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大西金之助 明日をつくる

才4回 朝日八ミリ映画コンテスト入選

ONISHI FILM 明日を創る

京都 清水焼 陶芸作家 林康夫 其の制作記録 1960年 作家 制作 大西金之助

(ナレーター 大西金之助)

京都の北山に残雪の残る頃2月。
私は清水焼の陶芸作家・林康夫君と、京都駅から国電で神戸に行くことになった。
林康夫君は、私の古い友人である。この度彼は、神戸の県庁より依頼された、中小企業労使センタービルの玄関正面に取り付ける壁面装飾の制作のために今日は最後の下見と制作のために向かうのであった。私はこの映画をつくるためである。

神戸に着き、中小企業センターの前まで来ると、ビルは半ば出来かかっていた。ビルの正面にまわり、このセンタービルの玄関ホールになる場所に入ると、まだジャッキーがとりつけられたままで、壁面は完成されていない。工事場特有の火花を散らす激しい音が響いていた。建築事務所のEさんと彼は壁面の装飾される陶器レリーフの位置や壁に貼られるタイルの色などの打ち合わせるのに余念がなかった。
十分な打ち合わせが済んだ林君は、今はもう確信に満ちた面持ちだが、やはり心の弾みは隠せないようである。
家に帰って、彼は今日、実際にこの目でしっかりと確かめた壁面を頭に浮かべながら、今一度新しいイメージを追って、古い彼の作品を持ち出し、プランを練り直す。

これまでにデッサンはもう幾十枚も繰り返し描いてきた。近代的なビルの玄関にふさわしいグッドデザインの作品にするために、彼はデッサンを検討しながら、伝統工芸の新しい新しい世界を探求する。

いよいよ着手の決め手ができたようだ。彼は愛用のオートバイで五条坂の工房に向かう。
林君の工房は、清水寺の五重塔を背景とした清水焼の中心・東山五条にある。
夜、あたりの仕事場は、すでに作業が終わって、車の走る音もまれな頃、ひとり彼は原型を作り始める。この仕事は、彼にとってまったく新しい仕事である。彼が日頃主張する、新しい生活の場には、陶芸もまた、新しい機能と新しいデザインを持たねば、時代から忘れ去られていく。日本の誇るべき陶芸の技術は、新しい場に新しいスタイルを生みだしていくことこそ、今後に発展させていくただひとつの課題だ、というのが、林君ら若い世代の作家の抱いている考え方なのである。
形は、何回か変更され、修正を加えられ、徐々に型が決まっていく。
何日か経って、彼の工房を訪ねたときは3月。清水界隈は観光客で賑わっていた。
原型はほぼ完成である。
紅花爛漫の4月、ふちの原型はいくつかに配分せられ、石膏型をとる段階に達していた。彼は疲れた顔に笑みを浮かべながら、花見も満足にできんわ、どうしても六月までには完成せんならんねん、と言っていた。

この月の半ば過ぎ、やはり夜彼を訪ねると、石膏を水に溶かし、石膏型をつくる慎重な作業に入っていた。

次に訪ねたのは、鴨川の流れがハツガツ?を告げる時分であった。石膏型よりたくみな手付きで、ブロックが、一個一個と抜きだされ、抜き出されたブロックが、まだ湿ったまま整頓良く並べられていた。
5月になって、ようやく乾燥した十数個のブロックは、いよいよ第一回目の窯に入れられ、焼かれる。これは焼きしめと呼ばれる。1200度ほどの高熱によって焼かれる素焼きである。火力は決して衰えさせてはいけない。窯の熱は常に一定の熱度を保たなければならないのだ。焼きしめの作業は終わった。陶器のブロックは 最後の釉彩、すなわち色付けが待っている。彼はまだデッサンに向かい、新たな色彩へのイメージに駆り立てられる。なんといってもこの作業が作品としての良し悪しを決定づけるのだ。火という自然の力は、神のさずける偶然にも似ているからだ。彼は祈るような気持ちで薬の筆をとる。

そして6月、まさに運命を決する窯焼きの日がやってきた。小さな焚き口からふきだす炎は、1200度以上だ。火を浴びたような汗、一心に炎を凝視する彼の目。それは炎より、なお激しく燃えているかのようだ。4ヶ月間の苦労がこのたった一回の窯で決まるのである。

窯出しの日。いまは冷めた窯の口を切る彼の手は思いなしか震えている、ようだった。取り出されたひとつのブロックを手にとって彼はいかにも物慣れた平静なそぶりであったが、私にはその表情の底に満足と不安が入り混じっているよう思われました。それは新しいものを創るものの常として私にもわかるような気がしました。
窯出しの翌日、作品を数個の包みにして、工房を後に、神戸に向かう。
私は彼の乗った車を見送りながら、彼の作品がひとりでも多くの人達に理解され、愛されることを祈らずにはいられませんでした。

ある日、彼の家に仲間の連中が集まる。
―…てもんやねえ…ひとつの壁面の処理…こういうふうな仕事に自信がわいてきたわけやなあ。
―制作日数? 僕はこの話、決まってから病気して寝たからねえ、治って…4ヶ月ほどかかっているなあ。
―2月で6月の…くらい…ざっと4ヶ月。
―そういうところにこういうゆうな仕事が…壁面に持ってくるというのは、タイルというのはたやすういけて…こういうことをやるのは困難なことが多いということやな。
―多いなあ
―ひとつ失敗した場合 やり直すのが大変やから…。
―・・できにくいなあ
―きみら・・ひとつの一片で失敗したって場合はねえ予備をこしらえるというのは…
―焼きしめ…いったことにやっていても…焼きしめできる…
―焼きしめでやって…
-―焼きしめでやって…それから…
―そうですかあ…

私も林君の新しい仕事の経過をフィルムに撮りおえたので、久しぶりに彼の工房を訪ねました。彼はもくもくとろくろを回していた。それは彼の実験的な仕事でない作業の仕事である。この巧みなろくろを見つめながら、この伝統の技術が新しい時代のあたらしい作品を生み出していく母体台なのだなあと。

今日も、五条坂の窯は煙を吐き出している。明日もそして明後日も、この煙のなかより、明日を創る新しい作家が生まれるのでしょう。五条坂の陶芸作家・林康夫君もそのひとりである。

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