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バクの会

「美術記者の京都」橋本喜三 朝日新聞社 1990年発行 pp.203-204 より抜粋

バクの会
 美術のほかに映画、音楽、演劇、芸能、文学、大学、宗教など幅広く文化関係を担当していた私は、それぞれの人間交流を緊密にして、お互いの自覚を促したいと考え、2,30歳代の若い芸術家を糾合して、昭和27年(1952)に「バクの会」を結成した。明治末に東京で作られた「パンの会」の京都版である。バクは貘、中国では悪夢を食ってくれる霊獣とされているが、嫌な夢をくいあさって、美しい芸術への夢を育もうという会。名付けの親はシナリオライターの依田義賢氏である。画家の西山英雄、堂本尚郎、麻田鷹司、工芸家の清水洋、佐野猛夫、茶道の千宗興、狂言の茂山千之丞、新劇の北村英三、関西オペラの木村斗伎子、作曲家の桜井武雄、写真の佐藤辰三、浜岡昇、服飾デザイナーの門明冨志、奥田恭子、女優の雪代敬子、市田ひろみ、詩人の佐々木邦彦らのほか評論家の上野照夫、鶴見俊輔、ドナルド•キーン、オシュコルヌ氏らも加わった多彩な顔ぶれであった。映画「雨月物語」がベネチア映画祭で銀獅子賞をとったとき、溝口健二監督をゲストに迎えて話を聞いた。仲間に入れてくれといわれて特別会員にした。 いろいろな芸術人を招いて芸談を聞き、会員の個展や詩集の合評会も開いた。岡本太郎氏を招いたときは、「日本人の美的訓練は最高だが、京都人の近代感覚は驚くほど悪い、これは伝統に押しひしがれた悲劇だ」と論じたのに対して、京都人の八木一夫、梅棹忠夫氏らが激しく反発、とうとう論客のゲストを悪酔いさせる一幕もあった。バクの会の歌を作り、バリトンの伊藤武雄氏を招いて歌唱の特訓を受けたこともある。例会が済むと、木屋町界隈のバーやおでん屋は、調子はずれの蛮声をはりあげるバク族で賑わった。

 

 

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