映像史

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1969年1月12日−1月19日「映像は発言する!」




○ 1969年1月12日−1月19日「映像は発言する!」ギャラリー16

上映作品 CINE SPEECH「イメージはあなたをかえる」(スピーチ=乾由明、撮影・構成=松本正司、8ミリ、7分) FILM(16ミリ)=ガリバー「WATCH」(20分)、龍村仁「ユーリィ、時計をごらん」(15分)、中井恒夫「仮眠の皮膚」(10分)、宮井陸郎「SHADOW」「横尾忠則ちゃんだあーいすき」 FILM(8ミリ)=石原薫「カル・ヒルム・くろにくる’68」「カル・ヒルム・くろにくる’68-6」(10分)、植村義夫「紋章」(10分)、岡本はじめ「SITUATION」(270秒)、野村久之「映画」(10分)、松本正司「CYCLE」(20分)「TRANSFORMATION」(20分)、森俊三「SLIT」(10分)、森田篤「DESTROY」(20分) CINE FASHION=「映像ファッション」(フィルム=松本正司、10分)、「白い不在」(フィルム=つかさただし、10分) POEM BY CINEMA MEDIA「映像メディアによる」(撮影=熊野恵康、スライド)、「残されたものは」(撮影=つかさただし、FILM) TV MEDIA=河口龍夫「テレビジョンメディアによる映像」(カラーTV)、小松辰男・柳沢正史「笑止」 SLIDE=大河原昇・熊野恵康 OBJECT SCREEN=榊健・野村耕・松本正司 パネル構成=熊野恵康

「イメージはあなたをかえる=乾由明」1月12日、京都のギャラリー16で「氾濫する映像→空間スクリーン→拡張映画への試み 映像は発言する!」という前衛映画発表の会が、企画・松本正司・今井祝雄・河口龍夫、主催・アートフィルムアソシエーションで開かれた。次の文章は発表会のオープニングパーティにおける国立近代美術館の乾由明氏の講演をまとめたものである。

 去年のクリスマス・イブの夜、月をまわるアメリカの宇宙船アポロ8号から、テレビカメラで月の表面をとらえた模様が地上に送られてきて、世界中にナマ中継されました。間近にみる月の眺め、それも写真でもなく、刻々と動く宇宙船からみたままの情景が、そのままはじめてテレビの画面にうつし出されたのです。これはぼくたちをゾクゾクさせるほど、まったく新しい体験でした。もっともテレビにうつるアバタのような月のイメージはそれほど鮮明ではなかったし、しろうとにはそれが火口やら海やらよくわからなかったかもしれません。だがそんなことは大して問題ではありません。今、ぼくたちは三人の宇宙飛行士と同じ光景を目にし、同じ経験をしているのだという意識が、ぼくたちを興奮させたのです。ぼくたちはテレビのイメージを通じて、この人類最初の月旅行に参加し、その中に入り込み、それを一緒に体験していることを感じたのです。そのときぼくたちはたんに眼だけでなく、あらゆる感覚をはたらかしております。マクルーハン流にいえば、触覚的にイメージを味わっているのです。このような同時に五官すべてをもって参加するという体験は、従来の絵画のイメージからは到底あたえられない、新しい独自のものです。それはあなたに今までにない視野を開きます。現代のイメージは、あなたを、ぼくを、そしてぼくたちすべてを変えるのです。絵画のイメージは、かつては、なにものかの影でした。古代ギリシャで、ある娘が恋人の面影をいつまでもとどめておくために、壁の上にかれの線でなぞったのが、絵画のはじまりと伝えられているように、現実のモノや空間の姿を二次元の平面にうつしたのがイメージだったのです。それも鏡にうつる映像のように、ヴォリュームも重さもなく、手でつかむこともできない影の世界です。具体的なモノから一切の物質性をとり去って、純然たる色とかたちに還元されたイメージは、だから当然人間の眼の感覚、視覚にだけうったえます。ところがモダンアートは、イメージを実物から切りはなして、イメージ自体として独立させました。つまりイメージはなにものかの影でなく、イメージそのものとなったのです。しかしそれがもっぱら視覚によってのみとらえられるという点ではかわりはありません。今やイメージはふたたび現実の世界、具体的なモノと結びつこうとしております。けれどもそれはもはや現実の再現ではありえないのです。ジャスパー・ジョーンズの描くアメリカ国旗は旗をうつしたものではなく、ワーホールのマリリン・モンローは、彼女の写生では決してありません。しかしそうかといって、それは旗そのもの、モンロー自身でもない。それはあくまでイメージです。アメリカ国旗をイメージに化したもの、モンローをイメージに化したものであり、作者はそれをだまってひややかにぼくたちに差出します。これは丁度、テレビの画像が、実物の再現でなく、また実物そのものでもなく、実物のイメージただそれだけであるのと似ております。しかし注意していただきたい。テレビの画像は、実物との同一性と、その触覚的にぼくたちをつつみこむ強い力によって、イメージ自体がぼくたちにとって現実になるのであって、これに対しては、実物の方は影としての意味しかもたなくなります。テレビをみているぼくたちにとって、画像にあらわれた月の情景がまさに現実なのであり、実際に宇宙飛行士がみたであろう風景は、影にすぎないのです。同様に、実物との冷ややかな同一性と触覚的な効果をもつジャスパー・ジョーンズやワーホールの作品を前にしては、実際のアメリカ国旗やマリリン・モンローは、じつばファースト・ハンドの現実でなくて影の存在になるのです。イメージはこのようにして、あなたの日常の現実を、影にかえてしまうのです。イメージはあなたを変えるのです。映画もまた同じようなイメージを創造することができます。完結したプロットによる劇映画は、ある物語や人生の再現という性格をもっていました。しかしこういう物語的な一貫性を破って、日常的シーン、記録写真的なカット、こまぎれのショットなどを駆使して構成することにより、それはまさにイメージそのもの、イメージ以外のなにものでもなくなります。しかもそのイメージは、テレビ的な現実との同一性をもってぼくたちに迫り、視覚、聴覚、触覚等多くの感覚を通じてぼくたちを強くひき込みます。しかしテレビと同様、このような映画にあっては、個々のショットや場面に意味があるのではなく、そのくみ立て方、全体の構成がすなわちその映画のイメージの現実なのであり、これに対して、それがうつされた実際の風景や人間の存在は単なる材料として影にすぎないのです。ここでもイメージは日常の現実を影に化してしまいます。イメージはあなたを、ぼくを、そしてぼくたちすべてを変えるのです。(「オール関西」1969年2月号)

・ 毎日新聞 1969年1月12日「雑記帳」

・ 毎日新聞 1969年1月15日「前衛映画への期待 映像は発言するをみて 会場がスクリーン 四方八方 断片が展開、消え」

・ 京都新聞 1969年1月16日「京に全天全周映画ミニチュア版 半球体スクリーン使用」

・ 夕刊京都 1969年1月17日「今日の映像を追求 表現の可能性にいどむ 映像は発言する!」

・ 夕刊京都 1969年1月31日「試みる 初体験に終始の企画「映像は発言する!」二月には大阪興行?へ 松本正司氏 今井祝雄氏」

  ・「映像は発言する展」(「視るNo.21」京都国立近代美術館ニュース 1969年2月くろにくる掲載)

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