映像史

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1975年4月1日—4月13日「ART AND VIDEO」



○1975年4月1日—4月13日「ART AND VIDEO」

 出品者=今井祝雄、植村義夫、河口龍夫、野村仁、松本正司、村岡三郎、山本圭吾、米津茂英

 「「ビデオ」と「アート」に関する15章 峯村敏明」1−ビデオのシステム全体は、メディアとして、絵画と同列ではない。 2−ビデオに絵画と同列なものを求めるなら、それはテープ(映像作品)である。 3−ビデオと映像作品の関係は、床の間と掛軸(絵画)のそれと同じである。ビデオも床の間も、容れものの容れものである。 4−床の間全体が芸術的事象でありうるのは、掛軸が芸術作品だからではない。 5−ビデオが芸術的事象たりうるのも、芸術作品としてのテープのせいではあるまい。 6−「掛軸—床の間」の関係(「中身−容れもの」のそれ)を1段階格上げすると、「床の間—X」の関係が生まれ、床の間自体が芸術的事象と化する。そのとき、Xとは何か。 7—Xとは、床の間つきの座敷における、総体的知覚体験の場としての空間構造である。当世風に、エンヴァイラメントと呼んでも、同じことである。 8−「6」と同様の操作を「映像作品—ビデオ」の関係に施すと、「ビデオ—Y」の関係が生じ、ビデオ・システム全体が芸術的事象と化する。そのとき、Yとは何か。 9−掛軸—床の間—座敷空間。 10—テープ—ビデオ—Y。 11—床の間の発明は、掛軸(絵画)と別種の芸術現象を「床の間−座敷空間」の間に構造化した。 12−ビデオの新たな利用は、テープ(映像作品)と別種の芸術現象の   Yの間に構造化する、かも知れない。 13—Yに求めることは、映像作品と別種の芸術現象の構造を求めるに等しい。 14—Yとは何か(空間構造ではなく)。 15—ビデオにおけるアートとは何か。

「アートアンドビデオ」ビデオもまた、現代作家にとっては興味をそそる表現媒体の一つなのだろう。近年、ビデオにかかわる作家たちがふえている。今回の企画には関西在住作家を中心に8人が「ビデオにおけるアートとは何か?」に挑んでいる。河口龍夫と村岡三郎の二人が「青と赤のイベント」という興味深い共同作品を発表した。四角な二つの箱を、二人が同時に赤と青で塗りつぶし、さらに赤の上に青、青の上に赤・・・と塗り続けるだけの行為だが、2台のテレビに映る色塗り行為の映像を見ていると、同時性のおもしろさがストレートに伝わってくる。松本正司「手には手を」は、さまざまな手の動きをビデオで流し、テレビの画面に貼った透明ビニール板上へマジックで輪郭なぞりを続ける・・・それをまた別のカメラで撮り再生する、という仕掛け。今井祝雄「ビデオ・スナップ」もテレビの番組をポラロイド・カメラで撮り、1枚ずつ画面に貼って画面を埋めつくす。二人とも一つの映像の中に別次元の映像を導入して、一種のゆらぎを与えようと試みる。植村義夫はビデオ撮りした風景をテレビに流し、その画面を次ぎつぎビデオ・コピーしていくと、はじめの風景とは似ても似つかぬ映像と音に変貌していく過程を見せる。このほか野村仁は自ら女装して迫真?の演技を見せ、米津茂英は家の中の小道具を少しずつ手で動かしていく行為。(山本圭吾は初日上映されず)。ビデオのシステムを駆使しているが、素朴な“手”と機械の関係を改めて見直そうという傾向が全体に流れているようだ。(F)(京都新聞 1975年4月5日)

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