16、16分)、ハシモトノリコ「人」(S8、8分)、八田淳「5分間」(スライドS8、5分)、広瀬孝夫「ARO」(16、5分)、藤野澄「発汗」(S8、8分)、松沢宥「プサイの世界」(R8、10分)、松本正司「白の世界」(S8、20分)、古式汎儀式派「POLI-IMAGERAN-RITES REACTIONS FOR NOW」(R8、27分)、矢野正治「痛む肉体」(R8、20分)、山本保「half」(スライド、1分)、米津茂英「石鹼箱’70-1」(16、4分)、米津茂英「石鹼箱’70-2」(16、1分10秒)
・ 朝日新聞 1970年10月日付不明「来月、京都で発表会 神戸の彫刻家ら参加 アングラ映画」
・ 京都新聞 1970年11月2日「フィルム造形’70」
・ 京都新聞 1970年11月6日「ある論点 映像を目ざす作家たち」
・ 京都新聞 1970年11月11日「フィルム造形’70」
・ 京都新聞 1970年11月12日「映像表現で自己を発言 “フィルム造形‘70の試写から」
・ 京都新聞 1970年11月13日「フィルム造形’70 あす京都新聞ホールで」
・ 京都新聞 1970年11月15日「実験的な映像競う フィルム造形’70開く」
・ 夕刊京都 1970年11月28日「造形家による可能性“フィルム造形’70を見て 時間と空間の映像化 松本正司」
・ 「フィルム造形’70 杉村宏」(「視るNo.43」京都国立近代美術館ニュース1970年12月)

1971年1月30日「冬の夜の神々の宴」京都教育文化センター 野田真吉「冬の夜の神々の宴」(黒白37分)上映、画家山下菊二のスライド語り「幻灯で語る見えないまつり」、他
・京都新聞 1970年1月28日「冬の夜の神々の宴」

1971年10月30日31日「第4回・映像表現—17人の志向—」京都新聞ホール 上映作品:プログラムA=狗巻賢二「Undecided」(8、10分)、石原薫「M-OU」(8、20分)、古式汎儀礼派「ON COLOUR」(8、18分)、矢野正治・木下茂森「接触」(8、13分)、植松奎二「Compression-圧—態—⟨構造の関係性⟩」(8、15分)、米津茂英「フレームを行く」(8、5分)、米津茂英「パネリズム」(8、7分)、米津茂英「7枚の石鹼箱」(16、8分)、野村仁「Shoot 出来なかった時間はNo Shootingのフィルムをはさむことによってカバーできる」(16、18分)、松本文子「小さい風景」(16、10分) プログラムB=庄司達「ニュルンベルグ・シンポジオン・ヤパーニッシュチーム」(8、25分)、福岡道雄「MOTH」(8、15分)、西阪晃一「分裂と交錯」(8、7分)、平田洋一「この1分以外の全ての時間」(8、1分)、松本正司「THE GERM」(8、27分)、河口龍夫「時差」(8、5分)、河口龍夫「ある映画のプランの映画」(8、3分)、植村義夫「MOVING PICTURE」(8、18分)、柏原えつとむ「サタワル」(8、18分)、元永定正「ピチピチ」(35、10分)
・ 京都新聞 1971年10月8日「映像表現—17人の志向—30・31日京都新聞ホールで」
・ 夕刊京都 1971年10月16日「第四回現代の造形−映像表現’71 フィルムを表現媒体に 新しい映像空間を 30,31日京都新聞ホール」
・ 「アートランダム フィルムまわす造形作家たち 京都で⟨映像表現’71⟩藤慶之(「美術手帖」1972年1月)

1972年5月20日「映像による企画」京大西部講堂⟨3回映写—3:00→5;00→7:00→⟩+’72年5月20日⟨土⟩→5月21日⟨日⟩京都書院4F⟨A.M.11:00→P.M.8:00⟩/芥川耿、狗巻賢二、植松奎二、郭徳俊、香川昌久、金崎博、片岡友和、佐野芳樹、鈴木重夫、田中俊昭、田代幸俊、中村勉、野村仁、八田淳、星野高志郎、宮崎豊治、米津茂英/事務局TEL=07759・4・0783⟨鈴木⟩/入場料=100円

1972年7月20日正午〜30日「この偶然の共同イベントを事件として」「今月の焦点 雑踏のなかで心臓音ドクドク 今井祝雄、倉貫徹、村岡三郎の街頭イヴェント(?)この偶然の共同イベントを事件として」“この偶然の共同イヴェントを事件として”時:1972年7月20日正午〜30日(午前九時〜深夜一時まで) 所:大阪市南区道頓堀(御堂筋内)「コンドル」およびその一帯 構成:店内=テープレコーダー三台(エンドレス・テープ)、ウィンドー=オシロスコープ三台、屋上広告塔=トランペット・スピーカー三台 心臓音録音=阪大病院 協力=谷口一雄 ※三十日夕、街頭にてその状況を録音(街の騒音と心臓音はほぼ同ホーンである) 共同行為者=今井祝雄、倉貫徹、村岡三郎(詳細は「美術手帖」1972年10月 pp.12-13)

1972年 「第5回・現代の造型⟨映像表現’72⟩」10月14日−19日 もの・場・時間・空間—Equivalent Cinema(京都市美術館)出品作家=石原薫、今井祝雄、植松奎二、植村義夫、柏原えつとむ、河口龍夫、庄司達、長沢英俊、野村仁、彦坂尚嘉、松本正司、宮川憲明、村岡三郎、山中信夫、山本圭吾、米津茂英  12月16日—18日 FILM NOW 3日間の映画(京都商工会議所)上映作品=ジョンとヨーコ「ふたりのけがれなきもの」(19分)、ジョンとヨーコ「スマイル(微笑)」(52分)、アルト・タンベリーニ「ブラック・TV」(10分)、スタン・ヴァンダービーク「ブレスデス」(15分)、W.B.ハイン「ラフなフィルム」(22分)、クルト・クレン「いい奴」(3分)、荒川修作「WHY NOT」(90分)、現代の造形実行委員会「Equivalent Cinema」(30分)、安藤紘平「オーマイ・マザー」(5分)、ふじいせいいち「タッチ・ミー」(13分)、ふじいせいいち「マザー・ファーム」(14分)、松本俊夫「エクスタシス」、松本俊夫「メタスティシス(新陳代謝)」(9分)、松本俊夫「オートノミイ(自律性)」(12分)、松本俊夫「エキスパンション(拡張)」(14分)
・ 京都新聞 1972年10月6日「映像の新しい試み 映像表現’72もの場空間」
・ 京都新聞 1972年10月13日「版映像表現の志向 映像表現’72によせて 中原佑介」
・京都新聞 1972年10月14日「映像表現’72もの・場・時間・空間展」
・ 京都新聞 1972年10月15日「頭ひねって腕ぐ身して 映像表現’72展ひらく」
・ 京都新聞 1972年10月17日「これが新しい映像の行くえ FILM NOW映画会」
・ 「特集 フィルムとヴィデオ 認識から表現へ−時間と空間の関係構造とは? 辻勝之 《映像表現’72—もの・場・時間・空間》を取材して・・・」(「美術手帖1972年12月」
・ 「展評」(美術手帖 1972年12月)

1973年5月5日「KYOTO CINEMATEQUE-No.1」ほんやら洞2Fギャラリー 京都における個人の映像作家を集め、発表の場として京都映像センターを設立しました、との便り。8ミリ、16ミリやスチールなどで実験、芸術、ドキュメント、アニメに手を伸ばすという。基地は上京区寺町今出川西入ルのほんやら洞二階ギャラリー。その第一回上映会「KYOTO CINEMATEQUE- NO.1」を5月5日正午、午後4時、午後7時の3回。出品作家は相原信洋、楠秀男、久木一直ほか。200円。(京都新聞 1973年4月24日)

1973年8月10日—8月19日 1973京都ビエンナーレ 「開催にあたって」⟨1973京都ビエンナーレ⟩を開催いたします。これは現代美術の育成をはかってこれまで開催してきた⟨京都アンデパンダン⟩に対して、常にその中心柱となっているフロティア精神に富む実験的な仕事や、時流に対して敏感な反応を示し、進取の観念と先鋭的な感覚によって試みられる美術活動を、いま一歩積極的に推進することをはかって設けられたもので今回は第2回展になります。趣意は、新しい美術が今後歩むであろういくつかの道程を予想し、注目すべき、また期待すべき具体的な活動を評価し、その作家たちを招待して次代の美術の一旗手たるべく世に問うというところにあります。彼らの美術活動が、なおかかる美術行政というものを必要とするかどうかの論議はあるとしても、それはむしろ⟨美術⟩のなりゆきの中で決定されることでしょう。今日の美術の状況に照して、美術館自体がかかる新しい美術活動の推進と支持に積極的な見解を示すことによって一人でも多くの新しい文化の担い手を世に送る機会が得られれば意義ある企画だと考えます。⟨1973京都ビエンナーレ⟩は昨今一つの動きとして注目される「集団による美術」を企画しました。これは確々の美術団体や単なる共同制作による美術を意味するものではなく、いくつかの新しい課題に対して接近・離合をくり返す一時的な集団による美術です。本展は6つの集団によって構成されますが、それぞれに⟨現代美術⟩が当面していることがらの複雑さと難かしさを具体的に示しつつ、今後美術はいかなる機能を担うかが質されるはずです。大方のご清艦をお願いします。昭和48年8月(パンフレット冒頭コメント)
出品者:
・五人組写真編集委員会+5:池田昇一、伊藤久、鈴木完侍、雅子+尚嘉、矢野直一、稲憲一郎、高見沢文雄、堀浩哉、矢田卓、渡辺哲也
・ Equivalent Cinema:石原薫、今井祝雄、植松奎二、植村義夫、松本正司、宮川憲明、村岡三郎、山中信夫、山本圭吾
・ 「知ってる人+知ってる人+知ってる人」狗巻賢二、梅本建夫、榎倉康二、金崎博、川西祐子、鈴木重夫、高山登、田中俊昭、内藤晴久、長重之、中村勉、野村仁、八田淳、八田慶子、羽生真、藤井博、星野高志郎、宮崎豊治、村田千秋、米津茂英
・ ニルヴァナ資料集積—究極表現研究所:虚空間状況探知センター、古式汎儀礼派、護摩工房、最終世界センター、サイバネティクス・ニルヴァナ意識体、死型工房、白い時の会、退化宴、第四間氷期綜合気体研究所、念る三昧窟院、NOSE研究所、星兵衛、パーリニバーナ・パーリヤーヤ、魔体工房、リリパット王国
・ JAPAN KOBE ZERO:榎忠、荻野雅至、坂上陽子、重浦直巳、高橋春男、玉越信樹、中井敏夫、中之英子、西尾敬子、古川清、前田正伸、森反伸一郎、山田真紀子、山田義規
・ THE PLAY:池水慶一、鈴木芳伸、三喜徹雄、水野達雄、福永登代子+中田和成、ヒゲ・ニシモト、福永洋、三喜俊郎、水野正敏、村田肇一、山下住雄、ヨシオカ・シゲオ、田村博文、大塚裕三

1973年9月8日—9月14日「第6回・現代の造形⟨映像表現’73⟩—写真・フィルム・ビデオ—」京都市美術館 出品作家=石原薫、今井祝雄、植松奎二、河口龍夫、川村悦郎、北辻良央、楠秀男、庄司達、杉岡雄二、高沢志郎、高橋雅之、高見澤文雄、中谷芙二子、野村仁、橋本清孝、八田淳、福岡道雄、雅子+尚嘉、町野親生、松本正司、宮川憲明、宮崎豊治、村岡三郎、山中信夫、山本圭吾、米津茂英
・ 夕刊京都 1973年9月8日「現代美術の動向を探る 表現の可能性を追求 先鋭作家27人の力作 “現代造形”第6回展 映像表現’73」
・京都新聞 1973年9月14日「映像表現’73に寄せて」平野重光

1973年8月20日1973年10月8日—17日「オープニング展 映像と影像—フィルム・コミュニケーション」「影像に挑む作家たち アートコアでオープニング展」映像(フィルム)というメディアを使って、新しいイメージを展開しようという風潮が、若い美術作家の間で目立っている。従来の映画作家とも、写真作家とも異なる視点からフィルムにかかわり、ユニークな訴えかけをする作家も少なくない。もちろん、万博のマルチスクリーンに象徴される、機械力に依存した姿勢ではなく、逆にコンセプト・アート(観念芸術)の延長とも受けとれる。寺町三条下ルにお目見えしたアートコアでは、きたる17日までオープニング展「映像と影像—フィルム・コミュニケーション」を開いている。関西在住の美術作家14人が参加。8ミリフィルムやスライド、ビデオなどに楽しい試みをみせる。さまざまな日常的な光景のフィルムを断片的につなぎ合わせて、つかみどころのない現代をイメージ化した野村仁、美しい人工の虹をプリズムで作りだした植村義夫、観客に数種類のポジフィルムを自由に組み合わせて“風景のモンタージュ”を楽しめる・・・という楠秀男、線路を走り抜ける列車を2台のスライドによる時間差で追う沢居曜子、同一行為を三方からフィルムに収めて同一平面に投影する松本正司、さらには実物投影機を使って、セロテープの実物と影像をからませた村岡三郎、エンドレスのフィルムの効果で世界一周でもしそうな線路をうつす町野親生・・ともに“だまし精神”のあらわれか、女の顔をスライドで点滅させる石原薫の試みは動画の原理を提示したといえる。(藤)(京都新聞 1973年10月12日)
「反射鏡 フィルムコミュニケーションを主催する 松本正司さん(42)」−フィルムコミュニケーションのねらいは? 松本—世の中が、何でも細分化されて、共通の場というものが少ない。しかし、芸術を中心にすると、各方面の結びつきが比較的容易だと思う。その起爆剤に、情報性があり、マスでもミニでも伝達できる映像をやってみようというわけだ。 −共通の場を求めるなら、映像の出し放しではいけないだろう。 松本—だから、映像を見た人が、映像の中にはいったり、映像の出し手になるような“呼びかけ”の努力が必要だ。そんなことから、芸術が日常的になることを願っている。 −現在の映像芸術というわれるものは、わかりにくいといわれるが・・・。 松本—映像は必ずしも、物語を理解するといった理解のし方だけではないと思う。無心に見て、楽しいものが多い。(朝日新聞 1973年10月12日)
 ・「第六回現代の造形⟨映像表現’73⟩高橋亨(「美術手帖」1973年11月)
 ・「展評 平野重光」(「美術手帖」1973年11月)

1973年12月6日—12月12日「アート・コア・フィルム・トリップ」 アートコアでは、12日まで関西作家による映像展「アート・コア・フィルム・トリップ」を開いている。7日は植村義夫、松本正司、三木峰行、8・9両日は野村仁、松本文子、元永定正、11日12日両日は河口竜夫、柏原えつとむ、村岡三郎、米津茂英。毎日午後3時、6時の2回上映。有料(京都新聞 1973年12月7日)
「私にも写せます」と、映像作  の芸術家が、手づくりで制作した映像作品の「フィルム・トリップ」が6日から12日まで、中京区寺町三条下ルのアートコア・ホールで上映される。同ホールを経営する京極の映像作家松本正司さん(41)が企画し  ので、植村義夫、松本正司、三木峰行(6、7日)野村仁、松本文子、元永定正(8,9日)柏原えつとむ、河口龍夫、村岡三郎、米津茂英(11、12日)の順に公開される。(毎日午後3時と6時の2回)。フィルムは8ミリと16ミリの二種類。黒白あり、カラーあり。“映像作家”と呼ばれるのは松本正司さnくらいのものだが、みんな自由な発想で、それぞれの芸術指向を映像で表現している。植村さん(版画)の「ムービング・ピクチュア」は東西の“なつかしの名画”をバラバラにしてつないだもので、チャップリンから丹下左膳まで登場する。洋画家、元永さんは、35ミリの無地フィルムを買って来て一コマ一コマ、カラーで手描きのアニメーションを作り、それを16ミリに縮小した。一秒間二十四もの。観念アートの野村さんも、大阪への通勤の途中をカットでつなぎ、現代人の置かれている状況を描く。柏原、河口、米津さんら観念的指向の強い作家は、それぞれの手法で映像に取り組み、特に柏原さんの「サタワル」は、南洋の島で採集した土俗的な音を使った意欲作。前売券は200円、当日300円。京都書院、ギャラリー16、ギャラリー射手座などで扱っている。(毎日新聞 1973年12月5日)

1974年8月6日—8月11日「ビデオ・コミュニケーション」「ビデオ・コミュニケ—ション」松本正司、米津茂英ら8人が、ビデオで撮影した作品を数台のテレビで写す。(新聞不明 1974年8月2日
「映像を追う作家たち」8人の映像作家が「ビデオ・コミュニケーション」なる企画展を開いている。彼らは、ビデオという現代のメカニズムを使いながら、メカニズム文化から遠ざかるような試みを続ける。たとえば岩越園子はテレビのメロドラマやニュース、歌謡ショーやコマーシャルなどのショットをビデオ撮りして放映し、もう1台のテレビにそれぞれの部分のセリフを文字になおして同時放映する、という一種の紙芝居化。松本正司はビデオ・カメラを手にぶらさげて街中を一周し、さかさ撮りした“無意識のフィルム”を放映している。山本圭吾は白布の中に身体を埋め、その動きを通して布地と自己との関係を確認しようとし、植村義夫は極端にクローズアップ撮影した肉体の各部分に異様な風景を想念させる。ほかに米津茂英、福田幸三、三宅章介、小林伸雄。一見、しらけたような行為の中に、現代作家たちが何を志向し、コンセプチュアル(観念的)な試みを何とか映像媒体に託そうと苦心している跡がみえる企画展ではある。(潤)(京都新聞 1974年8月10日)
「ガイド ビデオで再現し鑑賞者と対話を 映像作家がコミュニケーション展を開く」ビデオフィルムで、それぞれのイメージを再現、鑑賞者との対話を試みよう−と関西に住む八人の若手映像作家が11日まで、中京区新京極三条下ル、アート・コア・ホールで「ビデオ・コミュニケーション」展を開いている。京都の松本正司、植村義夫、福田幸三、米津茂英、大阪の小林伸雄、三宅章介、兵庫の岩越園子、福井の山本圭吾さんの8人で、それぞれ15分から20分の作品を5台のテレビを使って順番に上映している。松本さんはアート・コア・ホールを中心に上映時間いっぱいの二十分間、新京極や河原町通をカメラを担いで歩き回り、街角の出来事を写し出し、映像の合間に単純な言葉をそう入、画面と言葉の結合を試みている。また、植村さんは自分の体の部分をクローズアップレンズで大写しするなど、各作家がユニークな作品を出展している。(各作家がユニークな作品を出している「ビデオ・コミュニケーション」展 京のアートコアホールで)(新聞不明 1974年8月日付不明)

1974年10月22日—11月24日「第7回現代の造形《映像表現’74》FILM, CINEMA, VIDEO」 10月22日—10月27日 第一次(A)FILM=秋山節子「shadowgraph」、芥川耿、池田光恵「A Presentiment」、金沢孝「TVメディア」、国島征二「1:100」、高見沢文雄「Number of Sheep that got over the Fence」、田島簾仁「草案128実践101」、田中正、松本正司「0時」、宮川憲明、渡辺哲也「FIXED EYES」 10月29日—11月3日 第一次(B)FILM=岩越園子「あ……  ……ん」、植村義夫「ズーミング(スペース)」、金崎博、河口龍夫「see saw seen」、木村浩、楠秀男「THE LANDSCAPE」、福田幸三「refrain」、三宅章介「CAN-a.b.c.d.e」、村上姓子、森口宏一「かさなり」 11月5日—11月10日 第二次 (A)CINEMA=足立幸久「手中及びあり」(20分)、池村清治(20分)、植松奎二「分節態—articulation-行為」(15分)、岡田潔、北辻良央「作品」(正式タイトル「WALTS・RUMBA・CHA-CHA-CHA」)、斎藤智「無題」、庄司達「フレームについて」(9分)、重藤静美「情念そして執念」(10分)、杉岡雄二「インサイド」(6分)、高橋雅之「つづれ織り」(30分)、高嶺剛「SASHIN GUMA」、田中俊昭(15分)、辻本隆「三つの平行線」(15分)、真板雅文「人間・人間・人間」(10分)、松本正司「0時」(10分)、三木峯行「映画論」(20分)、村岡三郎「映像NO.12」、米津茂英(15分) 11月12日—11月17日第2次 (B)CINEMA=阿部雄二(若プロ)「青少年のための非行術入門」(15分)、石川裕、大崎保利「ウソツキ・メフィスト」(15分)、郭徳俊「what time」(3分)、小林はくどう、菅木志雄「1」Fieldlogy 2)Dependence 3)There!(are)」、高橋忠和「ミュールホール」(15分)、武田義秋「SPECTRA」(10分)、豊原正智「Landscape」(7分)、中井恒夫「ALEXIR錬金薬液」、早藤洋「RECEPTOR」(12分)、保泉誠一「君は今」(10分)、松本栄造「病楝」(15分)、水上旬「game-shadow-C」、水野哲雄「⟨ROOM⟩シリーズ」(10分)、宮崎豊治「風景画」(9分)、渡辺哲也「WALLSEA」(11分)、和田守弘「アプリカシオン」(15分) 11月19日—11月24日第3次VIDEO=今井祝雄「BRAUN TUBE」(20分)、片岡友和「TIME」(20分)、川村悦郎「Lesson 1」(30分)、小林はくどう、沢居曜子「無題」、宗京真由美「RHYTM」(5分)、中井恒夫「Plastic Video」、中町薫「提言」(20分)、中谷芙二子「FOG OVER KNAVELSKR」(20分)、西川幸枝「relation」(10分)、野村仁「phono simuration」、松本正司「0時」(20分)、山口勝弘「VIDEO EXERCISE No.2 対位法」(30分)、山本圭吾「1974No.13」、渡辺哲也「記録CLIMAX・・・No.2」
・ 京都新聞 1974年10月19日「映像表現’74 吉田謙三」
・ 京都新聞 1974年10月22日「新しい現代感覚追う 映像表現74がオープン」
・ 京都新聞 1974年10月26日「共通した手仕事の発想 新しい試み 映像表現’74」
・ 京都新聞 1974年11月2日「映像表現’74 第二陣」
・ 京都新聞 1974年11月9日「映像表現74 第三陣」
・ 京都新聞 1974年11月16日「映像表現’74 第四陣」
・ 京都新聞 1974年11月23日「映像表現’74 第五陣」
・ 「展覧会 索漠たる状況に相変わらず・・・第七回現代の造形⟨映像表現’74⟩高橋亨(「美術手帖」1975年1月)

1975年4月1日—4月13日「ART AND VIDEO」出品者=今井祝雄、植村義夫、河口龍夫、野村仁、松本正司、村岡三郎、山本圭吾、米津茂英「「ビデオ」と「アート」に関する15章 峯村敏明」1−ビデオのシステム全体は、メディアとして、絵画と同列ではない。 2−ビデオに絵画と同列なものを求めるなら、それはテープ(映像作品)である。 3−ビデオと映像作品の関係は、床の間と掛軸(絵画)のそれと同じである。ビデオも床の間も、容れものの容れものである。 4−床の間全体が芸術的事象でありうるのは、掛軸が芸術作品だからではない。 5−ビデオが芸術的事象たりうるのも、芸術作品としてのテープのせいではあるまい。 6−「掛軸—床の間」の関係(「中身−容れもの」のそれ)を1段階格上げすると、「床の間—X」の関係が生まれ、床の間自体が芸術的事象と化する。そのとき、Xとは何か。 7—Xとは、床の間つきの座敷における、総体的知覚体験の場としての空間構造である。当世風に、エンヴァイラメントと呼んでも、同じことである。 8−「6」と同様の操作を「映像作品—ビデオ」の関係に施すと、「ビデオ—Y」の関係が生じ、ビデオ・システム全体が芸術的事象と化する。そのとき、Yとは何か。 9−掛軸—床の間—座敷空間。 10—テープ—ビデオ—Y。 11—床の間の発明は、掛軸(絵画)と別種の芸術現象を「床の間−座敷空間」の間に構造化した。 12−ビデオの新たな利用は、テープ(映像作品)と別種の芸術現象の   Yの間に構造化する、かも知れない。 13—Yに求めることは、映像作品と別種の芸術現象の構造を求めるに等しい。 14—Yとは何か(空間構造ではなく)。 15—ビデオにおけるアートとは何か。
「アートアンドビデオ」ビデオもまた、現代作家にとっては興味をそそる表現媒体の一つなのだろう。近年、ビデオにかかわる作家たちがふえている。今回の企画には関西在住作家を中心に8人が「ビデオにおけるアートとは何か?」に挑んでいる。河口龍夫と村岡三郎の二人が「青と赤のイベント」という興味深い共同作品を発表した。四角な二つの箱を、二人が同時に赤と青で塗りつぶし、さらに赤の上に青、青の上に赤・・・と塗り続けるだけの行為だが、2台のテレビに映る色塗り行為の映像を見ていると、同時性のおもしろさがストレートに伝わってくる。松本正司「手には手を」は、さまざまな手の動きをビデオで流し、テレビの画面に貼った透明ビニール板上へマジックで輪郭なぞりを続ける・・・それをまた別のカメラで撮り再生する、という仕掛け。今井祝雄「ビデオ・スナップ」もテレビの番組をポラロイド・カメラで撮り、1枚ずつ画面に貼って画面を埋めつくす。二人とも一つの映像の中に別次元の映像を導入して、一種のゆらぎを与えようと試みる。植村義夫はビデオ撮りした風景をテレビに流し、その画面を次ぎつぎビデオ・コピーしていくと、はじめの風景とは似ても似つかぬ映像と音に変貌していく過程を見せる。このほか野村仁は自ら女装して迫真?の演技を見せ、米津茂英は家の中の小道具を少しずつ手で動かしていく行為。(山本圭吾は初日上映されず)。ビデオのシステムを駆使しているが、素朴な“手”と機械の関係を改めて見直そうという傾向が全体に流れているようだ。(F)(京都新聞 1975年4月5日)

1975年4月5日「峯村敏明ゼミ」6時—8時

1975年9月24日—9月30日「第8回現代の造形 喜怒哀楽 現代美術50人展」大丸京都店6階 恒例の“現代の造形”シリーズとして、各地で活躍を続ける50人の先鋭作家が「喜怒哀楽」をテーマに、絵画、彫刻、陶芸、染色、ビデオなどさまざまな芸術表現を通して、人間感情の手から心への伝達を試みる「現代美術50人展」を開催します。(リリースより) 出品作家:青山光佑、麻田脩二、井田照一、今井祝雄、榎倉康二、小名木陽一、かわなかのぶひろ、川村悦郎、木村光佑、木村秀樹、清水九兵衛、国島征二、久保田重雄、鯉江良二、小清水漸、小林はくどう、斎藤智、佐藤敏、沢居曜子、島州一、庄司達、関根勢之助、高橋政之、田島征彦、中辻悦子、中野光雄、野島二郎、野村耕、林剛、福岡道雄、福田繁雄、堀尾貞治、舞原克典、松本正司、松本文子、三尾公三、三島喜美代、宮川義明、宮崎豊治、村岡三郎、村田千秋、元永定正、森口宏一、山口勝弘、山本圭吾、山本哲三、吉田克朗、米津茂英 

 1975年9月29日正午〜 午後5時〜「映像表現’75喜怒哀楽」京都教育文化センター 上映作品=池田光恵「TONNERU O NUKERUTO」(8ミリ、エンドレス)、出光真子「YUKIGAYA2」(16ミリモノクロ、10分)、植村義夫「部屋を横切る虹No.2」(8ミリカラー、15分)、楠秀男「TheLANDSCAPES”ILLUSTRATION”」(8ミリカラー、3分)、高林陽一「怒りの時」(16ミリ、12分)、高嶺剛「サシングワー・ワーウィム」(8ミリカラー、20分)、つかさただし「面」(スライド他、8分)、寺山修司「迷宮譚+疱瘡譚」(16ミリカラー、モノクロ、50分)、中井恒夫「PLASTIC」(16ミリカラー、32分)、萩原朔美「WIND(風)」(8ミリカラー、6分)、原将人「見晴らせない見晴台の夢—富士山特急序」(8ミリカラー、20分)、藤井誠一「FLY ME TOTHEMOON」(16ミリカラー、20分)、真板雅文「人間・牛・犬」(スライド、モノクロ、20分)、松本俊夫「TMAN(アートマン)」(16ミリカラー、11分)シンポジウム:パネラーは梅原猛、勝国興、八木一夫、小清水漸(司会・吉田謙三)
・ 京都新聞 1975年9月20日「現代の造形 喜怒哀楽現代美術50人展」
・ 京都新聞 1975年9月20日「人間の情念にスポットを・・・24日から京都で」
・ 京都新聞 1975年9月20日「生きているものの本音を 現代の造形⟨喜怒哀楽⟩に寄せて」(吉田謙三・同展企画協力委員)
・ 京都新聞 1975年9月27日「現代美術50人展 現代の造形⟨喜怒哀楽⟩隠された情念を伝える」
・ 「展評」(「美術手帖」1975年12月)

 1976年10月23日「第9回現代の造形⟨映像表現’76⟩KBSレーザリアム 上映作品=A.カウフマン,C.ハニガン「宇宙の彼方で」(レーザー、4分)、京都芸大「9月21日の朝食」(スライド、8ミリ、10分)、大阪芸大「EXTENTION2X2」(8ミリ、8分)、京都工繊大「EXCCENTRICITY—離心あるいは偏心」(8ミリ、7,5分)、池田光恵「A SUBWAY」(8ミリ、5分)、今井祝雄「8分の6拍子(PART 1)」(音のみ、5分)、植村義夫「コマ」(8ミリ、5分)、遠藤正「THE REVOLUTION」(スライド、16ミリ、5分)、松本俊夫「UTERUS(子宮)」(スライド、16ミリ)、寺山修司「ドーム空間でのことば」(9,5分)、かわなかのぶひろ「タウンスケープ(4)」(16ミリ、9、5分)、楠秀男「THE LANDSCAPE」(オーバーヘッドプロジェクター、8分)、田名網敬一「私は映画だ」(16ミリ、6分)、田中正「WORKS」(スライド、5分)、松本正司「時間のなかの時間⟨永遠の今⟩」(スライド、8ミリ)、元永定正「U.F.O/からとびでたものは…..」(スライド、7分)、 A.カウフマン,C.ハニガン「光年、根本原子、スクエアダンス、変光生」(レーザー、30分)
・ 京都新聞 1976年10月? 「現代の造形 第9回展 映像表現76」
・ 京都新聞 1976年10月23日「全国の作家が光のドラマ 第9回現代の造形「映像表現’76」きょうKBSレーザリアムで」

1977年7月5日—7月10日「映像’77⟨響く絵と動く音⟩」「自画像」「版」などと並ぶ画廊企画のシリーズ展で、第一弾の今週は岩越園子、田中正、吉田孝光の三人が八ミリフィルムの作品を上映。岩越は電光掲示板の光の動きとピアノの音でファンタジックな情感を刺激。田中はフィルムと音声のズレをねらったインタビューの映像。吉田はゲームセンターの映像をベースに、新しい映像を制作。(京都新聞 1977年7月9日)

1977年7月12日—7月17日「映像’77 No.2」池田光恵「長方形の回転」、植村義夫「GAP」、吉岡敏夫「White noise」いずれも八ミリによる映像作品

1977年8月15日—8月21日「映像77 No.3」「ガイド」「時間風景」をテーマに六人の若手がビデオや写真で、映像の中に時間の経過やズレ、虚実のかかわりなどを追っている。メンバーは太田圭子、岡村久之、黒田佳久、佐藤由子、重実武央、西川美有紀(京都新聞 1977年8月20日)

 1977年8月27日—9月25日「現代美術の鳥瞰展」京都国立近代美術館「現代美術の鳥瞰展」⟨明日を探る作家たち⟩をサブタイトルんした「現代美術の鳥瞰展」(京都国立近代美術館、京都新聞社共催)が、きょう27日から9月25日まで左京区岡崎の京都国立近代美術館で開かれる。近年活発な制作活動を続ける中堅から若手までの現代作家30人による作品を一堂に集め展示する。出品作品も、絵画、版画、デザイン、彫刻、前衛陶芸、映像など現代美術の多様性を反映してバラエティーに富む。(月曜休館、有料)出品作家一覧=井田照一(京都)「Surface is the Between」シリーズより(版画)、伊藤隆道(東京)「回転するスパイラル」ほか(彫刻)、植村義夫(京都)「Burn」(映像)、大林義満(京都)「石彫」シリーズ(彫刻)、金子潤(愛知)「無題」(陶彫)、木村秀樹(京都)「ペン立て、スリガラス、セロテープ」シリーズほか(版画)、黒崎彰(京都)「Summer Dream」シリーズほか(版画)、鯉江良二(愛知)「証言」(陶土)、小林はくどう(東京)「FLY SCAN」ほか(映像)、斉藤智(神戸)「無題」(写真)、佐藤敏(京都)「モナ・リザ」ほか(陶彫)、島州一(横浜)「窓にテープ」ほか(写真ほか)、庄司達(名古屋)「写真の中の赤い布」(フォトモンタージュ)、富樫実(京都)「空にかける階段」シリーズ(彫刻)、西村陽平(千葉)「独逸浪漫主義—修道士Fran ahks Shiraishi に捧ぐ」、荻原朔美(東京)「A・Z」シリーズ(版画)、橋本幸志(京都)「作品」(絵画)、橋本文良(京都)「Thing to Do and Collect」シリーズ(版画)、福田繁雄(東京)「Cooper-Hewitt Museum」シリーズ(デザイン)、真板雅文(神奈川)「明暗」ほか(写真)、舞原克典(滋賀)「残された風光への憧憬—岡崎公園の日曜日—」(版画オブジェ)、松井憲作(神戸)「絵画弾」シリーズ(絵画)、松本正司(京都)「時間のなかの時間」シリーズ(映像)、松本文子(京都)「少女はバックミラーにむかって髪にクシをいれ」ほか(絵画)、宮川憲明(西宮)「Space Expand」(立体)、宮崎豊治(神戸)「狭視界工作」シリーズ(立体)、山口勝弘(東京)「COPY CIRCULATION – Experiment of Imaginarium-」(映像)、山口牧生(西宮)「作品」(彫刻)、山本圭吾(福井)「VIDEO PERFORMANCR-HAND-」(映像)、横尾忠則(東京)「永平寺」ほか(ポスター)(京都新聞 1977年8月27日)
「現代美術の鳥瞰 快い知的なおどろき 考えさせる作品群」1960年代が現代美術の“活火山期”だとすれば、万国博を堺にした1970年代は、“休火山”だといわれる。あれほど熱っぽいエネルギーを爆発させたことがまるでウソのように、急速にしぼみ始め、冷えきってしまった・・・というのだ。が、果たして現代美術はエネルギーを失い、冷えきってしまったのだろうか。現代作家30人を集めて開かれている「現代美術の鳥瞰」展を見ながら、この問題を考えてみた。従来のアートが、どちらかと言えば「味わう」対象であるのに対し、昨今のそれは明らかに「考えさせられる」対象といえそうだ。たとえば井田照一「Paper on the floor」—。題名通り、板張りの床一面に墨を塗り、その上へ和紙を置いて“拓本”どりした作品だ。一見、ただそれだけのことのようにも見えるが、板の墨を映しとった紙の部分は裏に隠され、表に展示されたのは転写の裏側になっているため、われわれは板張りの床と髪との“間”を快く実感することができる。従来のアートは、このように日常的な“モノとモノとの関係”自体を思考の対象にはしなかった。日常的なモノや状況を素材にしながら、快い知的なおどろきを写してくれるタイプは井田のほかにもいる。スリガラス越しに見え隠れする三角定規や、ペン立ての映像を通して、不思議な空間概念を触発させる木村秀樹の版画群。“写真の中の写真”というテクニックを新鮮に生かして、同じように不思議な空間を創造する斉藤智の写真作品。さらには立体作家の中にも、二つの石コロや石と木枝を石コウで結びつける宮崎豊治、立体物の“中身と外見”の問題を追求する山口牧生、大がかりな“ガラスとロープ”の装置に緊張感を託す宮川憲明などのように、考えさすタイプが少なくない。失われた知的ユーモアを与えてくれる作家も目立つ。動力でゆるやかに回転するラセン状の立体にコケティッシュな有機的表情を与える伊藤隆道、豊かに波うつ木彫造形を見せる富樫実、さらには美術館の正面図をさまざまに組み替えて楽しませる福田繁雄・・・。それぞれに日常的視覚にゆらぎを与えてくれる。ごくありふれた観光絵はがき風の写真に小細工を施して夢をふくらませてくれる庄司達のフォト・モンタージュや。鑑賞者を参加させる“遊び”を通して時間のズレを考えさす山本圭吾のビデオ装置も知的ユーモアも伴う。ビデオといえば小林はくどう、松本正司、山口勝弘らの映像表現も考えさせる要素をふんだんに持っている。情念の世界をクールな時代にふさわしい取り組み方で追求する作家もいる。黒崎彰の多色刷版画は隠されたエロチシズムが漂い、横尾忠則のポスターには密教的な情念が息づいている。前衛陶彫の三人—佐藤敏、鯉江良二、金子潤—の型破りな土とのかかわりも注目されるが、なかでも佐藤は表現主義的な激しさを土の中に焼きつけていて、どことなく血のにおいを感じる。このようにみてくると、現代美術は必ずしも白けきっているわけではないことに気づく。“深淵”をのぞき見てしまったあとの表現様態が、まだのぞき見なかった時のそれと違っているのは当然だろう。もちろん現代美術が、むずかしい世界へ入り込んでいることだけは間違いない。(藤)(京都新聞 1977年9月3日)

 1977年10月15日「現代の造形 映像表現’77 FILM—時間の風景」京都府立文化芸術会館 上映作品=阿部憲治「ウェーブ」(8ミリ、スライド、15分)、北見篤志・石倉康夫・村松秀美「ドクメンタ」(8ミリ、5分)、小西一也・小林正紀「時間の風景」(8ミリ、4分)、遠藤正「パンク・パンク・パンク」(16ミリ、6分)、今井祝雄「阿倍野筋」(8ミリ、20分)、かわなかのぶひろ「タウンスケープ8」(16ミリ、10分)、池田光恵「MOTION」(8ミリ、10分)、岩越園子「物文字せずに見てね」(8ミリ、5分)、植村義夫(8ミリ、10分)、中井恒夫「PHOTO LINE CONTEXT」(スライド、7分)、豊原正智「XPONT クロノス」(8ミリ、7分)、荻原朔美「リプリント」(16ミリ、13分)、田名網敬一「ジキルとハイド」(16ミリ、13分)、松本俊夫「BLACK HOLE」(16ミリ、3分)
・ 京都新聞 1977年10月8日「16ミリなど“時間の風景”競映 現代の造形−映像表現’77 15日、京都府立文化芸術会館で」
・ 京都新聞 1977年10月15日「“薄膜”に戯れ・・・「映像表現’77」の開催にあたって」

1978年1月?日—1月15日「映像展」アートコア・ギャラリー「ガイド」14日は午後5時、15日は午後1時、3時、5時の上映。多田正俊のフィルムと赤松雅信、大沢利夫の現代音楽。(京都新聞 1978年1月14日)

1978年1月24日—1月29日「現代美術78シリーズ」「評F&T シリーズの画廊企画」低経済成長の暗たんとしたムードが美術の思潮にまで深い陰影を投じているのか、いまひとつ燃え上がりを欠く京都美術界。そんな中で、なんとか現代の断面を露呈しようという画廊企画が今年も展開されることになった。台頭しつつある現代美術の若いエネルギーに焦点をあてるか、あるいは安定したOBにアンコールの拍手を送るか、まだ流動的な面もあるが、その渦中に身をていしてかかわって行く画廊の姿勢は、やはり貴重な存在の一つといえる。「現代美術78シリーズ」第一弾の今週は京都、大阪在住の三人によるビデオ・アート展が開かれている。まず、郭徳俊は映像への素朴なかかわりを見せた。8ミリ映画だろうか。スクリーンに上映される“じゃんけん”する人物に挑戦する。映像に合わせ、真剣に対戦すればするほど身勝手?な映像と作家のチグハグな動きのズレがおかしく、映像そのものに規則された行為の連続は遂に悲しい。悲しいといえば、今井祝雄のパーフォーマンスも同様だ。ビデオのテープにグルグル巻きにされ、徐々に“かかし”のように変容して行く自画像が、古き良き時代の映画を想起させた。ともに、自らピエロの役目を演じながら単なるお笑いに終わっていない。また、植村義夫はのぞきからくりの装置で映像の“ステレオ効果”を見せる。人間の視覚による認識の構造が具体的にわかる試みだ。いずれも、エスプリがあったり原初的な映像の問題提起で、映像に真正面から取り組んだものではなさそうだが、ちょっとこぶしの効いた作品。(京都新聞 1978年1月28日)

1978年10月7日「京都国際映画展’78京都/カナダ」京都府立文化芸術会館 上映作品=ビデオ(カナダ):キャリー・バーティグ「ティム・ポーターの肖像」(15分)、ドン・ドルイック「燃え尽きた地図」(1978)、ゲリー・ギルバート「この街」(1978年、23分)、ノエル・ハーディング「牧歌的な休息を想わせるのどやかなコンポジション」(17分50秒)、ゲン・クラモト「都市の一コマ」(1978年、3分32秒)、ゲン・クラモト「敬い」(1978年、17分54秒)、スージー・レーク「自然に描くには」(20分)、テリー・マクグレード「走るにまかせて」(1975年、12分)、ロドニー・ワーデン「ダンス」(1978年、9分)、ポール・ウォン「60ユニット;打撲傷」(1976年、3分)、ポール・ウォン「赤・緑・黒」(1976年、3分)、ジェーン・ライト「エレクトリック・サンセット」(20分) ビデオ(日本):今井祝雄「ピンナップ」(1978年、20分)、郭徳俊「自画像」(1978年、14分)、黒崎彰「夏の夢」(7分)、佐藤周一「十月・まどろみ」(1978年、10分)、松本正司「時間のなかの時間」(1978年3月、10分)、八木マリヨ「八木マリヨの世界」(1978年、19分)、山本圭吾「手 1976—No.2」(7分)、山本圭吾「足 No.3」、山本圭吾「足 No.4」 フィルム(日本):宮竹ひろし「明日は・・・・・・・」(8ミリ、15分)、柴辻英一「どらま」(8ミリ、13分)、柴辻英一「皓い殺意」(8ミリ、7分)、松本正司「時間のなかの時間’78—間—」(8ミリ、15分)、吉田孝光「ロックンロール・ベースボール」(16ミリ、6分)、今井祝雄「Jointed film」(16ミリ、20分)
「入場者に制作の楽しみも 7日に京都国際映像展’78」京都を中心に活躍する映像作家とカナダの映像作家による初の「京都国際映像展’78」(京都国際映像展委員会、京都新聞社共催)は、十月七日午後一時から京都府立文化芸術会館=河原町広小路=で開かれる。ビデオやフィルム、スライドが新しい芸術表現のメディアとして登場してまだ歴史は浅いが、最近では多くの美術作家たちが映像表現に挑み、いわゆる“商業映画”や茶の間に定着した“テレビ映像”とは異なった次元の実験映像を制作している。時間性を追うもの、ダブル・イメージをねらうもの、虚構の風景をつくり出すもの、特殊技法を駆使して視覚性の強い映像を生み出すもの・・・と、その現れ方もさまざまだ。今回の映像展にはカナダ作家十人、日本作家十人が参加。八ミリ、十六ミリフィルムによる映画部門は、同会館内ホールで午後二時から八時まで四回上映、ビデオ部門は会館内ロビーに特設された八台のテレビによって午後一時から八時半まで四回上映される。興味を呼びそうなのは、ロビーの一コーナーに設けられた「ビデオ・ワーク・ショップ」—。これはカラーカメラとVTR(ビデオ・レコーダー)を使って、一般入場者が自由にビデオ作品を制作できるシステムで、見る楽しみだけでなく“つくる楽しみ”を味わってもらおうという趣向。なお来年からはアメリカ、西独、南米、フランスなどとの交換映像展も予定されている。有料。(京都新聞 1978年9月30日)

「恐縮しながらも闘志満々」全米で繰り広げられる「ジャパン・トゥデイ」の一環として「ビデオ—トウキョウ・フクイ・キョウト」が、ニューヨーク近代美術館で4月13日から2ヶ月間開かれる。京都からただ一人選ばれた版画家の黒崎彰さんは、すでに作品二点をニューヨークへ発送。「ビデオに取り組む作家がたくさんおられるのに、日の浅いボクが選ばれてしまって・・・」と恐縮しながらも、映像表現へのファイト満々。学校(京都工繊大)の授業の関係で、会期中には現地へ行けそうにないが「ニューヨーク近美のあと数カ所で開かれる巡回展にはぜひ駆けつけたい」と語っている。(京都新聞 1979年1月27日)

1980年5月20日—5月25日「映像表現’80⟨ビデオでさぐる⟩」京都市美術館 出品作家=[京都]金森敏、黒崎彰、林剛、松本司頌、水野哲雄、山口良臣、吉岡敏夫、熊谷清、持田明美、古谷稔、宮竹ひろし、粉川久美、植村義夫、西村武、リンダ・ウェイナー [大阪]池田光恵、今井祝雄、奥辻秀彦、乾規、白石哲朗、堤宣陽、綿谷登、豊原正智 [兵庫]笹岡敬 [福井]山本圭吾 [福岡]濡木伸二 [東京]山口勝弘、小林はくどう、遠藤正 [アメリカ]アリス・ブライアント、ビル・ビオラ [カナダ]マイケル・ゴールドバーグ
・ 1980年5月24日 「映像表現’80⟨ビデオでさぐる⟩に寄せて 乾由明」

1982年10月5日—10月11日「映像表現’82⟨もうひとつの眼⟩」出品者=[ビデオ]安藤泰彦、池田光恵、今井久士、今井祝雄、植村義夫、岡崎純、加藤美千代、加藤康祐、北辻稔、桜井一三、篠原康雄、柴辻秀彦、高橋悟、次田寿生、久月穣、砥綿正之、豊原正智、西村武、布引雅子、野村壮吾、早藤洋、林剛、ブラック・バイロン、福原和三、水野哲雄、松本正司、持田明美、山口良臣、山本圭吾、吉岡敏夫、米津泉 [写真]井上隆雄、上田竜一、奥野稔和、斉藤智、高橋清俊、西口直輝、畑祥雄、村上明 [コピー]倉智久美子、鈴鹿芳康、中世古佳伸
・ 京都新聞 1982年10月2日「映像表現’82もうひとつの眼 43人・・・ビデオなどを駆使」
・ 京都新聞 1982年10月9日「映像表現’82 写真肌 高橋亨」  

 

 

 

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