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鈴木康之原稿

萌芽のとき1946年頃の胎動をふりかえりながら 鈴木康之

奈良の瓦又 私の生家は、祖父・鈴木又市が東大寺大仏殿明治大修理(明治15年~大正4年落慶供養)事業の瓦部門を請負った古文化財に関係する仕事をしており、屋号を「瓦又」といいました。その大修理事業に際し、一家一族がこぞって仕事を完工せねばと上京。遊学中の私の父・良治(三男)も家に呼び戻され、年齢的にも彼がその大修理の中心になって、仕事を完成させることができました。その後も、姫路城、興福寺、法隆寺、正倉院、薬師寺、唐招提寺、旧江戸城、熊本城等々…修理事業の業績により、戦時中の政府当局より日本全国の製瓦業者中、唯一の技術保存資格者に指定されました。 そのような大所帯の中、目上の人達の中で育ちながら、私は子供心にいつも「しんどい」なぁという思いがありました。両親にしては、私は最も気になる子であっただろうと思います。

戦時の経験 第二次大戦末期、周囲の多くの人達(従兄弟、工場の職人さん、近在の人)が参戦、戦死、負傷等のことが、ごく普通の出来事のような異様な時代。私も20歳になり、大竹海兵団に入団し、その後広島市の南東(山陽本線と呉線との中間山地、郷原地区?)で徹底した軍事訓練をうけ、その地で終戦をむかえました。 唯、8月6日広島原子爆弾投下(後日知る)午前8時15分の瞬時の状況は、終生忘れる事は出来ないでしょう。ピッカッと強烈な、異様な光線を西北西方向からうけたので瞬間、振り向いた顔面に異様なフワッとした風圧を感じ、ドッド、ドウンとまったく表現の出来ない異様な音、地響きがして、ハッと空を見上げると「B29」唯一機が朝日に輝きながら、北東方向へ二筋の飛行雲を噴きながら去ってゆくのが見えました。その直後、西北西の山向こうからモク、モク、モクと次から次に異状な色の(原子雲)が噴き上がってくるのが見え、広島方面の弾庫にでも命中したのかと仲間で話し合いました。当時の情報は、今時のリアルタイムではなくすべてが軍事機密として、原子爆弾(特殊爆弾として)後日知りました。 思い出としても語りづらい多くの事を見聞いたしました。

京都でのくらし~二科展、そして四耕会へ 1946年(昭和21年)6月。叔父・赤井四郎が、以前から常に私の身のふりかたを考えていてくれて、京都の宇野三吾先生に弟子入りの道を拓いてくれ、宇野家を父ともども訪ねました。初対面の席で、先生が「父さんはマルギ(○技)認定者で、私はマルゲイ(○芸)作家だから、ともに丸で頑張りましょう」と仰って、その場の雰囲気を和らげて下さったことを憶えております。戦争には敗れましたが、これで新たなる道に進む事ができると心に誓いました。 そして秋、二科展が復活。その工芸部は、茶道表裏両千家家元、花道界の小原流家元・小原豊雲、草月流家元・勅使河原蒼風、他、評論界の方々と宇野三吾先生等で構成されていたと憶えています。 陶、金工、木竹、染織の各部門、陶芸部入選者は、八木一艸、三浦竹泉、宇野三吾、永楽善五郎、伊豆蔵寿郎、鈴木康之でした。 その頃に、藤田作君、荒井衆君が相次いで宇野門下に弟子入りをされたと思います。藤田作君は第32回二科工芸部入選(尊父・藤田与。奈良出身。朝日新聞社奈良支局長、朝日文化厚生事業団、企画部次長等)。荒井衆君は当時京都在住(尊父・荒井竜夫。自由美術家協会会員)。大西金之助氏は京都陶磁器試験場におられ、宇野家と交遊されていた関係がありました。ことに奈良出身の藤田君は私の弟・啓之と旧制奈良中学の同級生でもあり、翌年1947年(昭和22年)第32回二科展に入選。 話が前後しますが、さきに話しました第31回二科展入選者名に、京都の陶作家として載っていた鈴木康之とはいかなる人物なのか。伊豆蔵さんが、宇野家へ行けば鈴木について知ることができるだろうということで訪ねられた処に私が居住。内弟子であったということで、私と伊豆蔵との交際が出来ました。以後、木村盛和、清水卯一、谷口良三、浅見茂を知り、浅見君の後輩・林康夫君と知り合い、輪が広がっていきました。
 四耕会発足当時の状況は、林君の史料にもありますので省きますが、宇野先生の「私も一緒に、横ならびにやろう」云々については、私はそのとき発足当日の客人(発会員)たちへの家事接待に追われて居合わせず、会員一同は盛り上がっていたでしょうが、私の立場からすれば、内弟子。師弟関係。それと京都での生活の日々がまだ浅いことなど自分を判断し、発言すべきかどうか…。その場の盛上りを消すことは出来ない!複雑な思いがありました。
 余談ですが、短期間でしたが、木村氏の紹介?で、清水さん浅見?さん達と表(久田家)に茶道の教えをこいに通った思い出もあり、代稽古を受けた佐伯某(京都府下、現田辺市・観音寺住職。東山智積院勤務)。当時、そこここでいろいろな方にお目にかかる事がありました。清水さん達との思い出の一端です。
 四耕会が始まってからは、岡山展(金剛荘画廊)では、岡本素六君とともに、桂又三郎氏の引合で、金重陶陽氏はじめ、弟の七郎さん(素山)等、備前焼の当時の若手作家の皆様と陶陽氏宅でお会いしました。等々… そのほか、宇野先生と花道界の関係など語りつくせない程、種々いろいろの事等ございますが、最早故人となられたこともあり、この辺で…。(聞き手 坂上しのぶ)

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